3 / 13
3
しおりを挟む
少々長い話になるから歩きながら話すよ、とヒュー・バードは言った。
キース・ビー警部補に注意されたローラースケートを肩に掛けて二人はテレグラフ・エージェンシー社への道を歩き始める。
「エド、俺の父親はサセックスの教区牧師だったんだ。ある理由から――ひどくまずいことをやらかしてその職を解かれてロンドンにやって来たのさ」
ここでクスッと鼻を鳴らす。
「親父が牧師をクビになった理由を聞きたいかい? そっちのほうが興味深いかもな」
「え? いや、僕はその」
「夫ある若妻と恋に落ちたせいさ。手に手を取って駆け落ちしたんだ。中々やるだろ?」
自分はロンドンで生まれた、とヒューは短く言い足した。
「いい親父だったよ。特に聖金曜日は最高だった」
「?」
話の内容がつかめなくて鼻に皺を寄せるエドガー。
〈聖金曜日〉は復活祭前の金曜日のことだ。キリストの死んだ日だから〈受難日〉とも言う。キリストは金曜日に死んで三日後の日曜日に復活した。だから聖金曜日の三日目が〈復活祭〉。この復活祭こそキリスト教徒にとっては最も重要で晴れやかな祝祭日となる。だが、『聖金曜日が最高』とヒューは言った。どういう意味だろう? 聖金曜日は唯一、教会でミサを執り行わない日でもある。代わりに聖体とされるパンの欠片を神父さんからもらうのだが、それがそんなに最高とは思えない――
馬鹿な返答をしてヒューに嫌われたくない。懸命に考えを巡らせるエドガーをヒューはじっと見ていた。
ちょうどペパーミント水売りのワゴンと擦れ違ったのでヒューは足を止め、2本買って1本をエドガーに差し出した。
「ほら、まず、汗を拭ってこれでも飲めよ」
「ど、どうも、ヒュー」
ひゃー、メッセージを届けに走り廻っている時より汗だくになっているとは! 情けなくもエドガーは有難く頂戴した。ひんやりしたペパーミント水が体中に染みわたる。
「やっぱり、ロンドンっ子のおまえは知らないんだな」
ヒューも一気に飲みほして、言った。
「いいか、よく聞けよ。親父の出身のサセックスでは聖金曜日には老人から子供まで男は誰もが通りに出てマーブル遊びをやる習わしがあった」
「へー、そうなの?」
「それ故、親父は故郷を離れてからも、その日は息子の俺と一緒にマーブル遊びに興じたのさ。ああ、ほんとに楽しかったな!」
「うん、それは楽しそうだ。もうやらないのかい、ヒュー? 今年の聖金曜日は過ぎちゃったけど……」
今年の聖金曜日は確か4月4日だった。今は6月である。
「来年はぜひ僕も呼んでほしいな」
「今年どころか」
ヒューは肩を竦めた。
「ここ3年やってない。親父が死んじまったからね。慣れない屋根の修理を請け負って、落ちて首の骨を折っちまったのさ。馬鹿だよな」
「ごめん、ヒュー、僕――」
結局、またやっちまった。なんでこんなに頓馬で会話が下手なんだ、僕は。
バツの悪い思いで口籠るエドガーにヒューは素晴らしい笑顔を向けた。
「そうだな、一人でやってもつまらないと思ってたけど、おまえが来るっていうなら来年はまたやってもいいな! 新しいマーブルも手に入ったし」
例の紙袋を入れたポケットをジャラジャラ鳴らす。それから真剣な顔に戻って言った。
「だが、その前に、僕ら二人で、シーモア氏を刺殺して宝を盗んだ犯人を見つけようぜ」
ペパーミント水の空き瓶をワゴンの店主に返してエドガーが戻って来るのを待ってヒューは話を再開した。
「元牧師の親父からこの種の話を聞いてたから、俺は室内にばら撒かれていたマーブルは何らかの暗示……しかも、宗教なり聖書に関わりがあることじゃないかと思ったのさ。そう考えた途端、もう一つの謎も解けた」
