桜はまだか?

hiro75

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第4章「恋文」

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 正仙院わきの茶屋の老婆は、今日も元気に動き回っている。

「婆さん、茶をもう一杯くれるかい」

 秋山小次郎は、老婆に空になった湯のみを渡した。

「おう、婆さん、俺もな」

 貞吉の湯飲みは、先から空である。

「へい」

 老婆は、二人の湯飲みを持って、奥に入って行った。

「生田って侍は、来ますかね?」

 貞吉は、団子を口に放り込んだ。

 小次郎は団子には目もくれない。

 ただじっと道の彼方を見詰めていた。

 生田庄之助は来るのか? 来ないのか?

 来たところで、どうするのか?

(町奉行の同心に、手が出せる相手ではないではないか……、何をしておるのだ、俺は?)

 そんなことは百も承知である。

 百も承知であるが、一言言ってやらねば、小次郎の気持ちがおさまらなかった。

 確かに、火を付けたのはお七である。

 罰せられるべきは、彼女であろう。

 だが、お七をそこまで追い込んだのは、いったい誰なのか?

(生田と吉十郎じゃあねえかい)

 お七の罪は免れないだろう。

 吉十郎は、火付改から処罰が下されるはずである。

 では、生田は?

 旗本という身分と、父親や父親の関係する輩の権力を傘に、捕まることはあるまい。

(結局、お七だけが馬鹿をみたんじゃねぇか)

 庄之助に一言言ってやりたいのは、小次郎だけではない。

 貞吉も、随分と鬱憤が溜まっているようだった。

「旗本の次男坊だかなんだか知りませんが、それじゃあ、お七があまりにも不憫じゃございませんか」

 全くそのとおりだろう。

 小次郎や貞吉だけでなく、江戸庶民全員が、庄之助に、いやお上に一言言ってやりたいはずだ。

「二本差しを差してりゃ、なんでも許されるのかい」

 と。
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