魔王と! 私と! ※!

白雛

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第四章『血染めの花嫁と敗北の遺伝子』

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「ゴブリン?」
 インベルは尋ね返した。
「そうよぉ。最近この辺りに現れるようになってね、畑を荒らしたり、村人に牙剥いたり……観光客に襲いかかる猿みたいに迷惑してたから入り口のお尋ね板に貼り出しといたんだよ……しかしね」
 老婆は何やら物憂ものうげに切り返した。
「依頼を受けた若者たちがまた何やら物騒でねぇ。得物片手に『バラバラにしてやりますよ』とか言ってさ。……しかし、相手はたかだか小鬼だろう? 被害だって悪戯いたずら程度のことさ。そこまでするこたないって言ったんだけど……ちょっと心配でねえ」
「その若者たちって、この村の子?」
「いんや。どっかから来て、酒場にたむろしてる連中さ。夜ごと暴れ回ってなにかと偉そうだし、正直はやくどっかいってほしいと思ってんだが……それよりあんた、良い年頃の娘だろ。それにしては随分と髪の手入れがなってないね。顔は良いんだから、ぴしっとしたら男もほっとかないだろうに。ちょっと心配だねぇ」
「あーひょっとしたら悪魔が取りいてるかもしんないね、それは。最近多いのよ。すぐに片付けてくるわ。待ってておばあちゃん」
 調子のはずれたゼンマイ人形のように、きり……きり……と震えながら回る風車と羊の厩舎きゅうしゃが目立つ山村だった。
 宿を探して立ち寄ったところ、入り口でおろおろとしている老婆が目について、声をかけると今みたいな話を聞いた。袖すりあうも何とやらというし、その老婆は悪い人には見えない。
 ということで、若者たちを追いかけるように裏山に入った。
 追跡はミオの力を借りるまでもなかった。
 ぬかるんだ山道に足跡がびっしりとつき、外れに雑草が押し倒されて道になっている。進むほど人間の嗅覚きゅうかくでもそれと判るほどに血の臭いが濃くなっていく。
 やがて足跡には魔族特有の青い血痕がこぼしたジャムのように加えられ、近くに無惨な一匹目の死骸しがい。相当お楽しみだったようだ。
 そこまでいくと、声も聴こえた。
 ゴブリンの悲鳴とうら若い人間どもの海水浴にでも来てるかのようにきゃっきゃとはしゃぐ楽しそうな声。
 足を早めて覗いた木立の隙間に五人の人間と一匹のゴブリンが向かい合っていた。
 もう一匹、足元に哀れな姿で昇天しているのがいる。
 少し遅かったようだ。
「誰かと思ったら人間かよ……びびったー」
「おい、女。わたさねぇぞ! コイツは俺たちの獲物だ。俺たちが追い詰めたんだからなっ」
「大体どこのグループだ? ここいらは俺たち〈よい綺羅星きらぼし〉の狩り場だぞ。困るんだよねー。界隈のルールも呑み込めてない奴がさー」
 人間の男たちがぶーぶーと豚みたいに喚いている。
(はぁ……)
 インベルは目頭を指で押さえて一言つぶやいた。
「皆死ね」
 次の瞬間。大気が物理的な壁になって無尽蔵むじんぞうの広がりを見せた。周囲の木々をぎ倒し、五人の若者も、飛びかかっていたゴブリンも、足元の死骸も全てが一様に閃光の彼方に吹き飛んでいった。
 それが止んだ頃。
 まだ息のある者が二人いた。
 一人は人間の若者。もう一人はゴブリン。
 人間は下半身をどこかへやってしまって、そのぎ目からミミズみたいな管を垂らしつつ、息も絶え絶えにインベルにすがった。
 インベルの目には一筋の光すら通っていない。
 彼女は靴についた泥を弾くように青年の手を蹴り飛ばすと〈ドルグリーヴァ〉の長いを肘掛けにするようにして言った。
「冒険者ね。ならこんな風に死ぬことも織り込み済みでしょ。あんたらの命はこの世の誰からも保障されてない。解ってて始めたはずよね?」
「てめ、悪魔か」
「救世主よ。だが、あんたら人間だけのみかどになった覚えはないんだ。勘違い野郎は嫌いだからそのまま死ね」
「悪魔じゃねえか……」
「救世主だよ。史上かつてなく平等な……」
 青年が息を引き取るのを看取みとることもせず、次いで今度はゴブリンの方を振り返った。
 それは小さな身体をびくっと震わせて、後退あとじさった。身体を強く打ち付けて内臓を痛めている。放っとけばじきに息を引き取る。
