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第一章「宿命の子どもたち」 中編
第4話
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大殿の奥は、異臭が漂っている。
何の匂いだろう?
香を焚いているようだが………………これほど異様な匂いは、いままで経験したことはなかった。
いや、ある。
父の死に際に、同じような匂いを嗅いだことがあった。
部屋は薄暗い。
彼の正面には、寝台に横たわる人がいた。
その頭上の窓から、僅かに光が漏れる。
光が、その人の顔を隠していた。
山背王は頭を下げた。
「御召により、参上いたしました。ご機嫌いかがでしょうか?」
上目遣いで横たわる人を見た。
寝台の人は、僅かに上体を起こしているようだが、顔が見えない。
窓から入る光に目が眩む。
「山背王、参上ご苦労です」
声を発したのは、傍に仕えていた栗下女王であった。
「大王におかれましては、ここ最近お体が優れず、起き上がることも儘なりませぬ。しかし本日は、山背王に直々にお話があるとのことで御召になりました。心して聞くように、宜しいですね」
「はい」、僅かだが声が掠れた。
「なお、大きな声はお体に触りますので、私が大王のお言葉を賜ります」
栗下女王はそう言うと、寝台の人に耳打ちをした。
「山背王が参上しました。……はい、……はい、……はい」
栗下女王は大王と話をしているようだが、大王の声は聞こえてこない。
本当に大王なのかと山背王は訝った。
しかし、大殿にいるのは大王以外にありえない。
「はい、畏まりました」
話は終わったようだ。
栗下女王はこちらに向き直り、話し始めた。
「大王のお言葉を言い渡します」
山背王は畏まった。
「私は、女の身ながらも、神より永らく国政を預かってきました。しかし、まもなくその役目も終わるでしょう」
彼は伏したまま、大王の方を覗き見した。
しかし、彼女の顔は見えない。
「山背王よ、お前に対する寵愛の情は比べようもありません。されど、後継者のことは、私の御世だけのことではありません。国の根本的問題です」
彼の目は、なおも大王の様子を探る。
大王は、ピクリともしない。
死に瀕する者が発する、あの魂が抜けだすような苦しげな息遣いすら聞こえない。
本当はもう………………死んでいるのでは?
山背王は、命の根源を見つけようと、寝台の人をじっと見つめた。
「山背王、お分かりか? お分かりか、山背王?」
二度の問いかけに、はっと栗下女王を見た。
栗下女王の話など、全く耳に入っていなかった。
山背王は、考え事をしていて聞き逃したと謝った。
大王の言葉を聞き逃すなど言語道断だと栗下女王は怒った。
「お前は年若い、注意して発言せよ………………とのことです。宜しいですね」
きつく言い放った。
山背王は、深々と頭を下げた。
次に頭を上げたとき、もう一度大王の顔をよく見ようとした。
栗下女王が、不躾なとでも言いたそうな蔑んだ目をしながら、
「では以上です、お下がりください」
と、退出を促した。
「それだけでしょうか?」
「山背王には、何か御有りか?」
後継者のことで呼び出されたのだと思っていた。
だが大王からは、『年が若いから、発言に注意しろ』と言われただけだ。
そんなこと、日ごろからよく言われているし、後継者候補に自分の名前があがったときから、肝に銘じている。
そのためだけに呼び出したのか?
いや、この期に及んで、若者に老人の小言を言うためだけに呼び出したわけではあるまい。
お前はまだ若いから、後継者は無理だということか?
それとも、次の後継者として決まったから、発言に注意しろと言っているのか?
どちらにも取り得る大王の言葉に、山背王は酷く困惑した。
それ以上に、大王の様子が気にかかった。
―― 本当に大王は、まだ生きていらっしゃるのだろうか?
そんな疑念が心の中に渦巻いていた。
それほど、大王と栗下女王の仕草はおかしかった。
「大王の御様態をお聞きして案じておりましたが、お元気な御様子。安心いたしました。されど、お傍で御尊顔を拝すれば、なお安心できるのですが………………」
「山背王、無礼ですよ。大王はお疲れです。本日も、お話できるのがやっとなのです。これ以上の長居は、大王の御機嫌を損ねます。お下がりなさい」
栗下女王の口調は厳しかった。
山背王の疑念は一層増大した。
「では、大王の御回復、そして、御長寿をお祈り申し上げます」
深く頭を下げ、御簾の外に出た。
そこには、相変わらず人形の女たちがいた。
何の匂いだろう?
