魔王と! 私と! ※!

白雛

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第三章:『石の見る夢』

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「——っ!」
 インベルがひたいに触れると同時、アルが飛び起きた。
 興奮状態にある小鬼が尖った指を、腕を振り回して、身振り手振りで異常を伝える。
「な、なんすかっ! 今のは!」
 しかし、周囲に同調する者はいなかった。
 その時インベルとアルは第二皇子ネフティスの隊について、町民の避難誘導に加わっていた。彼らは皆一様に首をかしげ、怪しげにまずアルを、それからインベルを見た。
「い、いったいどうしたのです? 彼は……」
「あははは……ちょっと怖い夢でも見てたのね。大丈夫。私にかかればすぐに落ち着くから……」
 インベルは白々しくそう言ってアルを道の端に連れ出した。そしてその長い耳元でささやく。
「アルも見たのね」
「ってことは姐さんも? ひでぇや! 知らんぷりして!」
「忘れたの? 私たちが魔性だって疑われてるのを。人間である私までも変に見られたらめんどくさいでしょ」
「とはいえっすね……」
「とにかく、何を見た?」
 インベルの真剣な眼差しにアルは二の句を飲み込んで、改めた。
「皇子の戦いと……歴史? 女の子が子竜と会って……」
「私と同じね。まさに白昼夢か……一瞬にして神経に刻まれたように"視えた"わ」
「……いったい何なんすか、ここは」
「さて……? けれど警戒は忘れずにしましょう。何があってもおかしくなさそうだし……」
 それを最後にして二人は元の隊列に戻った。
「第三近衛のみなさん、ご苦労様です」
「お暑いでしょう。冷たい井戸水でも一杯飲んで行かれたらいかがかしら?」
 けれども、勇んで駆け回った二人が目にしたのは、まったく平和な日常のやりとりそのものであった。
 会う人会う人平然としていて、戦時であることなどまるで視野の外。死の恐れなどこれっぽっちも抱いていないようだった。
 そんな心配を二人が話すと、彼らは口々にこんなふうに言った。
「平気平気。セティリス様と〈砂漠の翼〉に任せとけば」
「皆をまとめて〈約束の地〉に連れてってくださるんだ、あぁ、あの方は素晴らしい方だよ。まだお若いのに」
「お嬢ちゃん、見ない顔だが、新兵かい? もう皆城壁に昇っちまったよ。そこから〈砂漠の翼〉の活躍を眺めるのが若い奴らの娯楽なんだ」
 このように返して言っても聞かない。
「でも万が一なにかあってからでは遅いのです! 戦闘中は宮殿を開けていますから、街に留まらず、どうか避難してください!」
「何かあるって? セティリス様に? ……ネフティス様、心配性なのも判りますが、もう少しどんと構えていても……」
不敬ふけいであるぞ、貴様!」
「し、しかしですね、あの鬼のような強さのセティリス様に万が一なんてあるとは……」
「それに竜たちもいる。俺たちにゃ何を心配なさっているんだか……」
 ネフティスはそれでもと懸命に声をかけ続けた。
 結局、商人街の軒先のきさきで休憩を取ることになり、アルは冷たい水に喉を鳴らし、インベルはまさに感嘆入り混じる思いで言った。
「すごいものね、アンタのお兄さんの人気というか信頼というか……」
「お恥ずかしい限りです……」
 暑さだけで体力が奪われ、思考も覚束おぼつかなくなる。そんな中衛兵を連れ、街を駆けずり回ってネフティスは満身創痍まんしんそういで軒下の影になりを潜めた。インベルも汗を流して、肉体の疲労を感じている。
(……しかし、ちょっと良くないわね。これじゃもしセティリスが倒れでもしたら即座に壊滅だわよ)
「……仕方ない。せっかくですし、城壁にあがっていかれますか?」
 ネフティスが膝の砂を払い、立ち上がりながら続けた——。
「それでも豆粒のようなものなんで——」
 ——その時だった。
 路地から一人の男が出てくる。
 切れ切れに皇子の名を呼ぶとともに、間もなく男は倒れた。
 その衣装は言いようもなく薄汚れていて、もはや布とも思えぬすり切れたクズ糸のすそから覗く腕には、なんとびっしりと鱗がひしめいていた。
 衛兵が構え、ネフティスが腰を上げ、インベルが刮目かつもくすると同時——誰かが叫んだ。
「り——〈竜皮病りゅうひびょう〉だーっ!」
 一人がそう言うや、児戯じぎのごとく瞬く間に伝聞は広まり、周囲からたちまち我先にと町民たちが逃げ惑う。
(戦闘にはあれほど言っても聞かなかった連中が……)
 インベルは事態の異常性を見張った。
 倒れた男を指差し、行き交いざまに誰ともなく口元に覆いを作っては、大手を回し扇いで大声で言った。
「この男! 〈竜皮病〉にかかっているぞ! 逃げろ! 少しでも遠くへ、急ぎ、逃げろーっ!」
「静まりなさいっ!」
 すると、それら町民の声にも負けず、再度ネフティスの大音声が鳴り響いた。
「第二皇子の名において命ず! この者をみだりに侮辱ぶじょくすること勿れ! その者は第二皇子ネフティスの名において厳罰に処する! 逃げたくば黙って逃げるがいい!」
「しかし、皇子!」
 取り縋るように言う近衛にネフティスは一喝いっかつした。
狼狽うろたえるな! 近衛ともあろうものが」
