私と玉彦の暗闇の惨禍、或いは讃歌

清水 律

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正武家の日常

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「最近、出るんです」

 何が、と聞くまでもない。
 ここへ来たということは不可思議な何かが出るということだろう。
 澄彦さんは僅かに首を傾げて先を促す。

「私、有路市の片町で夜のお店をしている中川と申します。小さなビルの地下一階で細々と営業しています。本日は豊綱議員さんの紹介でこちらへと伺いました」

 有路市は鈴白村から出るバスに乗って駅まで行き、通山とは反対方向の一駅目だ。
 そんなに遠い距離ではない。

「それで」

 誰の紹介でも便宜を図るつもりのない当主は、再び促した。

「最近、お店に出るんです。訳の分からないものが」

「抽象的過ぎる」

「すみません。でも何かが絶対にいるんです。ふとした時に視線を感じたりはしていたんですが、気にしなければすぐに気配は消えていたんです。でも最近になって、お店を開く時間になると魚の腐った臭いが充満する様になって。従業員は怖がってお手洗いで足首を何かに触られたと言い出しまして」

 中川さんはそこまで話すと、思い出したのか膝の上にある手を握り締めた。
 私はその指先にほんのりと黒い影が視えた。
 煙草の煙よりも薄く、墨汁が水に溶けたような薄らと細い影だった。

「気配、臭い、具現的なもの、か。面白いように段階を踏んでいるな。それでこの澄彦にどうしろと」

 どうしろも何も、祓って欲しいんだと思います。
 だってそんなとこで営業してて、もしお客さんに被害があってからでは遅すぎる。
 それにあそこは出るぞ、なんて噂は立ってほしくないだろう。

「どうにか出ない様にしていただけないでしょうか」

 中川さんは再び低頭して、声を震わせる。
 男の人をこんなに怖がらせるなんて、よっぽど切羽詰まっているんだろうな。
 何とかしてあげたいな、と思っていたら玉彦が私を見てあからさまに苛立たしく目を細めた。
 同情はするなと目が言っている。

「ふむ。いいだろう。では明日、次代そこへゆけ。神守の者、付いてゆけ。以上である」

 澄彦さんはそれだけ言うと、宗祐さんと奥の襖から出て行ってしまった。
 残された私たちは、この場で当主の次に発言が許されている玉彦の言葉を待った。

 彼は相変わらずの無表情で目を閉じる。
 きっと、澄彦さんがまた何か企んでいるとイラッときているのが離れていても感じる。

「明日、開店前にかたをつける。もしくは閉店後だが、どちらが良い」

「おまかせいたします」

「では開店前。須藤、詳細を聞いておくように」

 澄彦さんからのパスが、玉彦から須藤くんに回ってきて、次代と稀人は奥の襖から出て行く。
 当主と次代は気が利かないのか、中川さんに上げよと言わずに消えたので彼は未だに低頭したままである。

 そんな中川さんのところへ私は移動して、肩を叩いた。
 もう大丈夫ですよって。

「すみません。私に何か不手際があったのでしょうか……」

 中川さんは恐縮して身を縮ませた。
 不手際は何もない。 
 あるのはこの後、昼餉だけだ。

「大丈夫ですよ。いつもあんな感じですから」

 苦笑いすると、中川さんはホッとしたように金の指輪を嵌めた手で胸元を撫でた。
 彼は近くで見るとやっぱりどんなに化粧をしても、男の人だった。
 女装をした玉彦の方がよっぽど女性に見える。

「で、明日はどちらへ伺えば?」

 須藤くんがにこやかにキラースマイルを振り撒けば、中川さんは慌ててハンドバッグからピンクの名刺を取り出した。
 それを受け取ろうと須藤くんが両手を出すと、バチンと光が出てもおかしくないほどの静電気が二人の間に走った。
 ひらりと落ちてしまった名刺を私が拾い上げ、不思議そうに自分の手を見ていた須藤くんに渡す。
 中川さんは両手を組んで、運命だわ、と呟いた。

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