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序章篇
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[2056.03 04 23:37]
ロンドン・ヒースロー空港
英国、ロンドン。
数え切れない星々が暗い夜空を支配し、半壊した月の光により、地上を暖かく照らす中、一便の大型旅客機がこの地に降り立った。しかし、もう既にみな降りたのか、中は不気味なほど静寂に包まれている。
居るのはせいぜい、機内を清掃するキャビンアテンダント達、異常がないか確認するパイロット、そして…
「Zzz...」
…いや、訂正しよう。
客がまだいた、それも機内にセッティングされていた雑誌を開き、顔面に貼り付けたまま寝ている男性が。顔が雑誌で隠れているためか、正体こそわからないものの、堂々と隣席まで足を掛けて気持ちよさそうに寝ている。まだ人がいないからいいものの、仮に隣人がいたとすれば迷惑極まりないだろう。
「お客様、目的地へ着きました。起きてください」
ここで一人のキャビンアテンダントがその男に気付くと肩に手を伸ばして優しく揺さぶる。揺さぶられたことによって顔に張り付いていた雑誌が落下し、男性の顔が表に出る。
男は至って普通の顔だ。少し癖のある黒色のショートウルフで二十代前半の顔付き、黒いロングコートスーツ、手には黒いスタッズグローブに足は黒いブーツと、とにかく黒に統一させていた。
ただ一つ異なる点がある。
それは目だ。目の色だけ血に塗りつぶされたように真っ赤である。別に充血している訳ではなく、瞳孔そのものが赤く、逆に結膜は特に問題がない白色と、不思議な色をしていた。
「ふあぁ…なんだ、もう着いたのか」
男は呑気にあくびをしながら背を伸ばし、眠っていた脳を覚醒させる。伸ばす際にコキコキと骨の関節包を鳴らす。寝癖なのかボサボサの髪の毛をそのままにして立ち上がり、雑誌を放り投げてその場から立ち去ろうとする。
トントンと機内に敷かれた柔らかいカーペットの上を歩く黒い男、二、三歩進むと何を思ったのか突然その歩みを止めた。
「なぁ、お嬢さん。''悪魔''って知ってるかい?」
突然の問い。''お嬢さん''と呼ばれ、私の事だと自覚したキャビンアテンダントは首を傾げる。
''悪魔''。
その言葉だけなら誰しも一度耳にしたことがあるだろう。遥か昔に存在したのか疑わしい錬金術やら魔術師やらが何らかの方法で呼び出す、異世界の住民。
「悪魔ってのはな、人に化け、欲をさらけ出し、誘惑しては喰う存在だ。あの月が半壊した時代じゃ、何が出てきてもおかしくない」
男は振り返らないまま口を走らせる。静かで冷静ながら、どこか重みを感じる言葉にキャビンアテンダントはその場から動けず、ただじっと彼を見つめながら耳を傾ける。
ただ…。キャビンアテンダントの額からスーッと冷たい一粒の汗が流れた。男の話が理解出来ず、困惑しているからなのか。またはその悪魔が現実にいる想像でもしているのか。はたまた別の何かか。
そんなキャビンアテンダントを無視しつつ、男は続けざまに言う。
「それに妙な噂を聞いたんだ。どうもここ最近、この空港で謎の失踪事件が多発してるみたいじゃねぇか。お嬢さん、ここの関係者ってんなら、何か知ってるかい?」
ただ聞いてるだけだと言うのに、キャビンアテンダントは拳を強く握り、プルプルと体を震わせる。息遣いがだんだん荒くなり、爪が手のひらにくい込んで流血してるところから、どうも怒っているらしい。
