法隆寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
351 / 378
第五章「生命燃えて」 後編

第19話

しおりを挟む
「額田様は、如何ですか?」

 額田姫王は、「えっ? 私ですか?」という驚いた顔をしていた。

 それもそのはず、いくら歌の名手といわれる額田姫王でも、漢詩は無理だ。

 鎌子も焦っていたのか、額田姫王に振った瞬間、「仕舞った!」というような顔をした。

 だが額田姫王は、一瞬驚いた顔をしたものの、すぐさまにこりと微笑み、

「いつもの歌でよろしければ……」

 と断ったうえで、詠いだした。

 

 

  冬ごもり 春さりれば 鳴かざりし 鳥も来鳴きなきぬ

   咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず

   (春がやってくると、冬の間鳴かなかった鳥も、鳴きにやってきます。

    咲かなかった花も、咲き誇りますが、山が生い茂り、入って行って取ることもできませんし、

    草が深くて、手に取ってみたくてもできません)

 

 

 と聞いて、なるほど春山は美しいが、その美しさを手のすることができずに妬いているのだな、これは「秋山」が優勢なのだと、安麻呂は思った。

 

 

  秋山の 木の葉を見ては

   黄葉もみじをば 取りてそしのふ 青きばを 置きてなげく そこし恨めし

  (秋山の木の葉を見ていると、紅い葉は手に取って愛でますが、

   青い葉はそのままにし嘆息します、そこが残念ですね)

 

 

 安麻呂は、首を傾げた。

 秋山の紅葉は美しいが、緑の葉が残っているところがあるからと、ため息を吐く………………秋山を憂いている?

 額田姫王は、「春山」派なのか、「秋山」派なのか、それとも優劣つかずで終わらせるのか………………彼は、じっと次の言葉を待つ。

 宴席にいる者も同じだ。

 額田姫王の次の一言を待っている。

 さっきまで「歌なんて、俺達には関係ない」と、酒を飲んで馬鹿騒ぎしていた連中まで、聞き耳を立てている。

 皆の視線が集まる中、額田姫王はすっと息を吸い、薄っすらと目を開け、

 

 

  秋山ぞわれは

  (私は、秋の山のほうが美しいと思います)

  (『萬葉集』巻第一)

 

 

 凛とした声で言い切った。

 淡海に彼女の声が響き渡ったあと、拍手喝さいが起こった。

 安麻呂も、うんと唸った。

 春は良いとみせかけ、春の欠点を指摘し、では秋が良いかと思えば、秋の欠点も指摘する。

 では、どちらなのだとみんなが固唾を呑んだところで、私は秋だ、と!

「さすがは額田様だ!」

 安麻呂は、思わず叫んでしまった。

 大伴のお歴々に睨まれてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

江戸の老人ホーム(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
 木下弥左衛門は、隠居暮らしに淋しさを覚える暮らしをしている。彼はかつて、上意討ち代行をおこない、危険と隣り合わせの日々を送っていた。上意討ち代行は名前の通り、上意討ちを代行する。家中に仇をなして出奔した者を、当主の依頼、あるいは上意討ちを命じられた者の要請を受けて当該の者を討ち取り謝礼をもらっていた。   他方で、そんな彼はのちにいう老人ホーム、介添え長屋に住んで仲間と穏やかな毎日を過ごしている。そんな彼は、胃がんを患う。だが、死を覚悟することを習いとしていた彼は、その事実を静かに受け入れる。死ぬまでに何ができるか、と考える。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...