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宝さがし11
しおりを挟む改めて黒沼久馬と山田浅右衛門が向井邸を訪れたのは大捕物の翌日のことである。
『悪辣な人攫い団を向井の海賊姫が一網打尽にした!』
お江戸中を風のごとく駆け巡ったこの噂がこれ以上広まらないようにとの向井家からの訴えを奉行所は快諾した。とはいえ、内密にお奉行直々の感謝の言葉を伝える役も担って、本日の久馬は黒羽織姿、浅右衛門は羽織袴を着用して、思えば初めて扮装無しの訪問となった。姫の希望で朽木思惟竹こと竹太郎も同行している。
例のごとく老用人の挨拶は手早く切り上げさせた安宅姫、待ちきれないと言うように瞳を輝かす。
「ではいよいよ、新たに気づいたという宝の在処についてお教えくださるのですね、山田様」
この日、姫の居室には浅右衛門と久馬、竹太郎の他に篠田俊介と大庭十郎――今回の宝さがしに尽力した面々が集まっている。
一同を見回して浅右衛門はまず前置きした。
「向井の殿様――安宅様のお父上は予めこの日が来ることを予想しておられたものと思います」
「というと?」
「宝の隠し場所を示す鍵は全て姫のこの部屋に仕込んでありました」
息をのむ一同。浅右衛門はゆっくりと指を差す。
「まずはその西洋時計――」
「壊れたままのこれのことですか?」
「故障しているかどうかはさておき、針は意図的にその時刻で止めてあるのです」
「二時に?」
そう、『虹のさす方を見る』が今回の宝さがしの肝だった。但し、この場合の〈にじ〉は、時刻の〈二時〉だ。
「その方向に何が見えますか?」
浅右衛門の問いに二時のさす方を見つめる美しい姫。
「欄間でしょうか?」
「欄間の模様は何ですか?」
「梅でしょう?」
思わず篠田が答える。姫も膝を乗り出して、
「では、宝は庭の梅の木の根元に埋められている?」
浅右衛門は首を振った。
「欄間の模様は一見、梅に見えますが、よくご覧ください。梅にしてはおかしい。少々歪んでいませんか?」
「確かに。下の花びらが大きくて上の四つが小さい……つぶれ梅、乱れ梅の類かしら? 庭にある変種の梅を捜せということですか?」
「梅に捕らわれず、形だけを素直にご覧ください。何に見えます?」
「あ!」
姫が叫んだ。
「猫! 猫の足跡?」
「ご明答。更に言えば欄間の下の襖絵はそのことをもっと明確に補足しています」
源氏物語第三十四帖若菜・上の場面から採った、御簾を揺らして逃げ出す猫の図。
「さて、猫は何処へ行くのでしょう?」
「外……庭……変わった梅の木のある場所?」
「もっと単純にお考え下さい」
「ひょっとして我が邸の猫部屋、〈繋ぎの間〉ですか? そう言えば」
安宅の円らな瞳が瞬いた。
「あそこの欄間はこの部屋と同じ文様だわ!」
一同はすぐさま〈繋ぎの間〉へ走った。
この時刻、猫たちは好き勝手に出歩いている。四畳半の小部屋は空っぽで四方の襖が全て開け放してあった。浅右衛門はその部屋の唯一の家具、水屋箪笥を開けた。
先日、篠田が見せてくれた時と同様、中には器が並んでいる。その中の一つを浅右衛門は慎重に取り出した。
「これが、お父上が盗み取った宝かと思います」
「こ、これは」
久馬が目を瞠る。
「ある意味、浅さんが、池がアヤシイ――池に感じるところがあると言った、あの読みは当たっていたんじゃないか?」
眼前に出現した器は庭の池そっくり、まさに庭の池を小さくした形……
濃紺の泉の水底に燦燦と得も言われぬほど美しい煌めきを宿した椀だった!