ヒューはほっそりと形の好い人差し指をピンと立てる。
「シーモア氏が右手に掴んでいたガウンの意味だ」
「えー、どんなこと?」
「実は、あれも聖金曜日に繋がるんだよ。聖金曜日にサセックスではマーブル遊びをやると言ったけど、そもそもそれをやるようになったのは、その日、聖金曜日に死んだキリストの〝衣〟を誰が手に入れるか争った兵士たちが賽子で勝負して決めた、その名残のせいらしい。つまり賽子がマーブルになった……」
「凄い、凄いよ、ヒュー! なんて物知りなんだ、君!」
ヒューは照れて黒髪を搔き上げた。チカッと灰色の瞳が煌めく。
「いや、これは全部、元牧師だった親父からの受け売りだけどな」
「それでも凄いことに変わりはないよ! これで床に蒔かれていた〈マーブル〉と右手の〈ガウン〉の意味するところはわかったじゃないか。となると、後は左手の〈本〉だね? そっちはどうなの、ヒュー、ぜひ教えてくれよ!」
興奮して問い質すエドガーにヒューは悲し気に首を振った。
「残念ながら、本についてはまだ全然わからない……」
テレグラフ・エージェンシー社に帰還すると――
こちらも凄かった!
キース・ビー警部補が予言した通りヒューとエドガーの二人は凱旋兵士さながらにモミクチャにされ、ほとんど肩に担がるようにしてロイター卿の待つ社長室まで運ばれた。
そこで昨夜のシーモア氏殺害現場発見時の状況を、警部補の解説も交えて事細かに報告した。まあそのほとんどはヒューが一人で語ったのだが。エドガーはボウッと突っ立っていただけ。
その後で二人は社長直々に特別ボーナスーーそれぞれ5ポンドーーを拝領した。
エドガーにとって何もかも、今まで生きて来た14年間で経験したことがない、初めて尽くしの、まさに夢のような出来事の連続だった。
キース・ビー警部補に注意されたローラースケートを肩に掛けて二人はテレグラフ・エージェンシー社への道を歩き始める。
「エド、俺の父親はサセックスの教区牧師だったんだ。ある理由から――ひどくまずいことをやらかしてその職を解かれてロンドンにやって来たのさ」
ここでクスッと鼻を鳴らす。
「親父が牧師をクビになった理由を聞きたいかい? そっちのほうが興味深いかもな」
「え? いや、僕はその」
「夫ある若妻と恋に落ちたせいさ。手に手を取って駆け落ちしたんだ。中々やるだろ?」
自分はロンドンで生まれた、とヒューは短く言い足した。
「いい親父だったよ。特に聖金曜日は最高だった」
「?」
話の内容がつかめなくて鼻に皺を寄せるエドガー。
〈聖金曜日〉は復活祭前の金曜日のことだ。キリストの死んだ日だから〈受難日〉とも言う。キリストは金曜日に死んで三日後の日曜日に復活した。だから聖金曜日の三日目が〈復活祭〉。この復活祭こそキリスト教徒にとっては最も重要で晴れやかな祝祭日となる。だが、『聖金曜日が最高』とヒューは言った。どういう意味だろう? 聖金曜日は唯一、教会でミサを執り行わない日でもある。代わりに聖体とされるパンの欠片を神父さんからもらうのだが、それがそんなに最高とは思えない――
馬鹿な返答をしてヒューに嫌われたくない。懸命に考えを巡らせるエドガーをヒューはじっと見ていた。
ちょうどペパーミント水売りのワゴンと擦れ違ったのでヒューは足を止め、2本買って1本をエドガーに差し出した。
「ほら、まず、汗を拭ってこれでも飲めよ」
「ど、どうも、ヒュー」
ひゃー、メッセージを届けに走り廻っている時より汗だくになっているとは! 情けなくもエドガーは有難く頂戴した。ひんやりしたペパーミント水が体中に染みわたる。