香を焚いているようだが………………これほど異様な匂いは、いままで経験したことはなかった。
いや、ある。
父の死に際に、同じような匂いを嗅いだことがあった。
部屋は薄暗い。
彼の正面には、寝台に横たわる人がいた。
その頭上の窓から、僅かに光が漏れる。
光が、その人の顔を隠していた。
山背王は頭を下げた。
「御召により、参上いたしました。ご機嫌いかがでしょうか?」
上目遣いで横たわる人を見た。
寝台の人は、僅かに上体を起こしているようだが、顔が見えない。
窓から入る光に目が眩む。
「山背王、参上ご苦労です」
声を発したのは、傍に仕えていた栗下女王であった。
「大王におかれましては、ここ最近お体が優れず、起き上がることも儘なりませぬ。しかし本日は、山背王に直々にお話があるとのことで御召になりました。心して聞くように、宜しいですね」
「はい」、僅かだが声が掠れた。
「なお、大きな声はお体に触りますので、私が大王のお言葉を賜ります」
栗下女王はそう言うと、寝台の人に耳打ちをした。
「山背王が参上しました。……はい、……はい、……はい」
栗下女王は大王と話をしているようだが、大王の声は聞こえてこない。
本当に大王なのかと山背王は訝った。
しかし、大殿にいるのは大王以外にありえない。
「はい、畏まりました」
話は終わったようだ。
栗下女王はこちらに向き直り、話し始めた。
「大王のお言葉を言い渡します」
山背王は畏まった。
「私は、女の身ながらも、神より永らく国政を預かってきました。しかし、まもなくその役目も終わるでしょう」
彼は伏したまま、大王の方を覗き見した。
しかし、彼女の顔は見えない。
「山背王よ、お前に対する寵愛の情は比べようもありません。されど、後継者のことは、私の御世だけのことではありません。国の根本的問題です」
彼の目は、なおも大王の様子を探る。
大王は、ピクリともしない。
死に瀕する者が発する、あの魂が抜けだすような苦しげな息遣いすら聞こえない。
本当はもう………………死んでいるのでは?
山背王は、命の根源を見つけようと、寝台の人をじっと見つめた。
「山背王、お分かりか? お分かりか、山背王?」
二度の問いかけに、はっと栗下女王を見た。
栗下女王の話など、全く耳に入っていなかった。
山背王は、考え事をしていて聞き逃したと謝った。
大王の言葉を聞き逃すなど言語道断だと栗下女王は怒った。
「お前は年若い、注意して発言せよ………………とのことです。宜しいですね」
きつく言い放った。
山背王は、深々と頭を下げた。
次に頭を上げたとき、もう一度大王の顔をよく見ようとした。
栗下女王が、不躾なとでも言いたそうな蔑んだ目をしながら、
「では以上です、お下がりください」
と、退出を促した。
「それだけでしょうか?」
「山背王には、何か御有りか?」
後継者のことで呼び出されたのだと思っていた。
だが大王からは、『年が若いから、発言に注意しろ』と言われただけだ。
そんなこと、日ごろからよく言われているし、後継者候補に自分の名前があがったときから、肝に銘じている。
そのためだけに呼び出したのか?
いや、この期に及んで、若者に老人の小言を言うためだけに呼び出したわけではあるまい。
お前はまだ若いから、後継者は無理だということか?
それとも、次の後継者として決まったから、発言に注意しろと言っているのか?
どちらにも取り得る大王の言葉に、山背王は酷く困惑した。
それ以上に、大王の様子が気にかかった。
―― 本当に大王は、まだ生きていらっしゃるのだろうか?
そんな疑念が心の中に渦巻いていた。
それほど、大王と栗下女王の仕草はおかしかった。
「大王の御様態をお聞きして案じておりましたが、お元気な御様子。安心いたしました。されど、お傍で御尊顔を拝すれば、なお安心できるのですが………………」
「山背王、無礼ですよ。大王はお疲れです。本日も、お話できるのがやっとなのです。これ以上の長居は、大王の御機嫌を損ねます。お下がりなさい」
栗下女王の口調は厳しかった。
山背王の疑念は一層増大した。
「では、大王の御回復、そして、御長寿をお祈り申し上げます」
深く頭を下げ、御簾の外に出た。
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