Killers Must Die

42神 零

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英国上陸篇

01:堕落

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[2056.03 01   09:23]
日本・某所裏路地




 事の始まりは三日前に遡る。突如発生した原因不明の月半壊と悪魔襲来から八年後、世界は大きくひっくりかえった。襲来当初から悪魔が激減したため落ち着いてきた現在だが、それでも尚人間社会に紛れ込んでいる悪魔がいるため、民たちは恐れを感じながらも現代社会が回復しつつあった。

 そんな中、八神零児は相も変わらず殺しを生業としているが、悪魔が普通に出てくるこのご時世に対し、ため息を着く。表社会でなく、裏社会まで悪魔の影響があるものの、彼が一番苦労しているのが堕落者ネフィリムの存在についてだ。

 悪魔が現れるまでは苦労しなかった。何せ相手は彼が狙う殺人鬼とは言えど所詮は人間。頭を撃ち抜けば簡単に死ぬ相手だからだ。しかしその殺人鬼が自分と同じ堕落者ネフィリムなら話が変わってくる。

 はっきり言おう、堕落者ネフィリムは人としての領域を超えている。何せ脳と心臓を潰さない限り死にはしないからだ。それがたとえ四肢が引き裂かれようとも、首が取れたとしても、体が真っ二つになってもだ。

 かと言って弾丸一発で眉間に命中させてもそう簡単に死なない相手もいるし、何よりも契約している悪魔が妨害してくるため正直やってられない。おまけに堕落者ネフィリムは常人ではありえない身体能力はもちろんのこと、それに加えて特殊な能力を備えている輩もいる。つまり今まで通りのやり方では通用しなくなったということ。

 それのせいで、殺す零児にとって死活問題だった。堕落者ネフィリムのせいでこうと言った依頼が激減。代わりにやっと来たと思った依頼が堕落者ネフィリム退治だという。

 ''ある約束''のために自ら殺し屋の道を選んだ零児。このまま埒が明かないと思った彼は殺し屋と同時に特定した悪魔を殺すことで報酬金を得られる、いわゆる''賞金稼ぎ''をも同時に職業として請け負うこととなる。

 さて、話が脱線したので戻すとしよう。そんな現実にうんざりしていた彼はタバコを加えて壁に寄りかかり、ため息混じりに休憩をしてた時の事だった。



「よぉ、相変わらず冴えない顔してるな」



 黒スーツを纏い、ハット帽を深く被った初老のような男性が杖を着きながら零児に話しかける。殺人鬼しか殺さないとはいえ、殺し屋に対してこうも軽々しく話しかけてくるということは、この初老の男性も裏社会のものなのだろう。

 そして肝心な零児だが。タバコ片手に「よぅ」と言わんばかりに手を振り上げ、適当に降ろして再び吸い続ける。どうもこの二人は知り合いらしく、それ以前にどこか信頼性を感じられる。



「ふぅ…また悪魔退治か?悪魔ならまだしも堕落者ネフィリム退治はごめんだぞ、''S''」

「安心しなさんな。今回はそのどちらでもない」



 ''S''と呼ばれた初老の男性は鼻で笑うと懐から一枚の封筒を取り出して零児に渡した。どうもこのSと呼ばれた初老の男性、裏社会で言う''情報屋''らしく、本名も、Sという名前の由来も零児でさえわからないらしい。

 ただ持ってくる情報は確かなもののようで、零児はその封筒を警戒することなく受け取ると本人の目の前で中身を取り出し、確認する。

 出てきたのは一枚の写真。表面は裏側から取ったらしく、白い印画紙が出てきた。ただしその印画紙には英語でこう書かれていた。



I'm waiting for you here in London.私はロンドンで貴方を待っています…招待状か何かか?」



 零児の問いにSはただ「裏返してみろ」と答えるだけでそれ以上のことは何も言わない。仕方が無いので零児はそのまま写真を裏返して表面を見つめる。

 そこにはとびきりの笑顔と白いワンピースが特徴的な一人の女性が写っていた。それだけであって別におかしい点などどこにもなかったが…。



「…そんな馬鹿な」



 零児は震えていた。目を見開き、信じられないものを見るような目で、ただ写真を眺める。隣にいたSはこの反応を予想していたのか、被っていたハット帽を深く被りながら零児に言う。



「あぁ、お前さんからすりゃ有り得ねぇ話だろう?なんだって、だなんてな。それに知り合いに写真家が居てな、そいつが言うにはどうも加工やら合成じゃない。正真正銘の本物だと___」

