71 / 378
第二章「槻の木の下で」 前編
第3話
しおりを挟む
鎌子が寝室に戻った後、智仙娘が酒を運んで来た。
御食子に酒を注ぎながら、
「すみません、私が甘やかしてしまって」
「いや、私もあの子のことを、お前ばかりに押し付けてきたからな」
彼は、一息で酒を飲んだ。
「しかし、このままでは中臣の名は継がせられんな」
智仙娘の酌をする手が止まる。
「では、枚夫に継がせるのですか?」
「仕方あるまい。枚夫の方が年上だし、それに祭祀に関して真摯に取り組んでいる」
「そんなことはありません。鎌子もやればできる子です。ただ、いまはなかなか、その気分が起こらないだけ。あの子が本気になれば、枚夫も舌を巻くことになるでしょう。ですから、なにとぞ後継者は鎌子に!」
なるほど、母の愛情か ―― 御食子はそんなことを思いながら、夫人の手にある銚子を取り上げて、一人手酌でやるのであった。
中臣鎌子(鎌足)は、推古天皇の治世二十二(六一四)年八月十五日、中臣御食子連と大伴咋子連の娘、智仙娘の長子として生まれた(『多武峯縁起』)。
ただ、鎌子の伝記たる『藤氏家伝』の一行目には「内太臣、諱は鎌足、字は仲郎、大倭国高市郡の人なり」とある。
「仲郎」とは次男の意味であり、異母兄がいた可能性が高い。
さて中臣氏であるが、津速魂命の孫、天兒屋命を始祖とする一族であったらしい。
天兒屋命は、天照大神が素戔鳴尊の乱行に立腹し、天石窟に隠れた折に、彼の神を石窟から出すための祭事を取り仕切った神である。
以後その子孫は、朝廷内の神事を取り仕切る一族となった。
どこから実在する人物かは明確にできないが、『中臣氏系図』に、黒田大連の息子、常盤大連が、欽明天皇より中臣姓を賜ったとある。
中臣常磐の息子は可多能古大連で、この可多能古には、御食子・國子・糠手子の三兄弟がおり、御食子の家系は後の藤原氏に続いていき、残りの家系が朝廷内で神事を取り仕切った大中臣・中臣を引き継いでいく。
中臣とは、本来、神と人の間を取り持つという意味があるらしいが、神事を取り仕切ったことから、この名前が付いたのであろう。
ただ、彼らが取り持つのは神と人だけではなかった。
彼らの主な職は、大王と臣下の間を取り持つ前事奏官、つまり臣下の言葉を大王に伝奏し、大王の言葉を臣下に下達することであったらしい。
『中臣氏系図』には、御食子が前事奏官兼祭官であったと記載されている。
祭官として大王の傍に仕えていたから前事奏官となったのか、前事奏官で傍に使えていたから祭官となったのかは分からないが、この前事奏官は、大王の言葉を直接聴くことができるので、重要な職であった。
ただ中臣氏は、あくまで大王に使える連集団、即ち家臣団の一氏族に過ぎず、同じ連姓を持ち、武力で大王に使えた大伴・物部氏のような政治的権力は持っていなかった。
ところで鎌子の名前であるが、『日本書紀』には、彼の名前は当初から「鎌子」であり、彼が「鎌足」と呼ばれるようになるのは、孝徳天皇から紫冠と封八千戸を賜った時からであるので、彼の本名は「鎌子」であったのだろう。
または、「子」や「足」は尊称であるという見方もあるので、「鎌」と呼ばれていたのかもしれない。
彼の出自であるが、これは謎が多い。
『藤氏家伝』は、彼を「大倭国高市郡」の出身としている。
しかし、『多武峯縁起』では、「大和國高市郡大原藤原第」の生まれとしながらも、「常陸國鹿島郡」の出身という説も記載している。
『大鏡』は、彼が常陸国出身としている。
『常陸國風土記』にも、常陸と中臣の関係を記している。
また、鹿島神宮の宮司も大中臣氏が受け持ち、その後、中臣鹿島氏が定着している。
鎌子が常陸國出身者であったかどうかは定かではないが、中臣氏が常陸と何らかの関係にあったことは間違いないようだ。
なお、藤原氏の庇護を受けた春日大社は、本殿に四柱を祀るが、その第一殿には鹿島神宮から迎えた武甕槌命を祀っている。
因みに、藤原氏の始祖であるといわれる天兒屋根命は、第三殿に祀られている。