そんな異変を感じて警戒するのが普通だが、どうもこの男は何度も同じようなことを経験してるのか、警戒や動揺どころか怪しげな笑みを浮かべるだけで振り返ようとしない。
ただ奇妙なことに。男の足元に広がる影が先程より大きく広がり始め、ついにはキャビンアテンダントが流している血に触れると吸収し始める。
「いえ、何も知りません。私達はお客様を___」
「まぁいいさ、知らないってんなら。ただちょっと聞きたかっただけさ」
キャビンアテンダントは何か言いたげそうにしていたが、男は聞く耳を持たないのか、言葉を遮ると今度こそこの旅客機から降りようとする。
降りようと出口へ…歩み始めた時。後ろから奇声が響く。先程のキャビンアテンダントが鋭く尖らせた爪を構えて男に突っ込んできた。
充血した目と口は大きく開き、まるで人とは思えない形相で襲いかかってくるキャビンアテンダントに対し、男は振り返らないまま片腕を伸ばすとコートの袖から黒い一丁の改造拳銃が飛び出し、握り締めると引き金を引いた。
弾け飛んだような音と共に撃ち出された銀色の弾丸はキャビンアテンダントの眉間を貫き、穴から流血を吹き出しながらゆっくりと後ろへ倒れ込む。ドサりと倒れたキャビンアテンダントはそのまま地面に這いつくばって、無様な格好のまま息絶えた。
死んだ。目と口を開けたままキャビンアテンダントは死んだ。ピクリと一ミリも動かない。だがありえないことに、キャビンアテンダントがブルブルと震え始めた。
内側がモゴモゴと動き、メキメキとグチャグチャと何かを砕きながら潰すような嫌な音を立てると、文字通り''キャビンアテンダントの中から何かが出てきた''。
それは人の形をしたもの。人の形をしたものであるだけで、黒ずんだ皮膚と細い腕と長く鋭い爪を持ち、目と鼻が無いという実際は人とかけ離れたような姿をした生命体だった。
これが''悪魔''。男が言っていた''人に化ける存在''。その悪魔が死体から孵化したように立ち上がると鋭い爪と汚らしくも同じように鋭い牙を剥き出しながら男に襲いかかる。
「ようやく本性を晒しやがったか」
しかし、男はこの事を理解していたのか。ニヤリと怪しい笑みを浮かべると引き金を三回引いた。
一発目は悪魔の肩を、すかさず二発目は膝を撃ち抜き、倒れ込んだところに三発目が頭部を貫く。赤ではなく、黒色の液体が飛び散り、機内の至る所に返り血が付着する。
その血は男の頬にも掛かるが、気にもしてないのかニヤリと笑ったままで何もしない。ただ騒ぎを聞きつけた他のキャビンアテンダント達が集まり、男を囲む形でずっと見つめてくる。
「お客様ぁ…困りますぅ…機内へ武器の持ち込みはぁ…固く禁止されてますうぅゥゥゥゥアアアァァアッ!!』
口や目から黒い液体をドロドロと流しながらキャビンアテンダント達の中から同じ悪魔が飛び出す。その悪魔達は男を見るなりカタカタと歯と歯を鳴らし、身を低くして威嚇のような唸り声をあげる。
「あーぁ、英国にも悪魔共がウヨウヨいんのか。こりゃ楽な仕事じゃ無くなりそうだ」
囲まれている男はため息をつき、やれやれと肩をすくめると、痺れを切らした悪魔たちが一斉に飛びかかってきた。
四方八方から飛び出す人ならざる化け物。対して黒い男は冷静に銃を構えるとまず一体の頭を吹き飛ばす。その後に空中でバランスを崩しながら飛ぶ死体を蹴りあげて距離を空ける。
残った悪魔達は標的を失い、互いにぶつかり合って地面に叩き付けられると、男は座席の上に備え付けられている荷物棚を五回撃つと棚ごと落下し、悪魔達を潰した。