「おいS。差出人はどこのどいつだ?」

「まぁまぁ慌てなさんな。残念だがそこが問題でな。そのどこのどいつなのかが分からんのよ」



 シラを切ってる様子も無い、紛れもない事実だ。零児にとって衝撃的な写真だが、その差出人が分からないとなると実際にロンドンへ行って真相を確かめる他ない。いやむしろその選択肢しか残されていない。

 信憑性はない。もしかしたら自分を恨む敵の罠という可能性もある。さらに言えば日本ここだけじゃなく、ロンドン向こうも悪魔がうじゃうじゃいるんじゃないか、とあらゆる諸説を立てながらも、零児は英国ロンドンへ行く決心を固める。

 何故そう簡単に決心が固まったのか。それは行く価値が十分にあるからだ。零児は知りたかった、この写真の真相と差出人の正体を。



「はっ、とんでもねぇパーティに招待されちまったな。まさか死んだ人間からの招待状だなんて、本当に今の時代なんでもありだな」



 鼻で笑うと零児は準備をする。愛用の改造拳銃とコンバットナイフ、ポーチには弾薬、手榴弾、焼夷弾、閃光弾、煙幕弾、そして仕事用のハーフガスマスクをにしまうと空港へ向かおうと歩みを進める。その際、アンブラが小声で『また荷物運びかよォ』と愚痴っていたが、聞く耳を持たない。



「零児、こいつだけ忠告しとくぞ。向こうロンドンも悪魔がうじゃうじゃいるだろうよ。それと…」



 すれ違いざまにSは零児に耳打ちをする。それを聞いた零児は少し驚くが、何か納得したようで「あぁ」と一言残して路地裏から出る。



「おい零児、情報料は?」



 零児の背中を見て思い出したのか、Sは自分の報酬について聞いてくるが、零児は何も答えず、振り替えないまま指を指すだけでそのまま立ち去る。指された方向にSは首を向けると一パックのタバコとライターが丁重に並んで置かれている。

 やれやれと肩をすくみ、Sはそのタバコとライターを取っては口にくわえ、火をつけて煙を吸い、ふぅーっと吐き出すと空を見上げながら一人呟く。



「こりゃ、楽な仕事じゃねぇな…」















[2056.03 05   10:43]
ロンドン・トラファルガー広場




 そして現在。零児は行き交う人々を呼び止めては不慣れな英語で写真に写る女性がどこにいるのか尋ねても帰ってくる答えは「わからない」という言葉だけで、誰も目撃していないという。慣れない異国にやってきた零児。英語を喋るだけで疲れるというもの、殺しを生業とする彼からすれば人探しなんて縁がない話なのでどうも事が上手く運ばない。

 困った零児は広場にあるライオンの象に寄り掛かり、ため息を着きながら新聞を広げて情報を集める。洒落た服を纏う紳士風の男と、同じく洒落た服を纏う淑女風の女、そして幸せそうに手を繋ぐ子供たちが行き交うだけでこうといった異変はない。

 一瞬だけだが、本当にロンドンでは悪魔という存在が居ないのではと思ったが、昨晩の一件とうっすらとだが、空に浮かぶ半壊した月が悪魔の存在を嫌でも示してくれる。

 それに加えてあの後この地の新聞に''ヒースロー空港、日本大型旅客機爆発''という記事でデカデカと報道されているため、昨晩の出来事は夢なんかじゃないと思い知らされる。ただ零児はそれよりも気になる記事に引っ掛かる。



「握り潰されたような死体、か…」



 その記事はヒースロー空港の隣に記載されているもので、頭部を潰された死体が発見されたこと。しかもこれが初めてというわけではなく、既に数十件目で割と有名な事件らしく、行き交う人々のヒソヒソ話からは「またですって」やら「勘弁してくれ」との声が時折聞こえてくる。

 さらに奇妙なことに。被害にあってる人物は必ず二十歳程度の人間で、老人や子供など相手にされていないようだ。特定の相手を狙い、頭部を正確に潰す…これらの事を踏まえて零児は、犯人は悪魔ではなく堕落者ネフィリムだと推測する。



「やっぱりいるのか、堕落者腐れ野郎共が」

『そりャいるだろうよォ?悪魔ちゃんがいるッてんなら堕落者ネフィリムちゃんもいるッて話だ』



 「やれやれ」と一言呟いて、零児は再び肩をすくめてため息をつく。アンブラの発言は筋が通っている。悪魔の大半は人を虐殺するためだけに生まれてきたようなものだが、中には物好きな悪魔もいるらしく、人の言葉を使い何かしらの契約をしようと企む悪魔もいる。

