屈曲ラヴァー 〜身を滅ぼしてしまいそうな初恋〜

榊󠄀ダダ

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第2章

第18話 月と太陽

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 あの夜から、次会った時にどんな顔をしたらいいのか、何を言ったらいいのか分からなくて、あのコンビニには行けなかった。


 ただその間もきみかさんのことばかり考えてしまう自分がいた。あの笑顔を思い浮かべると必ず鼓動は早くなり、言われた言葉を思い返すと耳が熱くなった。そうして私は、日ごとに言い訳や否定が出来なくなっていった。


 心がぐちゃぐちゃになりながら、何回かの週末を光と過ごした。生まれてくるたびつま先から綿を詰めるようにぎゅうぎゅうに体の中に押し込んできた感情は、もう喉にまで達していた。


 そしてなんでもないその日、容量を満たして入り切らなくなったものが、こぼれ落ちるように口からポロポロと出てきてしまった。


「……ねぇ、光」
「ん?」
「話聞いてくれる?」
「なーに?」


 光は私の家に着いたばっかりでまだ着替えてもなく、仕事帰りの服のまま冷蔵庫の缶チューハイを取り出そうとしていた。


「私、好きな人が出来たかもしれない……」


 ずるい私は光がこっちを振り返る前に背中に向かって言った。


 プシュッ……


 ちょうど缶チューハイのフタを開けたところで、一口目をごくごくと勢いよく飲んでから光はこっちへ向き直った。


「それってこないだの話のやつ?実践してみてるの?」
「……そうじゃなくて。本当に、好きな人が出来たかもしれなくて……」 
「冗談でしょ?こないだ菜々未納得いってなさそうだったもんね。だから試してるんでしょ」


 その言葉に泣き出した私を見て、光は冗談なんかじゃないと理解した。


「…………ごめんね」


 そう言うのが精一杯だった。


「会社の人?」
「……会社の人じゃない。たまたま知り合った人……というより、まだ知り合いとも言えない関係なんだけど……気持ちを伝えたいと思ってる……」
「気持ち伝えたいってことは、好きかもしれないじゃなくて、もう確実に好きじゃん。知り合いとも言えないような人にそこまで思うって、運命みたいだね」


 そう言うと、光は缶チューハイの残りを一気に飲み干した。


「帰るね」


 そして一度も腰を下ろさないまま玄関へ戻った。


「……話しないの?」


 靴を履こうとしている光に私はまた背中から聞いた。


「何を?もう聞いたよ。これ以上なんか意味ある?部屋に置いてある荷物は今度都合のいい時に取りに来るから」
「え……」
「こないだ言ったでしょ?そうゆうことになったら身を引くって。大丈夫、別に菜々未のこと恨んだりしてないよ。他に好きな人が出来たのは菜々未が悪いわけじゃないし。だから謝らなくていいよ」
「光……」
「幸せになってね」


 鉄の扉が閉まり、私たちの7年間はたったの5分で終わった。そんな最後の瞬間さえも光は太陽みたいに笑っていた。私にはそれが今までで一番悲しかった。



***



 それから一週間後の夜、あの日と同じ曜日の同じ時間、同じ場所で、私はバイト上がりのきみかさんを待った。


 緊張で本当に口から心臓が出そうだった。ここまで来てもまだ、まず初めになんて言うかも決められていないままだった。


 そうこうしている間にどんどんその時が迫ってくる。どうしよう……どうしよう……と左手で右手を包んで思い詰めていると


「あっ!缶チューハイのお姉さん!」


 予想よりも早く現れたきみかさんに、向こうから声をかけられた。


「あっあの!……こないだは本当にすみませんでした……」 
「まだ言ってるんですか?てゆうか、もしかして待ちぶせしてました?」


 きみかさんは紙パックの野菜ジュースを飲みながらかろやかに笑って言ったけど、私は大真面目な顔で一言「はい」と答えた。

 
「えっ!?本気で!?今の冗談だったんですけど……。もう本当に気にしないで下さいよ、何度も言うけどただの水だし私も悪かったんだし……」


 変な女だと思われたのか、立ち止まらずこないだのように自転車の方へ歩きながら片手間で言われた。だけど私はめげなかった。駆け引きなんて高度なことは出来ない。ただ伝わることを願って心のままをまっすぐにぶつけるしかない……そう決意し、並行してついていった。


