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第二章:『永久の庭』
十二
しおりを挟む王国にも春が来て、雪が溶けだし、微細な氷の粒が隠していた土や若葉がその結晶の隙間から顔を覗かす頃、シルメリアは王都への旅支度を整えて、ミロスの庭に寄る。
ミロスは毎度この庭から出ることはなく、成長した人間の娘の背をただ見送ることにしている。
「じゃあ、しばらくの別れですね。先生、今まで本当にお世話になりました」
「ああ。なに、心配はいらない。君は立派な私の教え子なのだ。誇りを持って挑みなさい」
「先生……」
シルメリアはそこで言葉を詰まらせた。助けを乞うように「先生……あの……」と繰り返して、そこから進まない。
長いうつろいの中で、そんなこともあった。ミロスは対処法を知っている。
ミロスは自分の毛皮然とした長いローブの裾ごと巻き込むようにして、シルメリアを抱くと、身体の内側に引き寄せた。
「シルメリア。君は私の誇りだ」
言葉とは裏腹に、それは拒絶の意味を持つ。そしてシルメリアは賢いからそのことも判るだろう。ミロスは何度となく、人間の娘の初恋となり、そうして諦めさせてきたのだから。
「それでも今はまだ解らないかもしれない。けれど、いずれ君が成長して、大人になるにつれ……」
「先生……」
しかしシルメリアは、ミロスの腕の中で小さく頭を振ると、
「想いを伝えられるのは言葉だけじゃないですよ」
つま先で雪を押し除け、キスをした。
若葉の積雪が落ちて、春先に相応しい爽やかな一陣の風が二人の間に流れた。
その中でシルメリアは、ミロスがこれまで見たこともないように凛々しく、大人びた表情をしていた。
「私は戻ってきます。家ではなく、この庭に。今度は生徒でもお母さんでもなく、あなたの妻になるために」
「シルメリア……」
「水臭いじゃないですか。先生がいつも寂しそうな顔をしているのなんかとっくに解ってました。母から聞いて、先生がどんな想いをしてきたのかも、考えてきました。——だって、私たち、何年一緒にいたと思ってるんですか」
「し、しかし、私……いや、僕は……」
シルメリアは再度ミロスを抱きしめた。
その高い背にしがみつく子供のように。
あるいは、背だけ伸びた子供をあやす母親のように。
「もう嘘はつかないでいいですから。先生はそうやってまた、永遠の中を逃げ続けるつもりですか」
「…………」
「私がいます。それにきっと……。だから、もうそんな寂しそうな顔しないでください」
シルメリアはミロスの中に深く根付いた氷を溶かすように、そう言って身体を寄せるのだった。
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