 ではここでひとつ疑問が出来る。何故代償を払ってまで悪魔と契約するのか。その答えは簡単なもので、人間という生物は欲が深いからだ。人間いざと言う時にはどんなものを犠牲にしてまで欲しいものなんてわんさかある。そうして生まれるのが堕落者ネフィリムである。

 しかし今回零児は堕落者ネフィリムを殺すためにここへ来たわけじゃない。人探しという目的でこの異国の地に立っている。…今はまぁ、問題だらけでお手上げ状態だが。



「おいおい。このままじゃ観光しに来ただけだぞ。困ったもんだ」

『だったら''ろーすとびーふ''ってやつでも食わねェか?牛ちゃんの肉ってなかなか美味いらしいからよォ?』

「かと言って美味いもん喰いに来たわけじゃねぇぞ、殺すぞ」

『殺すぞとかひッでェなおい!?一応オレ様悪魔なんですけどォ!?』



 半分冗談でアンブラが肉を食おうと誘ってくるが、零児は呆気なく断った。彼はここへ遊びに来たわけじゃない、かと言って仕事のために来たわけでもない。手に持つ写真の真相を確かめるために、わざわざ海を跨いで異国の地にやってきた。

 時間はたっぷりある。だけど今の零児はこの女性について知りたくて仕方が無い。一分、一秒でも早く、もう一度会えるのなら会いたい。それが今の零児の心境だった。



『…''命の恩人''、だったか?』

「まぁな。俺に生きる意味を教えてくれた人だ」



 写真の女性は零児にとって命の恩人でありながら生きる意味を教えてくれた人物らしい。それに零児が言うにはこの世に悪魔が出てくる前に出会い、零児の為に命を落としたとされる。そんな人間が、約数十年の歳月を掛けて写真を送ってきたという。

 死んだはずの人間が写真を送ってくるわけが無い、もしかしたら人違いかもしれない。だが零児は、紛れもなく本物だと確証した。女性が付けている綺麗な青い石ころを使った首飾りが何よりの証拠、過去に零児は''お守り''として互いに渡したからだ。



「間違いない。あんなお守りつけてるやつなんて他にいない」



 そしてそのお守りを持っているのは女性だけでなく、零児も同じだった。少し汚れているものの、女性が着けているものと酷似しているお守りが出てきた。そのお守りをアンブラに見せた零児はもう一度首に掛け、鼻で笑うとアンブラに言った。



「…食いもんじゃねぇぞ」

『さすがに分かッてるわ!!テメェ、オレ様をなんだと思ッてんだゴルァ!?』

「大食いバカ」

『ぶッ殺すぞテメェ!!』

「…ん?」



 なんてやり取りをしていた零児だが、アンブラの怒号を無視してある二人の人物に目を止め、遠くから眺める。そこに居たのはナンパする男と口説きを聞き流している女の姿があった。

 他者から見たらなんの変哲のない、ただのナンパだが、零児からするとそんなものとは程遠いものに見える。男の方はナンパを装ってる悪魔で、女の方はただの人間ではないということが分かる。おまけに女に関しては黒髪黒目の日本人であることが分かる。

 情報を収集出来る…という訳では無いが、同じ日本人がいるというだけでどこか謎の安心感を感じる零児は女について尋ねようとするが、その女は何か頷いた様子で男を連れ込み、どこか行ってしまった。

 いくら常人離れした五感を持つ零児でも限界があるらしく、遠く離れてるのに加えて他人のガヤのせいでどう言った会話をしていたのか全く聞き取れなかった。



「アンブラ、行くぞ。お前の好きそうなディナーの匂いがする」

『なに!?ディナー!?どこだどこだァ!?』



 このまま逃さないとばかりに後を追う零児。人混みに紛れながら男を連れ込んだ日本人女性の追跡を試みる。相も変わらずアンブラが騒がしいが、零児はそれを無視して適度な距離で、尚且つ見つからないように歩みを進める。














 歩くこと数分。たどり着いたのは人気のない路地裏で、やや広がった場所に到着。そこでロンドン人の男性が何かを期待してるような眼差しで日本人女性を眺め、対して日本人女性は無表情で男を見つめる。零児は壁際で身を潜め、影を通して二人の様子を伺う。

 もしもの時は助けるつもりだ。人助けという目的ではなく、少なからずの情報源を握りしめるために。



「それで、私になんの用?こっちも忙しいから手短にしてちょうだい」



 スラスラと聞こえる日本語。女性は零児と同じく日本人であることに間違いないようだ。なんの武装もしておらず、黒色ポニーテールと凛とした顔付きが特徴的な、なんとも美しい女性だった。これだと悪魔とはいえ、ロンドン人でさえ惹き付けるのに充分な容姿だろう。