一度にまとめて潰れた悪魔を眺めていると背後から別の悪魔が。だが男は振り返らないまま脚で蹴り上げ、上がったところに銃で撃ち抜く。と同時に奥から悪魔が押し寄せてくるのが見えてきた。
ただ男は焦る様子もなく、落ちてきた死体を蹴り飛ばして吹き飛ばすと悪魔達を一度怯ませると、その隙に拳銃で次々と頭を撃ち抜き、一発も外すことなく倒していく。頭を失った悪魔達は体がボロボロとなり、灰となって消えゆく中、上から奇襲を仕掛けてきた悪魔が牙を剥き出しにして口を開き、男に襲いかかる。
そのまま男の体にしがみつくと牙で肉にかぶりついた。牙は肉にくい込み、そこから男の血である赤い液体が飛び散る。さらに悪魔三体が群がり始め、動かない男をいい事に腕、脚と別々の箇所を食いちぎる。
「おぅおぅ…俺を食うなんていい度胸してんな」
だがこの男と来たら、痛みを感じないどころか血を浴びてニヤリと怪しく笑っている。悪魔たちはそれに気付かず、ただ男を貪ってるだけで振り返ろうとしなかった。
その間に男と悪魔たちの足元でぬぅと影が大きくなり、血を浴びる度に広がっていく。そして男と悪魔を囲むように、影の中から獣の下顎のようなものが飛び出すと一瞬にして挟み込んだ。
挟まれた悪魔たちは瞬く間に肉塊となり、飛び出た手足は切断され、ぼとりと床に落ちる。影はモゴモゴと蠢き、満足したのかそのまま影の中へと戻って行った。
出てきたのは無傷のままの男一人だけで、他の悪魔たちは見る影もなく、跡形もなく消えた。そして再び影の中から真っ黒な人の形となって男の前に現れる。
『ペェッ!!相変わらず不味いなァおい?』
人の形をした''それ''は、本来なら口に当たる部分から先程の悪魔のものであろう肉片が吐き出される。既に半分溶けてしまってるのか、肉片がドロドロになって触れたくもない粘液が包み込んでいる。この男と女が同時に重なったような声を持つ影こそ、先程男諸共悪魔を喰い殺した犯人なのだろう。
見た目は完全に悪魔だが、他の悪魔とは違って言語を話す他、男を襲わないどころか同種の悪魔を喰い殺してるので、全く同じ仲間というわけではないようだ。
「しょーがねぇだろ、''アンブラ''。タダ飯が出来るだけラッキーだと思っとけ」
『冷たいなァ、''レイちゃん''は。けどまァ、朝飯と考えりャ別にいいかもなァ』
''アンブラ''と呼ばれた悪魔はゲラゲラと下品に笑い、並んで立っている''レイちゃん''と呼ばれた男性は頬に付いた返り血を舌で舐めながら拳銃のリロードをする。
余程の信頼関係があるらしいのか、一人と一体は余裕らしく、種族が異なってても割れることなく、''共闘''という形で関係が成り立っている。人と悪魔、奇妙な関係性を持つ人間を世間では___
「…堕落者」
『あ?』
男の後ろから、突然声がした。アンブラが振り返ると、そこにはこの旅客機の機長なのだろう、パイロットの男性が立っていた。
パイロットの目は虚ろで、視線はどこかを向いており、男の顔を捉えていない。加えていえば機内は死体だらけで死臭がつんざく空間だと言うのに悲鳴ひとつも上げず、代わりに''堕落者''という言葉を口にする。
堕落者。堕落した者と書いてネフィリムと読む彼らは、何かしらのものを代償として払い、代わりとして自分が望んだものを手にする、欲に溺れた人間が悪魔と契約した際に言われるもので、ここにいる黒い男も堕落者なのだろう。
「堕落者ゥ…ネフィリ…ネフィフィ…ネネネネフィイィ!!!」
