法隆寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
114 / 378
第二章「槻の木の下で」 後編

第5話

しおりを挟む
 春、それは花々が咲き乱れ、虫や動物たちが跳ね踊る季節である。

 日差しが柔らかく大地を照らすと、人の心も楽しくなるものである。

 弟成の周りでも、久しぶりに愉快なことが起こった ―― 雪女が、岡本の奴の忍人おしひとと夫婦になったのである。

 結婚というものは政略あるいは家同士のもので、本人たちの自由はない………………というのは大きな間違いである。

 この当時においては、結婚は好きな者同士の自由形態であった。

『隋書倭国伝』にも、「男女相悦ぶ者は即ち婚をなす」とあり、この自由な恋愛感が、『萬葉集』に載るような牧歌的な恋歌を生み出した要因である。

 しかし、これが大王家や有力豪族まで当て嵌まるかと言えば、否定せざるをえない。

 彼らの第一の目的が、家の存続である。

 政略結婚も、本人同士が望まない結婚もあったろう。

 だが『萬葉集』を見ると、そのような結婚に対する抑制が、逆に彼らを激しい恋に奮い立たせたようだ。

 では、自由結婚をした者が全て幸せになったかというと、決してそうではなかったようだ。

『隋書倭国伝』には、「婦人淫妬せず」と書いているが、大化二(六四六)年三月に、妻子が夫に離婚されたとか、妻に去られた男はとか、妻が姦通しているとかの旧風俗について改めるようにとの詔が出されているので、夫婦間のことが大きな問題となっていたのだろう。

 自由な結婚も、離婚も、恋愛も、嫉妬も、いまもむかしも変わりないのである。

 雪女の嫁入りは、五十歩も歩かないうちに終わってしまった。

 嫁入りといっても、三軒先の奴婢長屋に生活場所を移すだけである。

 朝、雪女は、廣成と黒女に一通りの挨拶をすると、少しばかりの荷物を持って、忍人が住む長屋の前まで行き、長屋の前でちらちらと燃えている焚き火を跨いで、長屋へと入って行った。

 これで、雪女と忍人は晴れて夫婦となった。

 その夜は宴会である。

 廣成も、黒女も、弟成も、忍人の長屋に集った。

 奴婢長屋には、雪女や忍人の親族だけではなく、友人たちも多く詰め掛けていた。

 中には、全く関係のない人物までいたのだが、誰もそんなことには拘らなかった。

 楽しく飲めればそれでいい。

 それが、彼らの酒の飲み方だ。

 奴婢長屋は賑わった。

 幸せな二人を前に、大いに賑わった。

 奴婢たちは、久しぶりの楽しい酒宴に、しこたま酔っ払った。

 弟成も、出された飯をめい一杯食った。

 こんな時でなければ、腹一杯食うことなど不可能だ。

 彼は、黙々と食った。

 そして、食いすぎて、腹が張って気持ち悪くなったので表に出た。

 戻してしまいそうだが、弟成はグッと堪えた。

 そんな勿体ないことができるか。

 彼は、両手で口を押さえて、じっと座っていた。

 長屋からは、男たちの大きな話し声と、女たちの笑い声が聞こえる。

 月は、今日も美しい。

 しばらく休んだので、気分が大分楽になった。

 楽になったらまた腹減ったようで、これならあと少しは食えるかななどと思った。

「弟成、大丈夫、気分悪いの?」

 雪女の声であった。

 弟成は驚いて、再び飯を戻しそうになり、また両手で口を塞いだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...