 ただ奇妙なことに。顔だけ出しているというのに首下から足元までにかけて一枚のコートを纏っている。まるで何かを隠すかのような形で纏っているため体がどうなっているのか分からない状態である。

 対して零児はただ見つめただけで動こうとしない。静かに拳銃を握りしめてるだけで変わらずじっと見つめている。



「キミにヒトメボレしました。つきあってください」



 そしてロンドン人の男は不慣れな日本語で女に愛の告白をする。しかもどこから取り出したのか分からないが、わざわざ赤い薔薇を用意してまで女とお付き合いしたいらしい。

 膝を着いて両手で女に薔薇を差し出す男。悪魔が人間の女に惚れるかよと、呆れている零児。そして肝心な女はと言うと…



「ごめんなさい。私、悪魔はタイプじゃないの」

『ア…!?』



 すっぱりと男の告白を断った女に対し、影の中で絶句するのは零児ではなく、アンブラだった。零児はというと「やっぱりな」と苦笑いする。何か事情を知っているようで一人納得する零児にアンブラが問い詰める。



『お、おいちょッと待て!?な、なんでニンゲンが悪魔だッて見分けたんだよ!?なんか知ッてんだろレイちゃん!?』

「声でけぇ、静かにしろ。ちゃんと説明してやるから」



 影の中で言い争う一人と一体。とりあえずアンブラを黙らせると零児はあれを見ろと指を指して注視させる。その先には男の背中がモゴモゴと動き出し、今にも破裂するんじゃないかと膨らむとついには真っ二つに割れ、中から悪魔が飛び出してくる。

 出てきた悪魔は零児達が空港でキャビンアテンダントに化けていた悪魔で、目と鼻がなく、痩せこけた体に鋭い爪と牙、黒い皮膚と目元から背中、尾にかけて覆うように生える黒い体毛が特徴的な''地獄の住民・デーモン''と呼ばれる下級悪魔だった。

 男の中から現れたと思えば住宅街の壁や地面、さらには空間から至る所に赤黒い逆五芒星と魔法陣が出現すると中から血のような液体を撒き散らしながら同じデーモン達が湧いて出る。



「へぇ…一人のか弱いレディに多数で襲い掛かるなんて…あんた最低ね」

「何が''か弱い''だ。''神威''の癖しやがって」

『あ?''カムイ''?そりゃ食い物か?』



 ''神威''というワードを聞いたアンブラは首を傾げ(てるように見える)、零児に説明を要求する。ただ零児はあの女が言う''か弱い''というワードを聞いて苦笑いし、アンブラを横目にしながら説明し始めた。



「大食い馬鹿でも分かりやすく説明してやる。''非政府機関対悪魔用特殊戦闘部隊組織・神威''。国を守るための自衛隊、犯罪から守るための警察官に並んで、悪魔から秩序を守る組織、それが神威だ」

『じャあ何か?あのオンナがそのカムイって奴なのか?』



 「あぁ」と頷く零児。対してアンブラはどこか納得出来なかった。誰がどう見ても普通の女にしか見えないからだ。特別な武装も、目立ったような格好もしていないし、何よりも男ではなく女だということが引っ掛かるのだろう。

 悪魔のアンブラは理解、というがただ単に気付いていないが、零児は理解している。あの女から放たれる殺気に、コート裏から匂う、なにか武器のような金属の匂いが。

 そうこうしてるうちに状況が進展した。最初に男として化けていたデーモンで、動かない女をいいことに、鋭い爪で引き裂こうと両手を広げて女に飛び掛かる。

 そこで初めて女が動いた。身を屈むと一瞬にして飛び上がり、襲ってきたデーモンの頭上を通り越して後ろへ回り込む。その際にコート裏に隠していた小刀を抜刀し、落下していく重力を利用して、デーモンを真っ二つにする。

 常人ではまず有り得ない身体能力に隠し持っていた小刀と、予想外の展開に他のデーモンたちも何が起きたと狼狽える。コート裏で握られ、刃だけ露出した小刀に黒い液体が付着し、それを振って血を払うと元の輝きを取り戻す。



『す、すげェ…』



 驚いてるのはデーモンだけではない、アンブラもそうだった。牙だらけの口をあんぐり開けてぽわァっととぼける。零児はというと「だろうな」と呟き、苦笑いしてその様子を影から眺める。

 灰になって消えゆくデーモンの前に、女はフッと静かに笑うと、小刀を構え自らデーモンに突っかかると、流れるようにひとつ、ふたつとその首を切り落とす。ここでようやくデーモンたちは我に返り、爪を使った攻撃を仕掛けるが一瞬にして屈んで避けられ、そこから斬り上げられると腕を切断した。