そしてパイロットが動いた。自身の右腕が真っ二つに裂けたと思えば、斧状となった巨大な甲殻が現れると男とアンブラに向かって振り下ろした。衝撃が強すぎるあまりか、機内の床は簡単に穴が出来、そこから黒い煙がもくもくと立ち込める。
それでもなおパイロットは煙を払い、男に向かって距離を縮めると縦、横、斜めととにかくめちゃくちゃな軌道で斧を振り回し、斬り殺そうと攻撃を仕掛ける。
「おいおい。この旅客機、悪魔が操縦してたのかよ」
しかし、男はそれを冷静に回避。ニィと白い歯を見せつけながら笑い、規則性のない我武者羅な攻撃を全て躱す。
『!!』
最後に大きく跳び、斧を下に構えながら重力に任せて落下する。その結果、旅客機の床を貫通させ、再び黒い煙が噴き出して周囲を包み込んだ。しかし、このパイロット…いや悪魔が驚いてるのはそこじゃない。自分が狙っていた獲物がどこにもいないことに驚いている。
先程まで確かにそこにいた男が見る影もなく、あの一瞬で悪魔の視界から消え失せた。どこだどこだと悪魔は立ち上がり、首を回して見渡すと、後頭部から冷たいものが当たってるように感じた。
その直後、火薬が弾ける大きな音が響くと弾丸が発射され、パイロットの後頭部から眉間に掛けて貫通し、大量の血を噴き出しながら床に膝を付ける。
『なな、名ハぁ…!?名はわぁっ!?』
それでもまだ息があるらしく、膝を付けて呼吸を荒くしながら男に問う。完全に皮を脱ぎ捨ててないためか、キャビンアテンダントとは違って少なくとも会話が出来るようだ。
対して男は膝を付くパイロットの前に立つと拳銃を構え、銃口を向けたまま見下ろし、一呼吸終えてから答えた。
「''八神 零児''。しがないただの''殺し屋''さ」
答えた直後、パイロットの皮が完全に破れ、中から少し大きめな悪魔が飛び出してきた。それと同時に''八神零児''と名乗る男は引き金を引いて悪魔本体の頭を撃ち抜き、トドメを刺す。
撃ち抜かれた箇所にドロドロした黒い液体が噴き出し、力なく零児の前に倒れ込む。血を流しながら倒れている死体の周囲に影が伸び、禍々しく大きな牙がびっしりと並んだ顎に覆われ、そのまま飲み込まれた。
『ふぁっふぃふぉふぃふぁ、ふぁふぃふぁふぁ』
「口を開く時はものを食ってから開けって、ママに教わらなかったのか?」
『っプ…お生憎様、オレ様にママなんていないぜェ、レイちゃん。それになんだァ、ママが恋しくなったとかかァ?』
「食後の鉛玉でも喰うか?」
『っておいおいおい!!待てよォ!!ジョークだよジョーク!!つか聞きながら撃つんじゃねぇよォ!!』
他愛のない会話を交わしながら、零児とアンブラは飛行機からの脱出を試みるが、最後の悪魔が大暴れした為か機内はもう既にボロボロで出口へと通じる通路も塞がれてしまってるため、普通に出ることが出来ない。それを理解した零児は適当な壁を蹴り破って無理やり脱出通路という穴を作っては何事も無かったかのように機内から出る。
いざ外へ出ると遠くからサイレンに似たような音が遠くから聞こえてきた。この地の警察組織なのだろう、徐々にだがそのサイレンのような音が大きくなっていく。近付いている証拠である。
悪魔との戦いに慣れている零児でも厄介事には巻き込まれたくないのだろう、警官が到着する前に彼は影の中へと隠れて行った。
「ここにも悪魔がうようよいんのか…。こりゃ楽な仕事じゃなさそうだな」
影の中、懐から一枚の写真を取り出してそれを見ながら零児は言う。その写真には一人の女性が写っていた。
かつて世間から''死神''と呼ばれた殺し屋が何故この英国へやってきたのか。その目的はこの写真に写っている女性を探し出すためだった。
