法隆寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
206 / 378
第四章「白村江は朱に染まる」 前編

第11話

しおりを挟む
 斉明さいめい天皇の治世六(六六〇)年九月五日、百済から逃れて来た百済の臣下と沙弥覚従さみかくじゅによって、百済の国難が奏上された。

「百済が滅びた経緯は分かりました。それで、覚従殿、残された群臣は如何しているのです?」

 宝大王は、覚従に訊いた。

「はい、群臣の方々、悉く兵を上げ、唐・新羅軍に抵抗しております。特に、西部恩率せいほうおんそち鬼室福信きしつふくしん殿は任射岐山にぎきのむれに、達率余だちそつ自進よじしん殿は中部久麻怒利城ちゅうほうくまぬりのさしに立て籠もり、離散した兵も続々と集結して来ております。武器も、先の戦さで尽きましたが、棓を持って戦い、唐・新羅軍から新たに武器を奪いました。いまは、福信殿らは、百済国民とともに王城を守っています。国民も、『佐平福信、佐平自進』と呼んで尊敬しております。これも偏に、福信殿の神武の力によるところが大きく、滅びた国を興すことができたのでございます」

 これを聞いた宝大王は、すぐさま群臣を集め、百済の国難に如何対応すべきか下問させた。

「古来より、百済は我が国とは兄と弟の関係。弟が窮地に立たされている時に、これに手を貸さない兄がいましょうか? いますぐ援軍を組織し、福信を助け、百済を復興させるべきです」

 これは、中大兄の意見であった。

 これに対し、中臣鎌子は、

「しばらく! 確かに百済と我が国は深い関係にありますが、百済からの正式な救援要請はまだないわけですし、鬼室殿も奮戦中ですので、いましばらく様子を見るのが妥当かと思いますが」

 と、百済救援に対し、婉曲に反対した。

「奮戦しているいまだからこそ、救援を送るのだ。福信が敗れた後に救援を送ったところで、後の祭りだぞ」

「百済復興の援軍となれば、大規模な兵を送らなければならないでしょう。しかも、唐・新羅軍を相手にするのならば、それ相当の覚悟が必要になります。幾万の我が国の民の命を賭けるほどの、価値がありましょうか?」

 それは、鎌子を中心とする難波派と、中大兄を中心とする飛鳥派の対立であった。

「確かに、内臣殿の言われるとおり、唐・新羅軍を相手にするからには、それだけの損害は覚悟しなければならないでしょう。しかし、百済が滅びれば、我が国は半島への影響力を失います。この方が、我が国にとっての損害が大きいのではないでしょうか?」

 と、中大兄を支持したのは蘇我赤兄そがのあかえであった。

 その後も、援軍派遣支持と派遣反対で双方の意見が出されたが、折り合いが付かず、最終的に鎌子の、

「百済からの正式な救援要請があるまでは、詳細な情報収集にあたるべきでしょう」

 との意見を宝大王が採用して、その場は解散となった。

 十月に入り、福信は、佐平貴智きちを派遣し、正式な援軍要請と、倭国に人質として派遣した余豊璋王子の送還を求めた。

 これに対し宝大王は、鎌子の言を採用して、形ばかりの援軍を豊璋王子の護衛に付けて派遣することに決める。

 しかし名ばかりの援軍であるが、百済や国内の渡来人の手前もある。

 全く役に立たない援軍を送っても、飛鳥の政治能力が疑われ、渡来人が離反しかねない。

 名目だけだが、百済や国内の渡来人を納得させるような人材が必要だ ―― そのため、倭国と渡来人を代表する二名の将軍の名前が必要となる。

 と同時に、飛鳥派と難波派の息が掛かった人材が必要であった。

 中大兄は、倭国の代表として狭井檳榔を推挙した。

 彼の一族は、物部氏の傍系であり、彼自身、優秀な武人である。

 そして渡来人の代表として、鎌子は朴市秦田来津を推挙したのである。

 鎌子は、数十年前の正義感に燃える田来津を思い出し、彼ならば持ち前の正義感で、名目上の援軍の将軍という難しい役柄を演技なくこなしてくれるだろう、そうすれば援軍は一応の形がつくと考えたのである。

 この意見は大王に聞き入れられ、檳榔と田来津が、豊璋王子の護衛兼援軍の将軍として選ばれたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

江戸の老人ホーム(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
 木下弥左衛門は、隠居暮らしに淋しさを覚える暮らしをしている。彼はかつて、上意討ち代行をおこない、危険と隣り合わせの日々を送っていた。上意討ち代行は名前の通り、上意討ちを代行する。家中に仇をなして出奔した者を、当主の依頼、あるいは上意討ちを命じられた者の要請を受けて当該の者を討ち取り謝礼をもらっていた。   他方で、そんな彼はのちにいう老人ホーム、介添え長屋に住んで仲間と穏やかな毎日を過ごしている。そんな彼は、胃がんを患う。だが、死を覚悟することを習いとしていた彼は、その事実を静かに受け入れる。死ぬまでに何ができるか、と考える。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...