 一瞬で腕が消えたことに驚き、痛みに苦しむデーモンだったが、瞬く間にその苦しみから解放される。何故なら急に全身の感覚が無くなったと思えば視界がグルりと回転し、落下していくと、首のない自分の体が見えたからだ。次々と灰となって消えゆくデーモンの中、女は依然無傷のまま悪魔を殺していく。

 と、その直後に上から再び魔法陣が展開されると片腕に斧状の甲殻を持つ大型のデーモンが女の真上から押し潰そうと降ってくる。女はいち早く反応し、その場から回避し距離をとると大型のデーモン''地獄の処刑人・エリートデーモン''が自慢の斧を振り回しながら女に接近する。



「親玉って訳ね…」



 女は直ぐに身構え、襲い掛かるエリートデーモンの斧を小刀で弾き返す。刀身が頑丈なのか、それとも弾く度に女が力加減で刀への衝撃を和らげているのか、叩き折れてもおかしくないと言うのにビクともせずに何度も何度も弾いては受け流し続ける。



「…本気じゃねぇな、ありゃ」

『あ?なんだと?』

「あいつ、どういうわけだか知らねぇが、左手しか使ってない」



 ここで零児、あることに気付き一人呟く。いやそもそも最初から女が本気ではないということぐらい分かっていた。でも彼が一番引っかかっていた疑問、それは小刀を左手''しか''使っていないこと。

 あろうことかこの女、左利きなのかデーモンたちを葬る時も、エリートデーモンの斧状の甲殻を弾き返すときも全て左手のみで対応している。

 では何故右手を使わないのか。刀を使う場合、片手より両手の方が威力が高まったり、防ぐ際に耐えられる力が増したり、構えが安定するなどメリットが沢山あるというのに。零児の思考の中では、右腕が怪我をしている、そもそも失っているという現実的な様々な説が飛び交っていたが、彼女が神威だと思い出した瞬間、理解して指を鳴らす。



「あぁ、そういうことか」

『おいレイちゃん、オレ様を置いてくなよォ?トモダチだろ、なァ?』

「今説明してやるから黙ってろ。あいつ、''対魔導器グラディウス''持ちだ」

『ンだそりゃ、まーた訳わかんねェもん出てきたなァおい』



 零児がいう対魔導器グラディウスにまた訳が分からんと口を開くアンブラ。そんなアンブラに零児は「口で説明するより見た方が早い」と言われ、黙って様子を見ることにする。

 最初は優勢に見えた女だったが、少しずつだが押され気味になり、ついには大きな隙を晒してしまう。今だと言わんばかりにエリートデーモンは斧を大きく振りかぶると、女に向かって叩きつけるように振り下ろした。地面と接触した瞬間、大きく土煙が巻き上がり、女とエリートデーモンを飲み込んだ。

 しばらくして、煙が晴れると斧の下にはちょっとしたクレーターと、その中央には女が纏っていたであろうあのコートが無残な姿で残っていた。これにはエリートデーモンも驚いたようで口をガクッと開くと、前に気配を感じ目と鼻がないその顔で前方を見つめる。



『お、おいレイちゃん、あれ…』

「やっぱりな…。あれが対魔導器グラディウスだ」



 そこには異様な光景があった。まずは服装だが、女が纏ってる服装は何故だか白を強調した古き大正時代の軍服のようなもので、腰のベルトには小刀を納刀するための鞘や青い液体が入った妙な瓶やら魔法陣が描かれた大きめの本がぶら下がっている。そして襟の部分には星型のバッチが三つ並び、胸には神という字をベースにしたトレードマークが示されている。コートで上着して隠してたのはせいぜい、''目立たないため''であろう。

 そしてなにより。一番注目するべき点はその右腕。何やら青銀色のガントレットが右腕を覆っているのが見える。ガントレットとはいえ、太古の西洋騎士が着けていたものでもなく、また戦国の地を駆けた武将のような篭手のものでもなく、どこか鋭く、どこか美しさを感じさせるデザインをしていた。

 唖然とするアンブラとじっと眺めている零児を他所に、女は使ってなかった右手を前に突き出し、手を広げると周囲に水場や水分がないと言うにも関わらず足元から水がプカプカと湧き始めた。次第に量を増す水は、クルクルと女を中心に渦を作り始め、ついには水の竜巻となって覆い尽くす。

 エリートデーモンはただそれを眺めるだけで何もしてこない。絶好の攻撃チャンスだと言うのに動けない理由はせいぜい、本能としての危機的察知だろう。

 しばらくして、水の渦が晴れると手のひらと手首までしか覆ってなかったガントレットが女の右肩まで鎧が形成された。ただ変わったのが右腕だけでなく、女の格好も少しの変化が見受けられる。まず腰の左右にはひし形の小型の金属が付着されると、その間から薄い水色を強調した腰マントが展開され、膝や左腕の肘、肩に同じような金属が展開される。