この女性、過去に死んだはずだというのに、その真相を確かめるために。
ロンドン・ヒースロー空港
英国、ロンドン。
数え切れない星々が暗い夜空を支配し、半壊した月の光により、地上を暖かく照らす中、一便の大型旅客機がこの地に降り立った。しかし、もう既にみな降りたのか、中は不気味なほど静寂に包まれている。
居るのはせいぜい、機内を清掃するキャビンアテンダント達、異常がないか確認するパイロット、そして…
「Zzz...」
…いや、訂正しよう。
客がまだいた、それも機内にセッティングされていた雑誌を開き、顔面に貼り付けたまま寝ている男性が。顔が雑誌で隠れているためか、正体こそわからないものの、堂々と隣席まで足を掛けて気持ちよさそうに寝ている。まだ人がいないからいいものの、仮に隣人がいたとすれば迷惑極まりないだろう。
「お客様、目的地へ着きました。起きてください」
ここで一人のキャビンアテンダントがその男に気付くと肩に手を伸ばして優しく揺さぶる。揺さぶられたことによって顔に張り付いていた雑誌が落下し、男性の顔が表に出る。
男は至って普通の顔だ。少し癖のある黒色のショートウルフで二十代前半の顔付き、黒いロングコートスーツ、手には黒いスタッズグローブに足は黒いブーツと、とにかく黒に統一させていた。
ただ一つ異なる点がある。
それは目だ。目の色だけ血に塗りつぶされたように真っ赤である。別に充血している訳ではなく、瞳孔そのものが赤く、逆に結膜は特に問題がない白色と、不思議な色をしていた。
「ふあぁ…なんだ、もう着いたのか」
男は呑気にあくびをしながら背を伸ばし、眠っていた脳を覚醒させる。伸ばす際にコキコキと骨の関節包を鳴らす。寝癖なのかボサボサの髪の毛をそのままにして立ち上がり、雑誌を放り投げてその場から立ち去ろうとする。
トントンと機内に敷かれた柔らかいカーペットの上を歩く黒い男、二、三歩進むと何を思ったのか突然その歩みを止めた。
「なぁ、お嬢さん。''悪魔''って知ってるかい?」
突然の問い。''お嬢さん''と呼ばれ、私の事だと自覚したキャビンアテンダントは首を傾げる。
''悪魔''。
その言葉だけなら誰しも一度耳にしたことがあるだろう。遥か昔に存在したのか疑わしい錬金術やら魔術師やらが何らかの方法で呼び出す、異世界の住民。
「悪魔ってのはな、人に化け、欲をさらけ出し、誘惑しては喰う存在だ。あの月が半壊した時代じゃ、何が出てきてもおかしくない」
男は振り返らないまま口を走らせる。静かで冷静ながら、どこか重みを感じる言葉にキャビンアテンダントはその場から動けず、ただじっと彼を見つめながら耳を傾ける。
ただ…。キャビンアテンダントの額からスーッと冷たい一粒の汗が流れた。男の話が理解出来ず、困惑しているからなのか。またはその悪魔が現実にいる想像でもしているのか。はたまた別の何かか。
そんなキャビンアテンダントを無視しつつ、男は続けざまに言う。
「それに妙な噂を聞いたんだ。どうもここ最近、この空港で謎の失踪事件が多発してるみたいじゃねぇか。お嬢さん、ここの関係者ってんなら、何か知ってるかい?」
ただ聞いてるだけだと言うのに、キャビンアテンダントは拳を強く握り、プルプルと体を震わせる。息遣いがだんだん荒くなり、爪が手のひらにくい込んで流血してるところから、どうも怒っているらしい。
そんな異変を感じて警戒するのが普通だが、どうもこの男は何度も同じようなことを経験してるのか、警戒や動揺どころか怪しげな笑みを浮かべるだけで振り返ようとしない。