「あの!そうじゃなくて!……あのことは本当に申し訳なかったんですけど……今日は違うんです……。こないだ、もしナンパだったらついて来てくれるって言ってたから……それで……」
「……え。……確かにそう言いましたけど、でもお姉さん、付き合ってる人いるんでしょ?」 
「別れました……。だから、浮気とかそうゆうのではないので……」


 きみかさんは少しの真顔の後、うつ向いた私の顔を覗き込んで嬉しそうに笑った。


「じゃあ今から飲みに行きます?」


 7年も付き合った光とあんなにも簡単に終わって、知り合いでもないきみかさんとこんなにも簡単に二人で飲みに行っている。


 それまでほとんど変わり映えのない毎日だったのに、自分を取り巻く世界はたったの一週間で180度変わった。人生とはなんと実感のないものなんだろう……。現実の感覚が湧かない中、ただきみかさんの隣を歩くだけで息苦しくなるほど打つ鼓動だけが、これは現実世界なんだと教えてくれていた。


 どこか行きたいお店の希望があるか聞かれ『ある程度静かであればどこでも』と答えると、きみかさんはたまにバイト先の店長さんと行くという近くの居酒屋に連れて行ってくれた。


 その店はチェーン店で、名前は聞いたことがあったけど入ったことはないお店だった。学生が大勢で集うような店ではなく、どちらかと言えば大人が少人数で来るような、一見するとバーのような雰囲気のあるお店。


 半個室になっている席に通され、私たちは向かい合い、王道の流れでまずビールで乾杯をした。


「今気づきましたけど、明日って仕事じゃないんですか?こんな時間から飲みだして大丈夫なんですか?」
「明日はたまたま休みで……」
「そうなんだ!ならよかったです。やっぱり飲む時は抑えて飲むとかつまんないですもんね!」
「……そうですね」


 本当は有給を取って休みにしていた。今日きみかさんに断られても、断わられなかったとしても、どちらにしても次の日にダメージがあると予想していた私は、どうせ溜まっていた有給の消化をちょうどよく使ったけど、正直に話したらさすがに引かれそうだと思いそこは黙っておいた。


「別れた彼女さんとは長かったんですか?」


 まさかの質問をまさかのタイミングで聞かれ答えに一瞬躊躇していると


「って、その前に自己紹介しなきゃですよね!ごめんなさい!私、尾関きみかっていいます。お姉さんは?」


 きみかさんは思い直し仕切り直した。


「私は、間宮《まみや》菜々未《ななみ》です」 
「じゃあ菜々未さんて呼んでもいいですか?」
「……はい。じゃああの、私もきみかさんって呼んでもいいですか……?」


 心の中でだけ何度も呼んできた名前を初めて声に出してみると、全然しっくりこなくて無性に恥ずかしくなった。


「きみかさんてなんかこそばゆいなぁ。呼び捨てでいいですよ!菜々未さんの方が少しお姉さんだし。……あ、てゆうかごめんなさい、勝手に決めつけて。私、24なんですけど奈々未さんは……?」
「もちろん全然上です!私は27なので……。でも人のことを呼び捨てにするのってあんまり慣れないから、よければ『きみかさん』でもいいですか……?」
「そうなんですね。それなら、とりあえずきみかさんで」


 きみかさんはあまりこだわりがない人のようでホッとした。


「……それであの、さっきの話なんですけど……どうして付き合ってたのが“彼女”だって分かったんですか……?」
「それは……同じ匂いがするから……かな」 
「……そうなんだ。私ってほとんど気づかれない方なんですけど、きみかさんには気づかれてたんですね」
「どうだろ。奈々未さんがどうこうとゆうより、私けっこう気づいちゃう質なんですよね」
「すごいです……」
「なんの役にも立たない能力ですけどね」


 きみかさんはそう言ったけど、私にかなり有力な能力だと思った。


「あっ、そう言えば……さっきの質問の答えですけど……前の彼女とは7年付き合ってました……」
「7年!?長っ!!私そんなに長く付き合ったことないですよ、逆によく別れられましたね、そんなに連れ添って……」
「私が好きな人が出来たって話したら、彼女は身を引くって言って……」
「ちょ、ちょっと待って下さい……その好きな人ってまさか……」
「……きみかさんです」