 そしてなにより。注目すべき右腕は最早腕そのものが武器と言えるようなもので、右肩には鷹のような翼を持つ装飾品に、身を守るために作られた鎧が腕を包み込み、手首からは華のように四枚の金属棘が展開されていた。さらにその右腕には身の丈より細く長い一本の白い槍が備わっており、グルグルと片手で振るうと刃から水が溢れ出る。

 マジックやCGとかそんな次元じゃない。どこからか放出されている水は正真正銘の本物で、水滴が壁や地面に当たると弾け飛び、水跡を残したまま消えていった。



『…!!』



 エリートデーモンはガチガチと歯を鳴らせ、身を低くすると斧の腕を振り上げて足を走らせる。驚いたものの、悪魔らしく恐怖心というものがないようで、形態変化した女を前にしても臆することなく接近戦で挑むつもりだ。

 対する女はクルクルと右手で槍を振り回すと水を撒き散らすだけでその場から動こうとしない。怯えてる様子もなく、むしろエリートデーモンの攻撃を待ち構えてる。

 やがて距離は縮まり、攻撃範囲内に入ったエリートデーモンはその斧で女に襲いかかるが、回り続ける槍に妨害され、大きく弾かれた。女はその隙だらけのエリートデーモンに身構え、水を纏った槍を伸ばし、強力かつ高速の突きが炸裂して心臓を貫いた。

 貫かれた箇所から血が噴き出し、ぐったりとするエリートデーモン。だが女は容赦せず、すぐに槍を引き抜くと倒れ込む前に左手で小刀を握り、エリートデーモンの首を斬り抜いた。さらに黒い血が噴出し、首を失った胴体は地面に倒れ込み、灰となって消えていく。



『ッ!?お、おいレイちゃん!?ありャもしかして___』

「やっと気付いたか。正真正銘、あれは本物の''魔法''だ」



 空気が引き付けらるような感覚にアンブラは初めて気付き、零児は女が纏っている水を''魔法''と呼び、ニヤリと笑う。

 魔法。現代社会では全く無縁であろう言葉だが、誰もが一度なら聞いたことがあると思われるが、それを見たもの、信じるものは皆無に等しいだろう。故に魔法というのは存在しない、あるわけが無いと断言するものもいる。

 だがしかし、そのあるはずのない魔法が発現している。いや、影の中に隠れたり、人並外れた身体能力を持つ零児も言えたことではないが。



『け、けどよォ!?どういうことよ!?あのオンナは堕落者ネフィリムじゃねェんだろ!?なんで魔法が使えンだよ!?』

「どういう仕組みかはわからん。だがあいつが装備している対魔導器グラディウスってやつが魔法を発現してんだろ」



 『マジかよ、対魔導器グラディウスさまざまだなァ』と一人もとい一匹で納得するアンブラだが、零児はあることに引っかかり疑問視する。



(けど妙だな…。対魔導器グラディウスを発現させるにはその鎧の名前を詠唱しないと発動しないはずなんだが…)



 零児が疑問に思ってること、それは女が持つ槍型の対魔導器グラディウスの''名前''である。信用出来る情報屋Sが言うには、神威が持つ対魔導器グラディウスとは、所有者の口から名前を発さなければ鎧化が発動しない、との事。発言による詠唱で初めて真価を発揮するのだが、あろうことか女は名前らしきものを叫んでおらず、それどころか口を開かずに魔法を発現させている。

 どういうことだ。零児は顎に手を当て一人考えるが、すぐにそんなことどうでもいいと思い、思考を止まらせる。関係ないとわかった瞬間、零児はハーフガスマスクを付けると懐から拳銃を取り出し、そのまま腕を伸ばして女に向ける。



『へ?レ、レイちゃん!?』



 突然の行動に驚くアンブラ。だがその時には零児の腕は現実世界の光の先に埋まっており、女からすれば影の中から突然腕と握り締めた拳銃が出てきたように見える。

 そして零児は何の躊躇もなく引き金を引いた。乾いた音と共に発射された弾丸は女の頬を通り、背後から襲ってきた別のデーモンの眉間を貫いた。直撃したデーモンは体をガクッと引き、地面に倒れ込むとベッタリと黒い血を撒き散らし、灰になって消えていく。