ただ奇妙なことに。男の足元に広がる影が先程より大きく広がり始め、ついにはキャビンアテンダントが流している血に触れると吸収し始める。
「いえ、何も知りません。私達はお客様を___」
「まぁいいさ、知らないってんなら。ただちょっと聞きたかっただけさ」
キャビンアテンダントは何か言いたげそうにしていたが、男は聞く耳を持たないのか、言葉を遮ると今度こそこの旅客機から降りようとする。
降りようと出口へ…歩み始めた時。後ろから奇声が響く。先程のキャビンアテンダントが鋭く尖らせた爪を構えて男に突っ込んできた。
充血した目と口は大きく開き、まるで人とは思えない形相で襲いかかってくるキャビンアテンダントに対し、男は振り返らないまま片腕を伸ばすとコートの袖から黒い一丁の改造拳銃が飛び出し、握り締めると引き金を引いた。
弾け飛んだような音と共に撃ち出された銀色の弾丸はキャビンアテンダントの眉間を貫き、穴から流血を吹き出しながらゆっくりと後ろへ倒れ込む。ドサりと倒れたキャビンアテンダントはそのまま地面に這いつくばって、無様な格好のまま息絶えた。
死んだ。目と口を開けたままキャビンアテンダントは死んだ。ピクリと一ミリも動かない。だがありえないことに、キャビンアテンダントがブルブルと震え始めた。
内側がモゴモゴと動き、メキメキとグチャグチャと何かを砕きながら潰すような嫌な音を立てると、文字通り''キャビンアテンダントの中から何かが出てきた''。
それは人の形をしたもの。人の形をしたものであるだけで、黒ずんだ皮膚と細い腕と長く鋭い爪を持ち、目と鼻が無いという実際は人とかけ離れたような姿をした生命体だった。
これが''悪魔''。男が言っていた''人に化ける存在''。その悪魔が死体から孵化したように立ち上がると鋭い爪と汚らしくも同じように鋭い牙を剥き出しながら男に襲いかかる。
「ようやく本性を晒しやがったか」
しかし、男はこの事を理解していたのか。ニヤリと怪しい笑みを浮かべると引き金を三回引いた。
一発目は悪魔の肩を、すかさず二発目は膝を撃ち抜き、倒れ込んだところに三発目が頭部を貫く。赤ではなく、黒色の液体が飛び散り、機内の至る所に返り血が付着する。
その血は男の頬にも掛かるが、気にもしてないのかニヤリと笑ったままで何もしない。ただ騒ぎを聞きつけた他のキャビンアテンダント達が集まり、男を囲む形でずっと見つめてくる。
「お客様ぁ…困りますぅ…機内へ武器の持ち込みはぁ…固く禁止されてますうぅゥゥゥゥアアアァァアッ!!』
口や目から黒い液体をドロドロと流しながらキャビンアテンダント達の中から同じ悪魔が飛び出す。その悪魔達は男を見るなりカタカタと歯と歯を鳴らし、身を低くして威嚇のような唸り声をあげる。
「あーぁ、英国にも悪魔共がウヨウヨいんのか。こりゃ楽な仕事じゃ無くなりそうだ」
囲まれている男はため息をつき、やれやれと肩をすくめると、痺れを切らした悪魔たちが一斉に飛びかかってきた。
四方八方から飛び出す人ならざる化け物。対して黒い男は冷静に銃を構えるとまず一体の頭を吹き飛ばす。その後に空中でバランスを崩しながら飛ぶ死体を蹴りあげて距離を空ける。
残った悪魔達は標的を失い、互いにぶつかり合って地面に叩き付けられると、男は座席の上に備え付けられている荷物棚を五回撃つと棚ごと落下し、悪魔達を潰した。
一度にまとめて潰れた悪魔を眺めていると背後から別の悪魔が。だが男は振り返らないまま脚で蹴り上げ、上がったところに銃で撃ち抜く。と同時に奥から悪魔が押し寄せてくるのが見えてきた。
