法隆寺燃ゆ

hiro75

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第五章「生命燃えて」 後編

第42話

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 飛鳥に戻ってきたのは、何年振りだろうか?

 やはり近江とは風が違う。

 黒万呂は深呼吸をし、しばし故郷の匂いを楽しんだ。

「おい、黒万呂、早く来い!」

 大伴朴本大国連おおとものえのもとのおおくにのむらじの従者である久米部大津くめべのおおつに呼ばれ、はっと我に返って駆けだした。

「早く来い! 御行様がお呼びなんだぞ!」

 早足になる大津のあとに、急いで着いていく。

 帰ってくれば、すぐにでも八重女に会えると思ったのだが、どうしたものか、その前に大伴のお偉いさんに会えという。

 数日前、飛鳥から大国の部隊は急いで帰還せよとの命が下った。

 あわせて、帰還したならば、黒万呂という兵士は、御行のもとへ参上せよと言われた。

『なぜ、俺が?』

 と、黒万呂は不思議がった。

『さあ……』

 と、大津も首を傾げた。

『兎も角、飛鳥に戻ればわかろう』

 というわけで、急いで戻り、御行のもとへ参上したのである。

 大広間に入ると、目の前には大伴御行という黒万呂を呼び出した、厳つい男が座っていた。

 左右には、これまた怖い顔をした男たちがずらりと座っている。

 一番末席ではあるが、黒万呂の現主人たる大国もいる。

「それが、黒万呂か?」

 御行が尋ねると、大国が「御意に」と答えた。

「黒万呂とやら、そなたは、もとは斑鳩寺の奴婢と聞くが、相違ないか?」

「は、はあ……」

 委縮して小さな声で答えると、後ろに座っていた大津から、

「馬鹿者、はっきりとお答えしろ!」

 と、怒られた。

「そうです」

「うむ、ではそなた、斑鳩寺のことに詳しいか?」

「詳しいわけやないけど、何度か寺に入ったことがありますから」

「なに? 奴なのに、寺に入ったか?」

「いや、寺の坊さんが入れというから……」

「なるほど、では寺の配置など知っておるのだな?」

「全部やないけど、ある程度は……」

 黒万呂は、訊かれるままに、正直にすべて答えた。

 御行は、左右の男たちと目配せし、頷いた。

「よし、ならばそなた、先鋒となって案内せよ」

 黒麻呂は、何を言われたか意味が分からず、大国を見た。

「今度の標的は、斑鳩寺だ」

「標的……、まさか、お寺に火を付けるのですか?」

 大国は、当然だと言わんばかりに頷いた。

「そ、そないな……、なんでそないなこと……」

 近江での火付け行為でも嫌なのに、なぜ所縁のある寺に火を付けなければならないのか?

 大体あそこには、黒麻呂の家族 ―― 弟たちの家族もいるし、むかしの仲間もいる。

 それに、これ以上火付けをやるのは嫌だ。

 八重女にも会わせる顔がない。

「お、俺は、そないなこと……」

「黒麻呂、嫌とは言わせんぞ」、大国が睨みつけてくる、「大蔵まで火を付けたのだ、そなたも共犯、もはや逃れることはできんのだぞ」

「そ、そやけど、俺は……」

「黒麻呂、これは我が国開闢以来の政を守る為なのだ」

 そんな国のことなんか、自分には関係ない。

 八重女と幸せになれれば、それでいいのだ。

 これ以上、罪を重ねたくはない。

 それを察したのか、御行が口を開く。

「黒麻呂、そなた、わが妹の八重子と同じ斑鳩の奴婢らしいな。八重子と懇意にしておるとか?」

 八重子の名が出てきたので、黒麻呂はぎくりとし、完全に固まってしまった。

「そなたと八重子の事情、わしらが知らぬと思ってか?」

 完全にばれている ―― 八重女とのことが………………

「もと婢といえども、八重子はいまや大伴氏の娘。そなたは、大伴のいち兵士。その兵士が、貴人の娘に手を出したとなれば、どうなるか知らんではあるまい?」

 もちろん、命はないだろう。

「さあ、どうする?」

 冷たい汗が、背中を伝っていく。

 みんなが、黒麻呂の返答を待っている。

 大国に至っては剣を引き寄せ、黒麻呂の返答によってはその場で首を撥ねるつもりだろう。

 命は惜しい。

 だが、寺の仲間たちに危害が加えられることは避けたい。

「返答出来ぬか、ならば……」

 大国が剣を持って立ち上がろうとすると、御行が止めた。

「まあ、待て。黒麻呂」、呼ばれて体を震わせた、「もしだ、もしお前がやるというのなら、八重子とのことは考えてもよかろう」

「えっ……、それは……?」

 黒麻呂は、はっと顔を上げて御行を見た。

「斑鳩寺襲撃のあと、おぬしは八重子を連れて、どこにでも行くがよい」

「ほ、ほんまですか? 本当にええんですか?」

 御行は頷く。

 八重女と一緒になれる。

 好きな女と一緒になれる。

 お天道様のもと、手を握り、堂々と生きていける。

 ―― 俺の望んだ人生だ。

 奴婢であれば、こんな人生は歩めなかっただろう。

 大伴の兵士となったから、こんな機会が巡ってきたのだ。

 嫌な仕事でも、きっちりとこなしてきたら、お天道様が見ていてくれたのだ。

 黒麻呂は、はっきりと答えた。

「やります! やらせてください!」

 彼の頭には、八重女との新しい生活のことばかりで、もはや斑鳩でともに生活した家族や仲間たちのことはなかった。
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