「!?」



 そこで初めて女は気付く。突然の銃声、影の中から飛び出した零児の腕、背後から奇襲を仕掛けてきたデーモンの存在を。



「いやいや、見事だったな。最後までお前のショーとやらを見させてもらったぜ」



 影の中からヌゥと現れ、何事も無かったかのように普通に歩く零児に対し、前触れもなく現れた彼に女は身構えて警戒する。武器をしまっておらず、戦闘態勢を緩めてない彼女を見て、零児は歓迎されてないと思ったのか鼻で笑い、肩をすくめる。



「しかしまぁ、オチは最悪だったがな。やり切ってちょっと気が緩んだか?」

「…あんた、堕落者ネフィリムね?」

「だったらどうする?」



 拳銃を構えたまま、零児は女の周囲を回るように歩き、ニィと笑いながら挑発が含まれた発言をする。女は槍に水を溜め込み、身構えたままで攻撃してくる様子はない。あくまで警戒してるだけで自分から戦闘に持ち込むつもりはないのだろうか。

 ちなみにだが、アンブラはというと零児の影の中に潜んで『おいバカ!?変に刺激すんじゃねぇよ!?』と零児に聞こえるぐらいの小声で警告する。が、零児は無視して女の言葉に耳を傾ける。



「聞くまでもないでしょ。あんたを拘束する」

「おぉう、怖いな。けど気の強い女は嫌いじゃないぜ」



 アンブラはともかく、零児も拳銃を向けたままで何もしない。殺人鬼しか興味無い彼にとって、女は敵対関係である神威の関係者だとは言え、殺すつもりは無いのだろう。そもそも零児がその気になれば女一人ぐらい殺すことなんて容易い。

 その証拠…と言ったら大袈裟だとは思うが、女からは冷たく嫌な汗が頬を伝って流れている。緊張している証拠だ、零児が無意識で垂れ流している、ピリピリとして胸が引き裂かれそうな空気に。



「…はっ」



 緊張で震える女を見て、零児は拳銃をポーチにしまうと両手を広げて「自分は無害ですよ」アピールをする。だがそれが逆に、女からして「何かしてくるんじゃないか」と警戒心を煽るだけで身構えを解く様子がない。

 そんな女の姿を見て、零児は一つため息を付き、女に近付くとひとつの質問を投げ掛ける。



「お前さん、名前は?」

「な、なに?」

「名前だよ、名前。まさか知らねぇって訳じゃねぇよな?」



 いきなり名前を訊ねられて困惑する女。そのせいか少し気が緩み、震えが治まると槍を持つ手をグッと握り締め、力いっぱい零児を薙ぎ払う。槍が薙ぎ払われると水もそれに応じて水流が発生し、威力が増すが…女が気が付いた頃には零児の姿がない。



「消えた…!?」



 突然姿を消した零児を探そうとキョロキョロする女だが、四方八方見渡しても零児の姿が無かった。姿が無いとはいえ、影の中に潜れると知った彼女はまだ近くにいると思い、警戒を解かず周囲を隈無く探す。



「へぇ、''十六夜いざよい 美月みづき''。やっぱり日本人か」

「!?」



 上から声がした。すかさず女は視界を上にあげると建物の上に零児は座り込んでいつの間にか取ったのであろう彼女の認識票ドッグタグを見つめながら名前を読み上げる。

 ''十六夜 美月''というのが彼女の名前らしく、美月はからかう零児が面白くないのか槍を構えると鋭い水の棘を発射させ攻撃に転ずる。しかし、零児は攻撃してくるのを最初からわかっていたようで認識票を眺めながらも拳銃を構え、ノールックショットで水の棘を撃ち抜き、美月の横へ飛んでいくと地面に着弾した。

 あと数ミリズレていたら美月の頬をかすんでいた。まぐれでは無い、距離、弾道の速度、弾丸の大きさに角度、風向きなど、完全に計算された精度な射撃に美月は動かないでいた。



「さて、名前がわかったところでだ」



 そんな美月を他所に、零児は自ら建物から飛び降り、綺麗に着地すると認識票を指で弾いて彼女の前に飛ばすと一枚の写真を取り出してもうひとつ質問する。



「この女を探してるんだ。なんか知らねぇか?」

「っ…し、知らないわよ…」



 写真を見せられ、すぐに我に返る美月は動揺しながらも知らないと答え、零児は「あ、そう」と一言いい、写真を懐にしまう。零児は後頭部をポリポリとかきながら「困ったなぁ」と呟いている最中、美月はずっと引っかかってることに思考を巡らせる。



(なんだ…この男は。堕落者ネフィリムはイカれた連中ばかりだと思ってたけど…こいつはまともだ。普通なら神威私たちを見ると逃げるか攻撃するかのどちらかだけど、こいつはそのどちらにもせず、むしろ敵対してるはずの私を助けた?一体何を考えてる?)