ただ男は焦る様子もなく、落ちてきた死体を蹴り飛ばして吹き飛ばすと悪魔達を一度怯ませると、その隙に拳銃で次々と頭を撃ち抜き、一発も外すことなく倒していく。頭を失った悪魔達は体がボロボロとなり、灰となって消えゆく中、上から奇襲を仕掛けてきた悪魔が牙を剥き出しにして口を開き、男に襲いかかる。
そのまま男の体にしがみつくと牙で肉にかぶりついた。牙は肉にくい込み、そこから男の血である赤い液体が飛び散る。さらに悪魔三体が群がり始め、動かない男をいい事に腕、脚と別々の箇所を食いちぎる。
「おぅおぅ…俺を食うなんていい度胸してんな」
だがこの男と来たら、痛みを感じないどころか血を浴びてニヤリと怪しく笑っている。悪魔たちはそれに気付かず、ただ男を貪ってるだけで振り返ろうとしなかった。
その間に男と悪魔たちの足元でぬぅと影が大きくなり、血を浴びる度に広がっていく。そして男と悪魔を囲むように、影の中から獣の下顎のようなものが飛び出すと一瞬にして挟み込んだ。
挟まれた悪魔たちは瞬く間に肉塊となり、飛び出た手足は切断され、ぼとりと床に落ちる。影はモゴモゴと蠢き、満足したのかそのまま影の中へと戻って行った。
出てきたのは無傷のままの男一人だけで、他の悪魔たちは見る影もなく、跡形もなく消えた。そして再び影の中から真っ黒な人の形となって男の前に現れる。
『ペェッ!!相変わらず不味いなァおい?』
人の形をした''それ''は、本来なら口に当たる部分から先程の悪魔のものであろう肉片が吐き出される。既に半分溶けてしまってるのか、肉片がドロドロになって触れたくもない粘液が包み込んでいる。この男と女が同時に重なったような声を持つ影こそ、先程男諸共悪魔を喰い殺した犯人なのだろう。
見た目は完全に悪魔だが、他の悪魔とは違って言語を話す他、男を襲わないどころか同種の悪魔を喰い殺してるので、全く同じ仲間というわけではないようだ。
「しょーがねぇだろ、''アンブラ''。タダ飯が出来るだけラッキーだと思っとけ」
『冷たいなァ、''レイちゃん''は。けどまァ、朝飯と考えりャ別にいいかもなァ』
''アンブラ''と呼ばれた悪魔はゲラゲラと下品に笑い、並んで立っている''レイちゃん''と呼ばれた男性は頬に付いた返り血を舌で舐めながら拳銃のリロードをする。
余程の信頼関係があるらしいのか、一人と一体は余裕らしく、種族が異なってても割れることなく、''共闘''という形で関係が成り立っている。人と悪魔、奇妙な関係性を持つ人間を世間では___
「…堕落者」
『あ?』
男の後ろから、突然声がした。アンブラが振り返ると、そこにはこの旅客機の機長なのだろう、パイロットの男性が立っていた。
パイロットの目は虚ろで、視線はどこかを向いており、男の顔を捉えていない。加えていえば機内は死体だらけで死臭がつんざく空間だと言うのに悲鳴ひとつも上げず、代わりに''堕落者''という言葉を口にする。
堕落者。堕落した者と書いてネフィリムと読む彼らは、何かしらのものを代償として払い、代わりとして自分が望んだものを手にする、欲に溺れた人間が悪魔と契約した際に言われるもので、ここにいる黒い男も堕落者なのだろう。
「堕落者ゥ…ネフィリ…ネフィフィ…ネネネネフィイィ!!!」
そしてパイロットが動いた。自身の右腕が真っ二つに裂けたと思えば、斧状となった巨大な甲殻が現れると男とアンブラに向かって振り下ろした。衝撃が強すぎるあまりか、機内の床は簡単に穴が出来、そこから黒い煙がもくもくと立ち込める。