御食子に酒を注ぎながら、
「すみません、私が甘やかしてしまって」
「いや、私もあの子のことを、お前ばかりに押し付けてきたからな」
彼は、一息で酒を飲んだ。
「しかし、このままでは中臣の名は継がせられんな」
智仙娘の酌をする手が止まる。
「では、枚夫に継がせるのですか?」
「仕方あるまい。枚夫の方が年上だし、それに祭祀に関して真摯に取り組んでいる」
「そんなことはありません。鎌子もやればできる子です。ただ、いまはなかなか、その気分が起こらないだけ。あの子が本気になれば、枚夫も舌を巻くことになるでしょう。ですから、なにとぞ後継者は鎌子に!」
なるほど、母の愛情か ―― 御食子はそんなことを思いながら、夫人の手にある銚子を取り上げて、一人手酌でやるのであった。
中臣鎌子(鎌足)は、推古天皇の治世二十二(六一四)年八月十五日、中臣御食子連と大伴咋子連の娘、智仙娘の長子として生まれた(『多武峯縁起』)。
ただ、鎌子の伝記たる『藤氏家伝』の一行目には「内太臣、諱は鎌足、字は仲郎、大倭国高市郡の人なり」とある。
「仲郎」とは次男の意味であり、異母兄がいた可能性が高い。
さて中臣氏であるが、津速魂命の孫、天兒屋命を始祖とする一族であったらしい。
天兒屋命は、天照大神が素戔鳴尊の乱行に立腹し、天石窟に隠れた折に、彼の神を石窟から出すための祭事を取り仕切った神である。
以後その子孫は、朝廷内の神事を取り仕切る一族となった。
どこから実在する人物かは明確にできないが、『中臣氏系図』に、黒田大連の息子、常盤大連が、欽明天皇より中臣姓を賜ったとある。
中臣常磐の息子は可多能古大連で、この可多能古には、御食子・國子・糠手子の三兄弟がおり、御食子の家系は後の藤原氏に続いていき、残りの家系が朝廷内で神事を取り仕切った大中臣・中臣を引き継いでいく。
中臣とは、本来、神と人の間を取り持つという意味があるらしいが、神事を取り仕切ったことから、この名前が付いたのであろう。
ただ、彼らが取り持つのは神と人だけではなかった。
彼らの主な職は、大王と臣下の間を取り持つ前事奏官、つまり臣下の言葉を大王に伝奏し、大王の言葉を臣下に下達することであったらしい。
『中臣氏系図』には、御食子が前事奏官兼祭官であったと記載されている。
祭官として大王の傍に仕えていたから前事奏官となったのか、前事奏官で傍に使えていたから祭官となったのかは分からないが、この前事奏官は、大王の言葉を直接聴くことができるので、重要な職であった。
ただ中臣氏は、あくまで大王に使える連集団、即ち家臣団の一氏族に過ぎず、同じ連姓を持ち、武力で大王に使えた大伴・物部氏のような政治的権力は持っていなかった。
ところで鎌子の名前であるが、『日本書紀』には、彼の名前は当初から「鎌子」であり、彼が「鎌足」と呼ばれるようになるのは、孝徳天皇から紫冠と封八千戸を賜った時からであるので、彼の本名は「鎌子」であったのだろう。
または、「子」や「足」は尊称であるという見方もあるので、「鎌」と呼ばれていたのかもしれない。
彼の出自であるが、これは謎が多い。
『藤氏家伝』は、彼を「大倭国高市郡」の出身としている。
しかし、『多武峯縁起』では、「大和國高市郡大原藤原第」の生まれとしながらも、「常陸國鹿島郡」の出身という説も記載している。
『大鏡』は、彼が常陸国出身としている。
『常陸國風土記』にも、常陸と中臣の関係を記している。
また、鹿島神宮の宮司も大中臣氏が受け持ち、その後、中臣鹿島氏が定着している。
鎌子が常陸國出身者であったかどうかは定かではないが、中臣氏が常陸と何らかの関係にあったことは間違いないようだ。
なお、藤原氏の庇護を受けた春日大社は、本殿に四柱を祀るが、その第一殿には鹿島神宮から迎えた武甕槌命を祀っている。
因みに、藤原氏の始祖であるといわれる天兒屋根命は、第三殿に祀られている。
0
あなたにおすすめの小説
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる