今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第4章

第47話 あなたのいない季節

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【中谷 かこ】




 あの夜、トラックで私の前から去っていった彼女が、それ以来姿を見せなくなってから一週間が経った。


 配達に来てくれるたび、ただあの笑顔を見れればそれで良かったはずなのに、もっと欲しい……そんな欲を出さなければ、今もまだ彼女は私の部屋を訪ねて来てくれていたかもしれないのに……。どうして私は不相応な夢を描いてしまったんだろう……


 他愛ない会話を交わせていた普通の日々が狂おしいほど恋しくて痛い。会えなくなるくらいなら想いを秘めていればよかった……。後悔は繰り返す波のようにいくらでもやってくる。


 馬鹿な私はそれでもまだ、朝の通勤電車の中、あの手がもう一度私の体を求めてくれるんじゃないかという期待をかすかに抱いていた。だけどやはりそんなことはなく、今日も平穏に目的地の駅へと到着した。


 なんの為にスカートを履いて出勤しているのか、やるせない思いでため息をつきながら改札を抜けると、ふいに後ろから右肩に手を置かれた。


 まさか?!と思い思い切り振り返る。


「おはよう。あなたもこの電車なのね」

「才原《さいばら》部長!お、おはようございます……」


 そこにいたのは彼女ではなく、一ヶ月ほど前に海外から赴任してきたやり手の女性上司、才原部長だった。


「いつもこの時間なの?」


 押し寄せる人の波に自動的に乗ってしまい、そのまま並んで歩き出す流れとなった。


「はい。いつもこの時間の電車に乗って来てます」

「私もいつもこの時間なのに今まで全く気づかなかったわ」

「車両が遠いからかもしれせん。私、いつも一番端の女性専用車両に乗ってるんです」

「そうなの?一番端なのにわざわざ?もしかしてチカンにでも遭ったりしたの?」


 そのセリフについ動揺する。


「……いえ、そうゆうんじゃなくて!単純に男の人と密集する空間が苦手というか、それに、女性専用車両の方が一般車両より少しだけ空いてるんです!それで!」


 なぜか必要以上に早口になってしまった。


「そんな言い訳みたいに必死にならなくてもいいわよ」


 あきらかに様子のおかしい私に見せたその穏やかな微笑みに、私は内心かなり驚いていた。というのも、才原部長が本社にやって来てからのこの一ヶ月、笑う顔を見たのはそれが初めてのことだった。


 これまで香港支社、ロサンゼルス支社でそれぞれ数年に渡り重要なポストを任され、その功績により名だたる同期の男性社員たちを抑えてこの度本社第一営業部署の部長に就任した才原部長は、それを物語るように自分にも他人にも厳しい人だった。


 社内では常に気迫のこもった表情をしていて、一秒足りとも無駄な時間などないような働き方で、背中にも目がついているんじゃないかと疑う観察力で隅々の部下たちの仕事ぶりまでもを把握。理にかなっていない要素があれば誰であろうと容赦なく尋問のように詰められる。すでに代わる代わる沢山の人がその的になっていて、同じ部署の人間は才原部長が来てからというもの、日々張り詰めて仕事に当たっていた。


 私はまだ特別に何かを指摘されたことはないけれど、他の人たち同様、いつ自分の身にそういった状況が降りかかるかと毎日怯えながらデスクに向かっていた。


「才原部長は、混み合った車内とか気にならないんですか?」

「気にならないこともないけど私なんてもうおばさんだし、チカンに遭う心配もないから別にわざわざ車両を変えようとまでは思わないわね」

「おばさんだなんて!そんなことないです!才原部長はとってもお綺麗だし、女性から見ても魅力的で素敵な方だと思います……!」


 それは別にお世辞でも媚びなわけでもなかった。私より十歳ほど歳上のはずだけど、とてもそうは見えない若々しさでスタイルも良くて背も高い。さらに独身の経済的余裕もあってか、仕事の服装にしてはもったいないほど洗練されたセンスのいいスーツをいつも着こなしていて、何より内側から滲み出る品がある。きっと学生時代は男子よりも女子にモテただろうと容易に想像が出来た。現に社内の女子社員たちは、優しいとは言い難い才原部長に肩をすくめながらも、文句のつけようのないその容姿には陰で黄色い声をあげていた。