それでもなおパイロットは煙を払い、男に向かって距離を縮めると縦、横、斜めととにかくめちゃくちゃな軌道で斧を振り回し、斬り殺そうと攻撃を仕掛ける。
「おいおい。この旅客機、悪魔が操縦してたのかよ」
しかし、男はそれを冷静に回避。ニィと白い歯を見せつけながら笑い、規則性のない我武者羅な攻撃を全て躱す。
『!!』
最後に大きく跳び、斧を下に構えながら重力に任せて落下する。その結果、旅客機の床を貫通させ、再び黒い煙が噴き出して周囲を包み込んだ。しかし、このパイロット…いや悪魔が驚いてるのはそこじゃない。自分が狙っていた獲物がどこにもいないことに驚いている。
先程まで確かにそこにいた男が見る影もなく、あの一瞬で悪魔の視界から消え失せた。どこだどこだと悪魔は立ち上がり、首を回して見渡すと、後頭部から冷たいものが当たってるように感じた。
その直後、火薬が弾ける大きな音が響くと弾丸が発射され、パイロットの後頭部から眉間に掛けて貫通し、大量の血を噴き出しながら床に膝を付ける。
『なな、名ハぁ…!?名はわぁっ!?』
それでもまだ息があるらしく、膝を付けて呼吸を荒くしながら男に問う。完全に皮を脱ぎ捨ててないためか、キャビンアテンダントとは違って少なくとも会話が出来るようだ。
対して男は膝を付くパイロットの前に立つと拳銃を構え、銃口を向けたまま見下ろし、一呼吸終えてから答えた。
「''八神 零児''。しがないただの''殺し屋''さ」
答えた直後、パイロットの皮が完全に破れ、中から少し大きめな悪魔が飛び出してきた。それと同時に''八神零児''と名乗る男は引き金を引いて悪魔本体の頭を撃ち抜き、トドメを刺す。
撃ち抜かれた箇所にドロドロした黒い液体が噴き出し、力なく零児の前に倒れ込む。血を流しながら倒れている死体の周囲に影が伸び、禍々しく大きな牙がびっしりと並んだ顎に覆われ、そのまま飲み込まれた。
『ふぁっふぃふぉふぃふぁ、ふぁふぃふぁふぁ』
「口を開く時はものを食ってから開けって、ママに教わらなかったのか?」
『っプ…お生憎様、オレ様にママなんていないぜェ、レイちゃん。それになんだァ、ママが恋しくなったとかかァ?』
「食後の鉛玉でも喰うか?」
『っておいおいおい!!待てよォ!!ジョークだよジョーク!!つか聞きながら撃つんじゃねぇよォ!!』
他愛のない会話を交わしながら、零児とアンブラは飛行機からの脱出を試みるが、最後の悪魔が大暴れした為か機内はもう既にボロボロで出口へと通じる通路も塞がれてしまってるため、普通に出ることが出来ない。それを理解した零児は適当な壁を蹴り破って無理やり脱出通路という穴を作っては何事も無かったかのように機内から出る。
いざ外へ出ると遠くからサイレンに似たような音が遠くから聞こえてきた。この地の警察組織なのだろう、徐々にだがそのサイレンのような音が大きくなっていく。近付いている証拠である。
悪魔との戦いに慣れている零児でも厄介事には巻き込まれたくないのだろう、警官が到着する前に彼は影の中へと隠れて行った。
「ここにも悪魔がうようよいんのか…。こりゃ楽な仕事じゃなさそうだな」
影の中、懐から一枚の写真を取り出してそれを見ながら零児は言う。その写真には一人の女性が写っていた。
かつて世間から''死神''と呼ばれた殺し屋が何故この英国へやってきたのか。その目的はこの写真に写っている女性を探し出すためだった。
この女性、過去に死んだはずだというのに、その真相を確かめるために。
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