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第5章「桜舞う中で」
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火付けは、火罪 ―― いわゆる火炙りの刑である。
通常これに、見せしめのためとして、晒しのうえ、市中引廻しの形が加わる。
しかし、誰かに唆されて火付けを働いたなら、唆した者が火罪で、火を付けた本人は死罪 ―― 斬首となった。
調書によれば、お七は吉十郎に唆されたのだから、死罪となる。
晒し・市中引廻しという屈辱的な付属形がないだけ、軽い処罰であるが、処刑であることには代わりはなかった。
正親が最後の項を捲ると、一枚の付箋がはらりと落ちた。
おやっと取り上げると、細かい字でびっしりと文字が書き込まれている。
正親には、その文字が神谷源太郎の手であると分かった。
(あやつ、なにを?)
と読むと、以下のように書かれていた。
〝お七の火付けは、すべて吉十郎と何某という侍の差し金である。
何某が、お七の好意を拒めば、お七が火付けを働くこともなかったであろう。
また、吉十郎が、お七の情愛深さにつけ込んで火付けを唆さなければ、また火付けを働くことはなかったであろう。
お七は、火付けを働いた咎人でもあるが、男たちの玩具にされた被害者でもある。
またお七が、火付けの現場近くで呆けたように座り込んでいたのは、己の行ったことへの強い後悔の念があったためであろう。
でなければ、火付けの犯人が、逃げもせずに現場に座り込んでいるはずがない。
火も幸い小火程度で済み、近隣の住民からは怒り・苦情どころか、むしろお七を哀れむ声が出ている。
これらを含んで、お七の処断は行われるべきであると考える〟
これらを含んでとは、即ち処刑では重過ぎると、源太郎は言いたいようだ。
恐らくは、例繰方へ送るときに調書に添付したのであろう。
それが、何を間違ってか、奉行のところまできてしまった。
(源太郎がわざと入れたのか、それとも……)
少なくとも、吟味方、例繰方、用部屋手付の三人の手を回ってきた書類である。
加えて、久太郎もこの調書には目を通しているはずである。
その間で落ちても良さそうだが、ここまで残っていたということは、何かそうさせる力があったのか、それとも久太郎を含めた奉行所の役人たちも、皆、源太郎と同じ考えなのか……のどちらかである。
正親は調書から目を上げると、右手で首筋をとんとんと叩いた。
「やれやれ、澤田のやつめ、言っておることと、やっておることが全く違うではないか」
そして顎を摩りながら、
「それにしても神谷め、このわしに意見などしよって」
と、にやりと笑った。
「しかし、どう処断するかの……」
正親は、ごろんと寝転がった。
初夏の日差しが、初老の顔を舐める。
定めに従うなら、お七は死罪。
近年は火付けによる被害も多く、この正月にも、お上から厳しく取り締まれと指示が出ている。
ならば、見せしめのためとして、「晒し・市中引廻しのうえ、火罪」のほうがよかろう。
が、そうなれば、お七に同情する江戸庶民は黙ってはいまい。
火付改に捕まった吉十郎は向こうで処罰されるとしても、生田庄之助は何のお咎めもない。
そんな不公平があるかと、江戸庶民は憤るだろう。
特に、娘の加緒流は煩く言うはずだ。
『男の人には、お七さんの気持ちは分かりません』
加緒流の非難する顔と言葉が頭に浮かぶ。
「いやいや、そのようなことはないぞ」
正親は、ひとり首を振った。
「わしとて、お七の恋しい気持ちは分かっておるわい。じゃからとて、火付けを許すわけにはいくまい」
あれやこれやと考えているうちに、ひと時の夢へと落ちていった。
通常これに、見せしめのためとして、晒しのうえ、市中引廻しの形が加わる。
しかし、誰かに唆されて火付けを働いたなら、唆した者が火罪で、火を付けた本人は死罪 ―― 斬首となった。
調書によれば、お七は吉十郎に唆されたのだから、死罪となる。
晒し・市中引廻しという屈辱的な付属形がないだけ、軽い処罰であるが、処刑であることには代わりはなかった。
正親が最後の項を捲ると、一枚の付箋がはらりと落ちた。
おやっと取り上げると、細かい字でびっしりと文字が書き込まれている。
正親には、その文字が神谷源太郎の手であると分かった。
(あやつ、なにを?)
と読むと、以下のように書かれていた。
〝お七の火付けは、すべて吉十郎と何某という侍の差し金である。
何某が、お七の好意を拒めば、お七が火付けを働くこともなかったであろう。
また、吉十郎が、お七の情愛深さにつけ込んで火付けを唆さなければ、また火付けを働くことはなかったであろう。
お七は、火付けを働いた咎人でもあるが、男たちの玩具にされた被害者でもある。
またお七が、火付けの現場近くで呆けたように座り込んでいたのは、己の行ったことへの強い後悔の念があったためであろう。
でなければ、火付けの犯人が、逃げもせずに現場に座り込んでいるはずがない。
火も幸い小火程度で済み、近隣の住民からは怒り・苦情どころか、むしろお七を哀れむ声が出ている。
これらを含んで、お七の処断は行われるべきであると考える〟
これらを含んでとは、即ち処刑では重過ぎると、源太郎は言いたいようだ。
恐らくは、例繰方へ送るときに調書に添付したのであろう。
それが、何を間違ってか、奉行のところまできてしまった。
(源太郎がわざと入れたのか、それとも……)
少なくとも、吟味方、例繰方、用部屋手付の三人の手を回ってきた書類である。
加えて、久太郎もこの調書には目を通しているはずである。
その間で落ちても良さそうだが、ここまで残っていたということは、何かそうさせる力があったのか、それとも久太郎を含めた奉行所の役人たちも、皆、源太郎と同じ考えなのか……のどちらかである。
正親は調書から目を上げると、右手で首筋をとんとんと叩いた。
「やれやれ、澤田のやつめ、言っておることと、やっておることが全く違うではないか」
そして顎を摩りながら、
「それにしても神谷め、このわしに意見などしよって」
と、にやりと笑った。
「しかし、どう処断するかの……」
正親は、ごろんと寝転がった。
初夏の日差しが、初老の顔を舐める。
定めに従うなら、お七は死罪。
近年は火付けによる被害も多く、この正月にも、お上から厳しく取り締まれと指示が出ている。
ならば、見せしめのためとして、「晒し・市中引廻しのうえ、火罪」のほうがよかろう。
が、そうなれば、お七に同情する江戸庶民は黙ってはいまい。
火付改に捕まった吉十郎は向こうで処罰されるとしても、生田庄之助は何のお咎めもない。
そんな不公平があるかと、江戸庶民は憤るだろう。
特に、娘の加緒流は煩く言うはずだ。
『男の人には、お七さんの気持ちは分かりません』
加緒流の非難する顔と言葉が頭に浮かぶ。
「いやいや、そのようなことはないぞ」
正親は、ひとり首を振った。
「わしとて、お七の恋しい気持ちは分かっておるわい。じゃからとて、火付けを許すわけにはいくまい」
あれやこれやと考えているうちに、ひと時の夢へと落ちていった。
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