「さて……あんたは悪戯程度だったみたいだけど、こんな連中は今は山ほどいるし、運がなかったと思って……」
〈こ、殺したのか? 同じ人間だろ?〉
「…………」
 インベルは言葉尻をさえぎられると、押し黙って一歩近づいた。
 その目は審判を下す冷酷な神のように色味がない。
「妙なことを気にするやつね。殺しには殺しを。侮辱には侮辱を。そう決めてるの」
〈仲間だろ?〉
「たまたま似た形をしてるだけよ。むしろコイツらの方こそ仲間だなんて思ってないわ」
〈そんな……〉
「あなたこそ友達をあれだけ無残に殺されて、そんなこと気にするとか。何とも思わないわけ?」
〈そりゃ……思うよ。哀しかった。救いきれない連中だって嫌になるほどいる。それが現実だ——〉
「そうよ。それが現実だ。だから、力がいる」
 インベルが続きを引き取るように言うと、ゴブリンは力無く首を振った。
〈——けど、それでも、負けない愛も必ずある。そう、信じてぇじゃねえか〉
 か細く息をしながら、たしかにそう言った。
 インベルは己の目を疑い、言葉を失っていた。
 彼女の目は見開かれ、人間らしい色味が戻ってくる。
(こいつ……)
 死なせてはならない。
 そう思うと同時に身体が動いていた。その場にかがみ、ゴブリンの小さな背に腕を通して、腰にぶら下げた革袋から木彫りの小瓶を取り出すと、その飲み口をきゅぽっと外し、小鬼の口元にあてた。
「飲んで。……とある寂しがりなエルフが命を永らえさせるために開発した秘薬よ。効くかもしれない」
 ゴブリンは言われるがまま小瓶の中身を飲み干した。
 泥のような濃い土色で、原材料、正体もろもろ一切不明のどろっとした液体が唇を伝い、その体内に流れていく。
 上記の不信から自分では試そうとも思わなかったものだが、ゴブリンは飲み干すと……すると、ふと目を瞬かせた。
 一回、二回。
 続けて瞬きして、感覚を確かめるように視線を振る。
 たちまち目にも精気が戻ってきた。傷んでいた四肢の傷がみるみるうちにふさがり、息は整い、手に、指先に力が入り始める。
「どう? 気持ち悪くない?」
〈大丈夫。ちょっと後味が悪いが、さっきよりずっとマシだ〉
 そう言うとゴブリンはすっくと立ち上がった。
 再三確かめるように腕を曲げ伸ばしして言った。
〈いたくねぇ……すげぇ……すげぇな! あんた、こりゃ奇跡だよ!〉
 インベルは先ほどまでの冷酷さとは別人のように、豊穣ほうじょうな笑みをたたえて言った。
「そう。よかったわね。お礼なら哀れなロリコンエルフに言うのね」
〈ろ、ロリコンエルフ……?〉
 ゴブリンは鸚鵡おうむ返しして、
〈……しかし〉
 周囲を見渡すと、すぐにとがった耳をバセットハウンド犬みたいに垂れ下げた。
 一面山火事でもあったかのように焼け野原だ。そこだけ木々が禿げ、肌色の頭皮が透けるように地面がめくれあがっていた。
 その節々ふしぶしに転々と何かの断片が散らばっている。
〈……そう浮かれもできねぇな、これじゃ〉
「ゴブリンのくせに」
 インベルは膝を払いながら立ち上がって言う。
「おかしなことを気にするやつね」
 ゴブリンは穿うがった目つきをしてインベルを見た。
〈だいぶ魔族に対して偏見があるみてぇだな〉
「そうかしら。あんたはだいぶ変わった魔族だと思うけど」
〈……確かに。変なのは俺のほうかもしんない〉
 ゴブリンはそう言うや否や、彼女の目の前で断片をひとつひとつ拾い集め出した。それから足元の土を掘ると、近くに積み上げた断片を埋めていく。
 インベルは再度目を疑った。
 問いかけが意図せず、口をついて出た。
「……なにをしてるの」
〈見りゃわかんだろ。墓さ〉
 ゴブリンは細い指先を使って穴を掘り進めながらにべもなく返した。
〈七人分の墓を掘ってんだよ〉
「…………」
〈……見ててもいいが。面白いことはねえぞ〉
(あれ……おかしいな。うすうすそうじゃないかとは思っていたけど……こいつ——)
 インベルは明らかに戸惑っていた。
 かつてミオが自分自身に対して感じたのもこんな感覚だったんだろうか。
(——こいつ、ハートが超イケメンだ)
 インベルは目頭をこすった。
 瞬きを繰り返してゴブリンの横顔を眺め、さらにもう一度目頭をこする。目がおかしくなったわけではなさそうだったが、まだいかんとも、心が受け入れない。
(あれ……)