「宝の正式な名は耀変天目茶碗。南宋時代、閩県の健窯で焼かれ、遙々我が国に運ばれた至宝中の至宝です。中国本国には既に現存せず我が国にのみ数点伝わっているとか。私が訊き及んでいる一点は家光公より下賜された淀藩主稲葉家に伝わるもの」
「こちらの椀の所蔵主は京都大徳寺塔頭龍光寺です」
続けたのは安宅だ。
一同さざめいた。
「姫、ご存知なのですか?」
「実物を見るのは今日が初めてです。ですが、私はもっと知っています。父は十六年前、幕命で京都滞留中、これを一目見て心奪われ、我が物にしました。紛失が発覚した寺では寺侍の一人が己の不始末を悔い責任を取って切腹しています。その者の名は久貝俊光」
ここで安宅は一度言葉を止めた。
「我が乳母、篠田仙の夫、そして、あなたのお父上です。仙は夫の無念を晴らすべく遺児とともに我が家へやって来たのです」
篠田俊介は暫し言葉が出なかった。
長い沈黙の後、遂に篠田は言った。
「姫、何故それを?」
「仙本人が話してくれたからです」
篠田だけを見つめて姫は言葉を継ぐ。
「仙は、病のため宿下がりをする際、涙ながらに私に明かしました。あなたのお父上、久貝利光殿は自刃するに当たり妻に告げたそうです。心を許し、請われるまま秘宝の器を見せた己の不始末だと。最後まで、唯、己の不徳を責め、恨み言は一切なかったと」
安宅は膝の上で白い指を組んだ。
「仙は、夫の死後、何とか器を取り戻し夫の無念を晴らしたいと乳飲み子を抱えて、夫から聞いた名だけを頼りに江戸へやって来た……」
――乳母として潜入できた、ここまでは良かったのですが。乳を与え、慕ってくださる姫様、日毎スクスク大きくなられる姫様が愛おしくて……その傍らで一緒に育つ息子の幸せそうな顏にいつしかこの上もない喜びを憶えました。ここで過ごした十六年、嘘偽りなく仙は仕合わせでございました。夫の汚名を雪げなかった妻としての不甲斐なさはあの世で夫に詫びるつもりです。ですがその前に、命あるうちに今こそ姫様と殿様を騙し続けたことをお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
――あなたが謝る必要などありません。謝るべきは私、そして父です。ああ、仙、こんな辛い思いをさせてごめんなさい。あなたは私のかけがえのない母です。この件は私が納めて見せます。あなたは安心して療養に勤めなさい。
「もう全てお分かりなのでしょう、浅右衛門様?」
向井安宅は浅右衛門に向き直った。
「あの脅し文は私が書きました。父に探りを入れ、盗品の隠し場所を知ろうとしたのです。とはいえ私一人の力ではここまで辿り着け着けなかったでしょう。貴方様と、そしてここにいる皆様のおかげです。心より御礼申し上げます」
畏まって頭を下げる安宅姫。白い項を上げた刹那、姫はツッと宝を篠田に差し出した。
「さあ、直ちにこれを持ってお行きなさい」
「え?」
「本来の持ち主に返して来るのです」
篠田は喘いだ。
「し、しかし、これは、現在は殿のもの――」
姫は首を振る。
「否、私のものです。奪い取った物は自分の物、それが我が向井家の家訓なれば。その私物をどう使おうが勝手です。父は豪胆にも猫の器として楽しんだ。私は――」
姫はここで初めて瞳を伏せた。
「私は大切な人に返します。どうか我が父の傲慢な振る舞いをお許しください。あなたのお父上の命を奪い、仙――お母上の心を十六年間、私への情と夫君への想いの間で千々に懊悩させ続けた……どんなに辛かったかと悔やまれてなりません。私はその酷い男の娘ですが」
顔を上げ用人補佐の双眸をまっすぐに見つめて向井安宅は言い切った。
「そんな私と生涯を共に歩んでくれませんか? 私がそう望む人はあなたしかいません」
「姫……」
「だから、必ず戻って来て。でもこれは命令ではありません。選ぶのはあなたです。今回、私は懇願することしかできない。お願い、必ず戻って来て」
澱みの無い声で姫は繰り返した。
「その日まで、私はあなたの母上の傍で待っております」
「――……」
倒れ込むように篠田は猫の部屋の畳に平伏した。
数刻後、宝を持って篠田は慌ただしく京へ旅立って行った。
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