 美月は悩む。美月は今まで遭遇してきた大多数の堕落者ネフィリムは襲ってくるの一択で、出会う度に力でねじ伏せ、特殊手錠をかけては連行するのが毎度の事だった。

 けど今回ばかりは違う。目の前にいる堕落者零児は逃げも隠れもせず、ましてや反撃する様子もなく、むしろ自分から奇襲を仕掛けた悪魔を助けた。それだけでも驚きもので、どうも調子が狂うのか戸惑ってる自分がいると美月は考えてしまう。

 しかしその考え事も直ぐに完結してしまう。堕落者ネフィリム堕落者ネフィリム、人ならざるものである悪魔と共にしている存在は無視できない。そう結論した美月は考えるのをやめ、再び身構える。



「と、とにかく!あんたを野放しにすることなんて出来ない。ここで捕縛する!」



 槍を構えると片手でグルグルと高速回転させて再び水を溜め込む。先程のエリートデーモンとの戦いとは比較出来ないほどの水の量で、水が波打つ度に螺旋状の部分に水が溜まり続ける。

 やがて瞬く間に水が槍に満ち、螺旋状の先端が三又状の刃型の水が展開された。恐らくこれが彼女の最終形態なのだろう、これ以上ないほどの殺気で零児を睨む。対して零児はそんな殺気に無反応でむしろ肩をガックシと下げ、やれやれとため息を付いて振り返る。



「正義感強いねぇ。けどお前さんにとっては残念だが、どうも遊ぶ相手が違うようだ」

「ど、どういうことよ…?」



 何を言ってるのか理解出来ない美月に対し、零児は何かを察したのか拳銃に手を掛けて身構える。明らかな戦闘態勢に美月はさらに警戒を高めるが、彼の視線と自分の視線が一致していないことに気付く。

 美月は零児を睨んでいるが、零児が睨んでいるのは美月…ではなく、その背後。一面壁が広がってるだけでなんの変哲のない壁だが、ある異変が起きる。

 突然の揺れ。ゴゴゴと地面を震わ、空気さえも振動させる音が二人の耳に届く。何が起きてるのか分からない美月だが、これが地震ではないと理解した。

 何故ただの地震ではないと理解したのか。それは''大きさ''である。普通地震なら大きな揺れと大きな音が発するというのに、この揺れと来たら時間が経つにつれ段々と大きく音が震え、段々と揺れが大きくなる。

 そしてそれらが最大になった時、壁が大きく破壊された。上から降ってくる瓦礫が美月を下敷きにしようと降り掛かってくる。遅れて美月は槍を利用して降ってくる瓦礫を薙ぎ払い、身の安全を確保すると土煙が舞いあがる。



「!?」



 舞う土煙の中、美月は誰かに引っ張られてしまい、体ごと奥に吸い込まれる。抵抗しようにも尋常じゃない力で引っ張られ、どう足掻こうが全くと言っていいほど効かなかった。

 このままじゃ殺される。そう思った美月だが、土煙のその先から銃声が聞こえると銀色の弾丸が美月の頭上を通って引っ張っている張本人に直撃する。煙の中で何も見えない美月だが、引っ張られている力が緩んだ瞬間身を回転させて土煙の外へ出る。

 そこには拳銃を構えている零児の姿が。銃口から煙が出ているため、先程の射撃は彼が発したものなのだろう。二度も彼に救われたことになんとも言えない美月。だが煙の奥底に何かが居ると理解したため零児よりその''何か''に注視する。



「チィっ…''銀弾''かよ。これだからカムイの連中ってのは嫌いだ、ちくしょうが」



 煙のそこから聞こえてくる声。男性のようだが、妙なことに少年らしい声で一般男性より少し高めの声だった。

 姿こそ見えないが、その少年のような人影はスゥと軽く息を吸い込み、ふぅと息を吐くような動作をする。たったそれだけだと言うのに立ち込めていた土煙が一瞬にして吹き飛び、呼吸による強風が身構えていた美月と拳銃を構えたまま動かない零児に襲いかかった。

 たかが呼吸。それだけで人を軽く吹き飛ばせそうな強風により、美月は苦しそうにしている反面、零児はノーリアクション。纏っている黒コートがなびくだけで本人は何ともないらしく、ハーフガスマスク越しでニヤリと笑う。



「…やっぱりとは思っていたが、ロンドンここにも悪魔がいりゃ、堕落者ネフィリムもいるってわけかい」



 風が収まり、美月は閉じていた目を開けると、そこには髑髏の仮面を付けた少年が佇んでいた。
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