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永久の別れ
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しおりを挟む玉彦が運転する車は有路市の手前で曲がり、山道を進んでいた。
どこへ行くのかと思ったけれど、玉彦に尋ねるのも気に食わないので、私はスマホを取り出して現在地を確認する。
そしてその先に那智見町があることを知る。
那智見町には正武家御用達の君島呉服店がある。
古くからの付き合いの様で、季節ごとにご主人は正武家を訪ねては次の季節ものを承っていた。
新緑の山を抜けると、そこには那智見川に二分された町が広がる。
迷うことなく君島呉服店に到着した私たちは、駐車場に車を停めて降りた。
そこにはご主人のバンが停まっていたのでお店にいるのだろう。
車のドアを閉めて空を見上げると、ふんわりとした雲が流れている。
不意に左手に玉彦が触れた。
困った顔をして薬指を撫でている。
そこには玉彦から贈られたマリッジリング。
プラチナとピンクゴールドのシンプルなものだ。
「良かれと思い……」
玉彦はたぶん、ずっと運転をしながら考えていたのだろう。
でもやっぱりどうしていいのか解らずに、言葉を詰まらせる。
ほんと、どうしてこの人は人間関係だけ鈍感なんだろう。
「次からは相談してね。一緒に計画した方が楽しいんだから」
私が呟くと、玉彦は顔を輝かせて手を握って了解したと笑う。
お役目では無表情で何を考えてるのか解らないけれど、二人だけの時は素直に感情が伝わる。
私だけに向けられる笑顔はとても貴重だ。
手を繋いだまま暖簾をくぐると、そこには私が経験したことのない空間が広がっていた。
大きな棚にいっぱいの巻かれた反物が横倒しに並び、訪問着や留袖、振袖などが展示され、履物や簪、和装小物がズラリとショーケースに並ぶ。
店内にはご主人が小上がりで私たちに背を向けて年配の女性に接客をしていたので、玉彦に手を引かれるまま店内を回る。
「小袖も良いが、小紋の方が好みだ。夏にはこれが涼しいだろう」
玉彦は反物を手に取り、指触りを確かめてはガラスのショーケースに積み上げていく。
私は玉彦が選ぶものにふむふむと頷いて、あまり好きではない色の時だけ首を振った。
だって素材とか何が良いのかなんて、私にはレベルが高すぎる問題だ。
最初小袖と小紋の区別すら良く解っていなかったのに。
ちなみに小袖とは簡単に説明すれば、桃太郎のお婆さんが着ているようなゆるりとした感じ、小紋はなんていうのか、そう、時代劇の町娘が着ている感じと言った方がピンとくるかもしれない。帯がしっかりとしている。
そして大体着物を反物から仕立てる場合、一か月程掛かると私は聞いていた。
今から夏用なんて間に合わないと思うのだけど、と玉彦の耳に囁くと何とかなる。と言われたので私は思わずご主人の背中を見た。
きっとこの調子で無理難題を押し付けられているんだろうなと同情せずにはいられない。
「あとは」
玉彦は迷いなく帯も選び、小物たちもショーケース越しに決めたようだ。
私は詳しくないので彼の説明を聞きながら、メモを取れないことを悔やんだ。
お屋敷に帰ったら、もう一度説明してもらおう。
それから二人で今度は玉彦の物を見ていると、変な声を上げたご主人が慌てて私たちへ駆け寄ってきた。
「正武家様! お呼び頂ければこちらからお伺いいたしましたのに!」
恐縮するご主人に目もくれずに玉彦は濃紺の反物に視線を落として、答える。
「構わぬ。本日は私用のついでに寄ったまでだ。あちらの物とこれと、あとは……」
玉彦が歩き出した後ろを注文票を抱えたご主人が追いかけ、小物を確認しては書き込んでいる。
接客をしないのは楽だろうけど、一方的に注文されるのもまた大変そうだった。
「では、頼む」
店内を回って時間を潰していると玉彦の声が聞こえたので、私は彼のもとへと戻った。
ご主人は私たちを駐車場までお見送りをして手を振る。
少し離れたところで駆け足で店内に戻る姿がバックミラーに映っていた。
「ねぇ、支払いっていつするの?」
店内で玉彦がお財布を開いていなかったのは解っている。
まさかあの金額を現金で支払いするとは思っていなかったけど、クレジットカードを持っているとも思えない。
「屋敷へ届けに来たとき。その辺りは松か梅が担っているから心配はない」
そうだけど。
これから買い物に行くものは、皆が皆正武家に請求しに行くわけではないだろう。
と、思っていた私が間違っていた。
有路市内に入り、全国展開する某有名デパートの前に玉彦は車を停めた。
交通量の多いこんなところで何をしているんだと固まると、さっさと車を降りてしまう。
するとデパートの入り口から数人の偉そうなおじさんたちが玉彦に駆け寄り、頭を下げている。
そしてその内の一人に車のキーを預けると、おじさんたちを引き連れて中へと消える。
私はその様子を助手席から呆然と見ていた。
降りるタイミングを完全に逃してしまい、運転席のドアを開けたおじさんが訝し気に私を見た。
「あっ、すみません……」
なぜか謝って車を出れば、私を置いてけぼりにしていた玉彦が戻って来る。
手を差し出されて上に乗せると、呆れたように片眉だけ上げる。
呆れたいのは私の方だ。
こんなの、ドラマの世界でしか見たことがない。
そしておじさんたちを当たり前の様に引き連れた玉彦と挙動不審な私はデパート内で欲しい物を手に入れ、持って帰るもの、お屋敷に届けてもらうものを分けてから先ほどの入り口から出る。
そこには滑り込む様に車が駐車場から戻ってきて、助手席に収まった私を横目に玉彦は車を出した。
正武家って一体どうなっているんだろう。
五村でこういう待遇ならまだ理解は出来る。
でもそこから離れた全く関係のない所までこんなことが出来るなんて、不思議というより怖い。
「ねぇ、玉彦……」
「創業者からの付き合いだ」
「あ、そう……」
私の聞きたいことが解っていたのか簡潔な答えだった。
推測するに正武家のお役目関係で縁があったのだろう。
全国にある建物の中には、そういうものもあったのかもしれない。
正武家恐るべし。
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