「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると特に嬉しいわね」

「え……?」

「だってあなた綺麗だから。綺麗な人にそう言ってもらえると特別嬉しくなるものでしょ?」

「私はそんな、綺麗なんかじゃ……」

「あら、謙遜するの?あなたほどの女性だったら堂々と受け取っても嫌味じゃないと思うけど」


 なんだかすごく誉めてもらっているんだろうけど、どう返すべきなのかスッと出てこずに変な間が空いてしまった。


「……あの、すみません、なんて言ったらいいのか言葉に詰まって……」


 仕方なく素直にそう言うと、才原部長は軽く握った手で口元を隠しフッと吹き出した。


「あなたってなんだか可愛い人ね」

 
 そう言われて反射的に顔を向けると思った以上に距離が近く、間近で見る目力の強い瞳にまるでロックオンされたように目がそらせなくなった。L.A.帰りだから距離感が欧米的なんだろうか……。そんなことを考えてるなんてつゆ知らず、才原部長はそんな私の顔ををさらに覗き込む。

 
「……もしかして何か悩みでもある?思い詰めたような顔してるように見えるけど」


 さすが人を見る目がすごい……
 数分一緒にいるだけで丸裸にされそうなある種の恐怖感を感じた。


「いえ!全然!なんにも悩んでないです!」


 まさか、家に来る配達員の女の子に恋をしてフラれたなんて、そんなこと絶対に人に話せるわけがない……。しかもよりによって部長になんて……


「……まぁそうよね、もし悩みがあっても私には話せないか……。みんな私のこと怖がってるものね」

「あ……えっと……」

「陰で色々言われてることくらい分かってるわ。鬼だとか、魔女だとかね。まぁ間違っちゃいないけどね……」


 それは気にしてないような口ぶりだったけれど、そのように振る舞っているようにも見えた。
 

「あの、すみません……私の中にも正直、才原部長を怖いと思ってしまう気持ちはあると思います……。でもそれはきっと、自分でも自覚している足りない部分を突きつけられる状況自体に怯えているんだと思います……。才原部長にはすべて見透かされてしまう気がして……」


 私の拙い言葉を才原部長は真剣に聞いていた。


「沢山の男性の中で女性がトップに立つって言葉じゃ簡単ですけど、私なんかじゃ想像すら出来ないくらい過酷なことなんだと思います……。そしてそれを実際に成し遂げた才原部長は女子社員みんなの憧れです」

「もしかして慰めてくれてる……?」

「いえ!そんな慰めるなんておこがましいこと……!本当の本心で……」

「……どっちだとしても嬉しい。ありがとう」



 会社に着くと才原部長は「お手洗いに寄る」と言って一緒にオフィスへは向かわず、私は先にオフィスへ入った。毎朝の通り挨拶をしてデスクに向かい一息ついていると、社員達のゆったりとした朝の空気が突然ピリリと変わった。


「おはようございます!!」
「おはようございます!!」


 誰かが軍隊のような挨拶をすると、それに次から次へと後から続いた。


「おはよう」


 才原部長は席に着くなり、いつもの難しい顔つきになった。そして着席して二分と立たずに部下の一人を呼び、彼の作成した資料の不備を怪訝な顔つきで指摘した。その光景を横目で見ながら、さっき話していた相手が才原部長だということに改めて普通に驚く。


「ねぇねぇ中谷さん、さっき部長と出勤してこなかった?並んで歩いてる後ろから見たよ!」


 隣の席の吉井さんが才原部長に聞こえないように
小さな声で聞いてきた。


「あ、うん。乗ってきた電車が同じだったみたいで、改札出たところで声かけられて……」

「そうなんだー?才原部長って仕事以外で人と会話とか出来るんだね!?」

「仕事の時とは違って普通に笑顔で話してくれた」

「うっそ!!笑うの?!」   


 吉井さんがボリュームの調整を忘れなかなかの大声を出してしまった。すると、


「吉井さん?話すことがあるならここに来て話して。私は学校の先生じゃないのよ?子どもにするような注意させないで」


 叱られた吉井さんはその場で席を立つと


「申し訳ありませんでした!」


 と見渡す限りの人が振り向くほどの声で謝った。


「……分かればいいわ。仕事に戻って……」


 そのあまりに瞬発力のある謝罪と礼儀正しいお辞儀に、才原部長の表情がほんの少しだけ緩んだように見えた。


 早々に許された吉井さんは、上手いことやり過ごした子どものように片目をつぶってチラッと私を見た後、真面目に仕事戻った。世渡り上手。こうゆう人のことをそう呼ぶんだなと思いながら私もパソコンの画面を向く。なんとなく視線を感じて顔を上げた時、かなりの距離があるのに才原部長と目が合った。そのままそらすのも気まずく感じとりあえず愛想笑いで会釈をすると、ぶっきらぼうにふいっと無視をされてしまった。


 ……やっぱり。この人もしかして……


 誰も気づいていないことに、私は気づいた気がした。














 


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