 少しお酒が入ってたことと、もう覚悟が決まったことで、私は向かい合うきみかさんとまっすぐに目を合わせながらはっきりと言い切った。


「いやいやいや!だって、そんなに面識ないし!店には来てくれてましたけど……」 
「……実を言うと、最近あのコンビニに行くようになるずっと前から私、きみかさんのこと知ってたんです」
「えっ!?」
「数年前から、公園前のベンチで彼女さんと楽しそうに話してるのを仕事帰りにたまに目にしてて……」
「そうなんですか!?全然知らなかった……。ってゆうか、あの時のあの子は別に彼女とかじゃないですけどね」
「そうなんですか?!私、二人は絶対付き合ってるんだと思ってました……それで、失礼ですけど、その後別れちゃったのかなって……」
「全然そんなんじゃないですよ。ただの仲のいい後輩って感じで。そもそもあの子はノンケで、今も彼氏いますから」
「彼氏が!?……そっか。あのその方って、一緒にお店で働いてる“倉田さん”ですよね?」
「そこまで分かってるんですね……なんか異様に恥ずかしいな……」
「ごめんなさい……。あの頃、お二人の姿を見かけるとなんか微笑ましくて癒されてたんです。でも、お二人があのコンビニで働かれてるのは全然知らなくて。お店に行ったのは本当に偶然だったんです。だけど、それがきっかけで通ううちにどんどんきみかさんのことを意識してしまうようになって……。気づいたら、いつもきみかさんのことばっかり考えるようになって……その時はまだ私にも彼女がいたから、本当に苦しいくらい毎日悩んだんですけど……惹かれてる気持ちを!どうやっても否定出来ないところまで来てしまって……」


 きみかさんは私の長い話の間、お酒に一切手を伸ばさず、真剣な眼差しで聞いてくれていた。


「それで自覚したんです。私はきみかさんのことが好きなんだって……」
「……なんかめちゃくちゃ照れます。久しぶりにそんなこと言われて……」 
「嘘ですよ!きみかさん絶対モテるし、こんなことくらいしょっちゅう言われてるはずです!」
「私、趣味で音楽やってるんですけど、そっちの方ではノリでとか、若い子に懐かれて……とかはたまにありますけど、ちゃんとナチュラルに言われたのは本当に久しぶりで……」
「……音楽やってるの、似合いますね」
「ありがとうございます。ただの趣味ですけどね。好きだからやってるだけで」


 思うことがあって、ライブハウスで見たことはまだ言えなかった。

  
「……あの、今さらですけど、今は付き合ってる方、いらっしゃらないんですか……?」
「こう見えてももし彼女がいたらいくら綺麗なお姉さんに誘われてもついてったりしないタイプです」


 言い終わりの笑顔は、女遊びがこなれた人にも見えた。だけど今はそんなこと、どうでもいいと思った。

  
「……じゃあその……もしよかったら、私と付き合ってもらえませんか?」


 今しかないと思い、私はいちかばちか真っ向から告白をした。


「いいですよ」
「……え?あの、付き合うって、飲みに付き合うとかじゃなくて、『恋人として』ってことなんですけど……?」
「やだなぁ、人をアホみたいに!そんなの分かってますよ!飲みに付き合うの方なわけないじゃないですか!菜々未さんおもしろいですね!」
「だって、そんな簡単に承諾してくれるなんて……」
「だって私今フリーだし、菜々未さんは綺麗なお姉さんだし、断る理由がないですもん」
「……そんな、綺麗なんかではないですけど……」
「めちゃくちゃ綺麗ですよ!初めて店に来てくれた時から綺麗な人だなーって思ってましたよ?私」


 きみかさんはこうゆう罪なことをなんの悪びれもなくさらっと言ってくる。相手を上手に持ち上げ、媚びとも取られそうなくらいの言い回しをするけど
、さも本心を素直に口にしているだけという純粋無垢な顔が、証もなしに信じさせてしまう。そしてその笑顔は、乾いた土に水を与え、鼓動を急がせる。


「……あの、じゃあ……もう今から私、きみかさんの彼女ってことでいいんでしょうか……?」
「はい!菜々未さんはたった今からもう私の彼女です!だからもうよその女の人をナンパなんかしちゃダメですよ?」


 この人といるとドキドキが止まらない……。


 光からはもらえなかったものを、この人ならくれると思った。















 




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