桜はまだか?

hiro75

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第5章「桜舞う中で」

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「どうした、こんなところで? お前さんがぼんやりと突っ立ってるなんて、珍しいな」

「いや、別に……、ちょうどお前のところに調書を持っていくところだったんだ」

 作太郎は呆れた顔で、源太郎の左手が保持している調書を見た。

「そんなもの、わざわざお前が届ける必要もあるまい。下の者にやらせておけよ」

「いや、これは……、お七の調書だ」

「お七の? うむ、そうか……、ならば、預かろう」

 お七と聞いて、作太郎の顔も厳しいものになった。

 作太郎は、受け取った調書をぺらぺらと捲った。

 堅物の源太郎のこと、相変わらず事細かに作られている。

 と、最後の項に一枚の付箋が挟み込まれてあった。

 作太郎はふと目を落とし、次に源太郎の顔を見た。

 彼は、作太郎の視線に気付かず、じっと庭のほうに目を落としている。

 作太郎は、うむと発して、

「あとは、こちらで受け持とう」

 と、調書を閉じた。

 庭を見詰めたまま、源太郎は呟いた。

「作太郎、俺は、女という生き物が分からなくなった」

 源太郎の言葉に、作太郎は、「何を?」という顔を向けた。

「なぜだ?」

「女という生き物は、皆、お七のような裏と表の顔を持っているのだろうか?」

 作太郎は、源太郎の言葉の意味を図りかねて、うむと眉を顰める。

「いや、お七のような虫も殺さぬ娘っ子が、恋しい人逢いたさに火付けを働く。かと思えば、今度は聖人君子のような顔で、じっと我が身に降りかかる宿命を受け止めている。女とは、そんなに器用に生きていける生き物なのかと思ってな」

 源太郎は、そこで唾を飲み込み、渇き切った咽喉を潤した。

「娘の幸恵とな、ここんところ全く口をきいておらんのだ」

「ほう」と、作太郎は目を丸くした。

「お七の一件もあって、夜遅くまで仕事をすることもある。だから、俺が帰ったときは、娘は夜具の中だ。妻の話だと、俺が帰ってくるまで起きていると駄々を捏ねるそうだが、やはり眠気には勝てん。寝ている娘の頬には、いつも涙のあとがあるのだ」

「そりゃ、可哀想だな」

「全くだ。だからこの前、珍しく起きていたので、抱いてやろうとした」

「うむ、それで?」

「嫌われた」

 作太郎は、答える代わりに源太郎の横顔を見た。

 源太郎は、悲しそうな顔で散りゆく桜を眺めている。

「俺を睨みつけるんだ。じっと睨みつけるんだ。そのときの幸恵の目は、お七の目に似ていたような気がする。だから、幸恵もあんな娘になるのかと思うと、空恐ろしくなって、どう接していいのか分からず、少々不安になった」

「なるほどな」

 源太郎と作太郎は、しばらく桜を見つめた。

「どうであろうか……」

 沈黙のあと、作太郎が徐に口を開いた。

「それは、女だけではあるまい」

 源太郎は、作太郎の言葉を意外だと思った。
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