黒髪慕情

hiro75

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第1話

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 爽秋の風が吹き抜けた。

 女の黒髪が靡き、竹林の木洩れ日を受けて艶やかに輝いた。

 見惚れてしまった。

 女というものに然したる想いを抱かないこの私が、心を奪われてしまった。

 目の前で起こっている状況を思わず忘れさせてしまうほど、女の黒髪は美しかった。

 麻衣の小袖に、しびらを腰に巻き付けただけの女だ。

 足下は素足というみすぼらしい姿だ。

 だが、うなじの辺りを元結で結び、腰の窪みまで垂らした黒髪は、貴人を思わせるほどの品を具えていた。

 女は、四人の侍に囲まれていた。

 懐には、これまた黒髪の美しい童女が、小さな肩を震わせて女の白い首筋に顔を埋めている。

 黒髪の女は、その子を確りと抱きかかえ、藤色になった薄い唇を吽形像のごとくぐっと閉じて、凛とした瞳で侍たちを睨みつけていた。

 望月のように真ん丸な頬は幾分あどけなさを残すのだが、涼しげな鳶色の瞳は幼子を敵から守る母獅子の目であった。

 足下には竹かごが転がり、山菜や茸が散らばっている ―― 恐らく、山からの帰りであったのだろう。

 親子のことは見知っている。

 名までは知らないが、私が厄介になっている修禅寺の片隅に、小さな小屋を建てて暮らしている母と娘だ。

 夫はいないようだ。

 寺の下女である。

 女人禁制とは言いながら、裏では妻帯している堂衆もいるので、誰かの妻と娘かもしれない。

 案外、恵妙和尚の女ではないかと私は勘繰っている。

 男たちのほうも、私はよく知っている ―― 鎌倉方から遣わされた金窪太郎行親と、その家来衆である。

 鎌倉方とは語弊がある。

 北条方、尼御台様(北条政子)の遣いである。

 私の仏像造りの遅さに痺れを切らされたのだろう。

 金窪らを送り込んで、毎日のように催促である。

 尼御台様は分かっておられぬ。

 急かされれば急かされるほど、やる気が起きなくなるものだ。

 渋柿を食らったようなしかめっ面の連中に周囲をうろちょろされては、なおさら捗らないというもの。

 仏像造りは、それほど繊細なものなのだ。

 特に、口元にむさ苦しい髭を生やした金窪の渋面に睨みつけられれば、心が萎えてしまう。

 女子どもであれば震え上がってしまうだろう。

 現に、女の懐に蹲っている童女は、黒目勝ちの大きな瞳を潤ませて、可哀想なくらいに胴震いしているではないか。

 金窪は、緒太をじりじりと鳴らして女と子どもに近付く。

 似合いもしない柑子色の直垂を身に着け、腰には四尺近い太刀をぶら下げている。

 その長い太刀が彼の自慢なのだそうだ。

 家来衆も囲みを狭めていく。

 女とその娘が、どうしたというのであろうか?

 侍たちに無礼でも働いたか?

 それとも、欲望に任せて女を慰み者にしようというのか?

 ここは寺の領内である。

 どちらにしても、感心できた話ではない。

 四人の屈強な侍が、武器も持たぬ哀れな母子を白昼堂々と取り囲み、乱暴狼藉を働こうというのだから、なおのことである。

 この態だから、領内での北条方の侍の評判は良くないのだ。

 御家人という名を笠に着て、あちらこちらで悶着を起している。

 先日も、村の娘が乱暴されたとかで、親から恵妙和尚に訴えがあった。

 和尚は金窪らを問い詰めたが、素知らぬ顔であったらしい。

 普段は穏やかな和尚も流石に立腹して、

「これ以上もめごとを起されるなら、鎌倉に訴えますよ」

 と厳しく責めたということだ。

 しかし、懲りない人々のようだ。

 同じ男として恥ずかしい。

 とは言うものの、如何にすべきか?