 ネフティスは直ちに男の傍に寄ろうとして……しかし近衛が立ち塞がった。
「なりませんぞっ! 皇子! あなたまでかかったらどうするというのです!」
 兄セティリスの眼光に勝るとも劣らず、鋭いまなこで近衛兵長を見据えると、ネフティスは唸るように返した。
「恐れるのか。ほまれ高き近衛兵団が……克服こくふく可能な病を前にして、理解も示さず、ただか弱き民らと同じように逃げ惑うか!」
「克服可能ですと……?! なりませんぞ、希望的観測のみで物を語っては!」
「治る! 必ず〈竜皮病〉は治る! 私はそう信じている!」
 ネフティスはそう言うや近衛兵長を振り払い、その男の傍らに膝をついた——。
 背に腕を回し、抱き起こすのだった。
 近衛兵長は悲観的な形相ぎょうそうで顔を覆った。
「あぁ! なんてことを……」
「しっかりしてください! ……なげく暇があればタドゥキパ様を呼んでこいっ! どのみち……もう遅いのだからな」
 ネフティスが自嘲じちょう気味に笑ってみせると、抱き起こされた男がうめいた。
「ネフティス様……」
「しっかり……大丈夫! 今、タドゥキパ様が参られます! 必ずこの病気は治ります! そして元気になって、また元の暮らしに戻れるんですよ!」
「すまねぇ……すまねぇ……」
「何を……当然のことです。あなたは僕の民。皆、境なく愛する僕の家族なのです。だから、決して諦めてはなりません。必ず元気になって下さい」
 しばらく続いた激励げきれいの最中、隙を見てネフティスは呆気にとられるインベルとアルにも言った。
「慌ただしくて、すみません。もうしばらく案内あない差し上げたかったのですけれど……」
「ううん、全然気にしてないけど……」
 インベルは率直に返した。
「なんなの? その〈竜皮病〉とかって」
「……言ってなくて、それもすみません。この地に最近流行っている……いわゆる、伝染病なのです」
「で、伝染病ーっ?!」
 アルがわめいた。
「ち、ちょっと待ってくだせえ! そりゃヤバいじゃないっすか! 姉御! すぐに——」
「大丈夫です! 今、僕を含めタドゥキパ様が解決法を探っていて、もう少しのところですから!」
「そのタドゥキパ様ってのも……」
 噂をすれば影と言うか。インベルが言うのとほぼ同時に宮殿の方から丸い球が見えた。ふくれ上がった洗剤の球のようなそれがテラスの柱の間から飛び出したかと思うと、滑るようにこの大通り目掛けて飛んでくる。
 ネフティスの目が輝いた。
「タドゥキパ様!」
「すまないね……ドーリアンの小言を聴いて、すこし遅れた。……なんだ二人とも元気そうじゃないか」
 冗談かはさておき泡玉に包まれた黒い外套がいとうの男は、インベルとアルの二人を見ると共にひょうひょうと言ってのけた。
 タドゥキパと呼ばれた男は衣装に覆われて顔や体型などは判然としないが……インベルは目つきを細め、ネフティスがすぐさま返す。
「違いますよ、そちらはインベル様とアル様。旅の者です」
「そうかそうか……すまないね、奇妙な魔力を感じる二人だったのでね」
 男は泡を弾いて解かせ、地に降り立つと倒れた男に近づいていく。が、そのセリフはインベルも御同様だった。
 インベルは警戒を解かないままに言った。
「ハーフエルフね?」
 タドゥキパは足を止めて返した。
「……すまないが、そう言う君は主義者かね?」
「いえ。あなたとよく似た魔力をつい最近感じたことがあるもので」
「不思議なことを言う。魔力とはその身に刻まれた偽らざりし紋所もんどころ。他人が同じであることはあり得ないし、私に血縁はいないのだが」
「ええ。だからこそよ。だからこそ、気になって」
「ふむ……確かに。その話が本当だとすれば、私とて興味深い……」
 周囲を置き去りにする二人にいい加減ネフティスが割って入った。
「そんなことよりタドゥキパ様! こちらの者を……」
「そうであった。なかなか面白そうであったのでな。あとで聞かせてくれぬか、人間の娘」
「そんなことより!」
「はいはい、ネフティスよ。貴公はちと性急がすぎるようだぞ。急いては事を仕損じるとは……」
 再三再四ネフティスに促されて、ようやく倒れた男を診始めると、タドゥキパの表情も一変した。
「濃いな……とりあえず私の部屋に運ぼう。二人、手伝ってもらえるか」
 アルは恐れながらも、インベルはまるで気にせず、男を運んだ。
「そもそもこれはいったいどういう病気なの」
「人の細胞が竜の細胞に対し拒絶反応を起こしているのだ。本来ならば混ざることなく各々で消化されるものが体内で変異し、同化をし始めてな……」
「同化って」
「左様。見たまえ」
 タドゥキパはそう言うといとも容易たやすく患者の腕をひるがえして見せた。二人とも先ほど刮目して見たが、改めて見ると実に不気味な光景である。
 おびただしい量の鱗がかさぶたのように人の腕に張り付いている。
「ゆえに〈竜皮病〉患者の皮膚はこのように鱗が生え、硬質化し、竜に近くなる」
「竜に?」
「しかし、行き着く先は竜ではない、人でもない」
 ネフティスが重い顔をした。タドゥキパもこの時ばかりは神妙だった。
「半人半竜の化け物に成り下がってしまうのだ」





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