 しかし不思議なもので、人間好意を持ち出すととたんに外見までもそうした印象に伴って見えてくるものである。頭の中のイメージが現実を凌駕りょうがする。己の理想像が網膜もうまくに焼き付いている映像を上書きする。
「全てはここの為せるわざだよ、諸君」
 かつてミロスが言ったことが思い出される。
 教室の前面でかの変態エルフは己のことは全力で棚に上げながら、キザったらしくこめかみを指で突いてのたまった。
「生き物はここで感じたことが全てだ。もちろん個人の資質によってその精度も受信域も変わってくるがね。しかし、そうして受け取ったものが果たして本当に真実とは限らない。頭の中の映像や思考は本当に自分が身をゆだねるに値するものかどうか。ただ都合の良い自身の感情から、そう思い込もうと・・・・・・・・しているに過ぎないのではないか? 真の探究者は己の脳の性質を把握はあくした上での検証をおこたらない。常に細心さいしんの注意を払って状況を冷静かつ沈着に判断する。諸君らはぜひ余計な波長に惑わされることなく自律した判断を下せるようになることを願うばかりだ……」
 恩師の忠告を頭の隅に踏まえた上で、改めてゴブリンの横顔を注視した。
 浅黒い肌にすらっと伸びた鼻立ち。
 程よくこけた頬に黄金のつぶらな瞳。
 悪くない……決して悪くない。行動には芯があり気高さと将来性を感じるだけでなく、一生懸命健気に土を掘り返しているその表情は実にチャーミングで見ていると胸の奥が苦しくなってくる。
 これは惑わされているだろうか? ……否。断じて否! この胸の高鳴りは紛れもなく私の魂の雄叫びだ。だって、他のゴブリンはおろか人間にさえこんな気持ちになったことはないもの!
 唯一しむらくは身長。今のままではあまりに背丈が違いすぎる……! まっすぐに並んでやっとインベルの腰に頭頂部がくる程度だ。これはまったく惜しい。
 インベルは片目をつむり、片足をぱたぱたと踏みしめて苦悶もんぜつした。
 この身長差……しかし、キスをするのに毎回私が抱き上げねばならないというのは……受け入れがたいものがある……。
(いや、まてよ……?!)
 そこで知り合いの魔族のなりを思い出して、インベルは光明を見出した。
 ゴブリンって、大人になったらもっと背伸びるよね?
 コイツは子供のはずだ。まだ十歳くらいの男の子のはずだ。これから成長期に入って背が伸び出したら、態度は生意気なままあっという間に垢抜あかぬけていって……。
 まだ肌を刺すような鋭い冷気の残る初春だった。
〈インベルさん……急に呼び出してしまってすみません。俺……俺、どうしてもインベルさんに伝えなくちゃいけないことがあって〉
「な、なに……」
 そこには八頭身になった浅黒の凛々りりしい青年がいた。
 桜の花びらが吹雪く丘の木の根元。振り返って青年は言った。
〈インベルさん……あれからずっと、身寄りのない俺を育ててくれてありがとうございました。でもこれからは違うんです。これからは……育てたのとか、恩義とか、そういうんじゃなくて……〉
「なくて……」
〈一人の男として、俺、あんたに見てほしくて……〉
「はわわわっ」
 インベルは身をよじらせて手のひらを突き出しながら困惑した。
「ま、まって。い、いきなりそんなこと言われても……だめっ! 私、そんな風にあなたのこと見れないよっ」
〈お願い、逃げないでっ〉
 青年は木の幹に手をついてインベルの逃げ道を塞ぐと反対の手でインベルの腕を力強くも優しげに掴んで持ち上げる。
 とくとくと微細びさいに心情を映し出す心臓の音が次第に大きくなる。
 もう目と鼻の先に彼の顔があった。
 一人前に成長していっぱしの男になった青年の黄金色の瞳がまっすぐにインベルの目を見つめて、苦しげに、切なげに歪んだ。
〈本気なんだ……俺。俺、あんたのことがずっとっ——!〉
「えへ……えへへへへへ」
 数秒間の旅立ちの果てに、インベルは垂れかけたヨダレをずるっと吸い上げると、ゴブリンに並んで身をかがめた。
 同じように土に手を添えた。
「私もやる」
〈え……〉
「てか、やったの私だしね。まー勘違い野郎嫌いだけど、こんくらいはしてやってもいいかなって」
〈(絶対ちがうこと考えてそうだったけど……)そ、そうか。助かるよ〉
 二人並んで墓をこさえるのだった。





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