 母子を助けるといっても、侍相手に私ごときが手を出せるわけもなし。

 鑿の一本でもあれば心強いのだが、生憎、桂川の上流にある湯に浸かった帰りだ。

 垢すら綺麗に流れている。

 見なかった振りをしてそのまま通り過ぎるか、と思ったが、金窪のほうがこちらに気づいたようである。

 厄介なことにならねばよいが。

 「実慶殿か?」

 金窪の声に、男たちは一斉に振り返った。

 女も私のほうを見た。

 助かったと思ったのか、頬に僅かばかり紅がさし、鳶色の瞳には幾分安堵の色が見て取れた。

 助けになればよいのだが、四人の侍相手ではそうもいくまい。

「これは金窪殿、女遊びには、まだ日も高過ぎましょう」

 嫌味の一つでも言ってやらねば、こちらの気もすまなかった。

 金窪は、毛虫のような口髭をぐいっと引き攣らせて、私を睨みつけた。

「ぬしの知らぬこと。変に気を回される暇があったら、早く仏像を造られることですぞ」

「早く造り上げたいのは山々なのですが、周囲に渋い顔をされた連中が屯されると、どうにも集中できなくて」

 渋い顔が、さらに渋くなった。戯れ言の言いがいがある人だ。

「それは兎も角、ここは修禅寺の領内。神聖な場所で、女子どもを捕まえて、どうのこうのしようというのは、いささか感心しませぬな」

「何を」

 男たちは右足を踏み出し、太刀の柄に手を掛けた。

 やれやれ、これだから武士は嫌いなのだ。

 自分たちの都合が悪くなると、すぐさま腰の物に頼る。

 話し合いも何もあったものではない。

 日常茶飯事だ。

 こんなことで一々びくついていたら、この世では生きていけない。

 ここは、どんと構えて、恐れていないところを見せつけるのが侍と渡り合う方法である。

 一歩でも下がったら、弱みに付け込まれるか、ばっさりやられるかだ。

 膝が震えて動けないというのもあるのだが。

 首筋に浮かんだ汗が、背中に流れ落ちていくのが分かった。

 湯から上がってきたばかりだというのに、嫌な汗を掻いてしまった。

 もう一滴、背中を濡らしたときだった。

「実慶殿、如何なされました」

 聞き覚えのある優しい声が耳に入った ―― 恵妙和尚である。

 振り返ると、まさしく和尚の柔和な顔がそこにあった。

 地獄に仏とはこのことだ。

「おや、これは金窪殿、とその御家来衆。はて、アヤメまで。その娘が如何いたしましたかな、金窪殿」

 和尚は、金窪とその後ろで娘を抱いて佇んでいた女の顔を交互に見た。

 私は、そのとき初めて女の名をアヤメと知った。

 アヤメは、安堵の表情をしていた。唇も赤みを帯びている。

「いや別に」

 金窪は、侍たちの手を下ろさせた。

 先日の一件があるので、和尚を無視するわけにもいかないのだろう。

「そうですか」

 和尚は微笑み、アヤメに寺に帰るように促した。

 彼女は、抱きかかえていた娘を下ろすと、散らばった山の幸をかごに掻き入れ、子どもの手を引いて、黒髪を靡かせながら飛び跳ねるようにして駆けていった。

 侍たちも、私と和尚に鋭い一瞥を与えて、寺とは反対の小径をだらだらと上がっていった。

 男たちが立ち去ると、辺りは急に静けさを取り戻した。

 金風が吹き寄せ、さわさわと涼やかな音が耳朶を擽る。

 汗で湿ったうなじに風が吹き付け、ひんやりとして心地良い。

 朽葉色の小径に、青竹色の斑が浮かび上がった。

 人心地ついたところで、和尚に礼を述べた。

「いやいや、何も、何も。こちらこそ、あの娘を助けていただいたようで」

 逆に頭を下げられたので、恐縮してしまった。

「いえ、とんでもない。和尚様に来ていただけなければ、今頃、娘とともに膾になっておったところですよ。しかし、何でしょうか、あれは」

 金窪の所業について言ったつもりだったのが、和尚は違うことを考えていたようだ。

「うむ、あれは可哀想な娘でね」

 と一言こぼし、寺に向って歩き出した。

「可哀想な娘とは、どういうことですか」

 和尚の背中に問いかけてみたが、振り返ることもなく道を下っていった。

 竹林にひとり取り残された私の耳には、笹の擦れ合う音とともに、桂川のせせらぎが冷たく響いてきた。
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