「やっぱり、ロンドンっ子のおまえは知らないんだな」
ヒューも一気に飲みほして、言った。
「いいか、よく聞けよ。親父の出身のサセックスでは聖金曜日には老人から子供まで男は誰もが通りに出てマーブル遊びをやる習わしがあった」
「へー、そうなの?」
「それ故、親父は故郷を離れてからも、その日は息子の俺と一緒にマーブル遊びに興じたのさ。ああ、ほんとに楽しかったな!」
「うん、それは楽しそうだ。もうやらないのかい、ヒュー? 今年の聖金曜日は過ぎちゃったけど……」
今年の聖金曜日は確か4月4日だった。今は6月である。
「来年はぜひ僕も呼んでほしいな」
「今年どころか」
ヒューは肩を竦めた。
「ここ3年やってない。親父が死んじまったからね。慣れない屋根の修理を請け負って、落ちて首の骨を折っちまったのさ。馬鹿だよな」
「ごめん、ヒュー、僕――」
結局、またやっちまった。なんでこんなに頓馬で会話が下手なんだ、僕は。
バツの悪い思いで口籠るエドガーにヒューは素晴らしい笑顔を向けた。
「そうだな、一人でやってもつまらないと思ってたけど、おまえが来るっていうなら来年はまたやってもいいな! 新しいマーブルも手に入ったし」
例の紙袋を入れたポケットをジャラジャラ鳴らす。それから真剣な顔に戻って言った。
「だが、その前に、僕ら二人で、シーモア氏を刺殺して宝を盗んだ犯人を見つけようぜ」
ペパーミント水の空き瓶をワゴンの店主に返してエドガーが戻って来るのを待ってヒューは話を再開した。
「元牧師の親父からこの種の話を聞いてたから、俺は室内にばら撒かれていたマーブルは何らかの暗示……しかも、宗教なり聖書に関わりがあることじゃないかと思ったのさ。そう考えた途端、もう一つの謎も解けた」
ヒューはほっそりと形の好い人差し指をピンと立てる。
「シーモア氏が右手に掴んでいたガウンの意味だ」
「えー、どんなこと?」
「実は、あれも聖金曜日に繋がるんだよ。聖金曜日にサセックスではマーブル遊びをやると言ったけど、そもそもそれをやるようになったのは、その日、聖金曜日に死んだキリストの〝衣〟を誰が手に入れるか争った兵士たちが賽子で勝負して決めた、その名残のせいらしい。つまり賽子がマーブルになった……」
「凄い、凄いよ、ヒュー! なんて物知りなんだ、君!」
ヒューは照れて黒髪を搔き上げた。チカッと灰色の瞳が煌めく。
「いや、これは全部、元牧師だった親父からの受け売りだけどな」
「それでも凄いことに変わりはないよ! これで床に蒔かれていた〈マーブル〉と右手の〈ガウン〉の意味するところはわかったじゃないか。となると、後は左手の〈本〉だね? そっちはどうなの、ヒュー、ぜひ教えてくれよ!」
興奮して問い質すエドガーにヒューは悲し気に首を振った。
「残念ながら、本についてはまだ全然わからない……」
テレグラフ・エージェンシー社に帰還すると――
こちらも凄かった!
キース・ビー警部補が予言した通りヒューとエドガーの二人は凱旋兵士さながらにモミクチャにされ、ほとんど肩に担がるようにしてロイター卿の待つ社長室まで運ばれた。
そこで昨夜のシーモア氏殺害現場発見時の状況を、警部補の解説も交えて事細かに報告した。まあそのほとんどはヒューが一人で語ったのだが。エドガーはボウッと突っ立っていただけ。
その後で二人は社長直々に特別ボーナスーーそれぞれ5ポンドーーを拝領した。
エドガーにとって何もかも、今まで生きて来た14年間で経験したことがない、初めて尽くしの、まさに夢のような出来事の連続だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる