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夜の鈴白行脚

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「あのさ……。玉彦なにやってんの?」

 私と同様に見上げて呆れている須藤くんに聞くと、肩を竦める。
 どうしてこんな状態になっているのか彼にも理解できないらしい。
 澄彦さんが言っていた、真ん中で遊んでる馬鹿の制御って。
 ……私の緊張を返せ。馬鹿玉。

 私は縁側に戻って、澄彦さんから御猪口を奪うと一息に呑んだ。

「え、比和子ちゃん?」

「あんなの、放っておけばいいんです」

 御猪口を差し出すと蘇芳さんがやっぱり無表情のままなみなみと注いでくれる。
 乾物も勧めてくれたので遠慮なくいただく。
 私が澄彦さんたちと呑み始めたのを見た豹馬くんは、慌てて私から御猪口を取り上げた。
 そして勢い良く後方に振り向く。

「多門! 黒駒で玉様を外に出せ!」

「ええっ! 今近付いたら、黒駒まで斬られちゃうよ」

「須藤! 弓で撃ち落とせ!」

「無茶いうなよ。豹馬」

 三人の稀人の混乱振りを酒のツマミに、今度は蘇芳さんの御猪口を奪い取る。
 あっ……と蘇芳さんは右手で御猪口の行方を追ったけれど、私は遠慮なくいただいて立ち上がった。

「豹馬くん。私が。この私が玉彦を成敗するわ。百鬼夜行の親玉め。覚悟しろ」

「いや、違うだろ。あれは次代様だろ。玉しか合ってねーよ」

 豹馬くんが突っ込むのを聞きながら、私は大人しく控えていた黒駒に跨った。
 大型犬よりも大きく、狼の様にがっしりとしている黒駒の安定感は抜群だった。
 漆黒の毛並みを一撫でして、頭を撫でる。

「良い子ね。連れて行って黒駒。彼のとこまで」

 黒駒は私の願いに応えるように空を駆けた。
 夜風が涼しく、私の髪を巻き上げる。

「嘘だろ!? 戻れ黒駒!」

 多門の動揺した叫びを足元に聞き、黒駒は一瞬身を翻そうとしたけれど、私が首を撫でればまたすぐに玉彦を目指す。
 玉彦と同じ高さまで昇り、私は黒駒に戻る様に指示を出して黒雲の中に飛び込んだ。
 ぶよん、と私を受け止めた黒雲の中は、呼吸は出来るけれど水の中を泳ぐように身体が重い。
 百鬼夜行に再び異物が紛れ込んだと異形の者たちが私に向かってきたけれど、眼を中に入る一歩手前で制御すれば彼らは身体が固まったまま空中を浮遊する。
 そのまま中心部まで進むと、ようやく玉彦が私に気が付いて動きを止めた。

「何をしている!」

 驚き、私の元へと浮遊する玉彦に私は仁王立ちで答える。
 先程までの楽し気な雰囲気は消え失せて、正気に戻ったかのようだった。

「あんたこそこんなとこで何をしてるのよ。行脚に出向いたのに遊んでるってどういう事よ!」

「これは遊びではない!」

 玉彦が太刀を収めて私の両肩を掴む。
 そして頬の紅潮を見止めると、玉彦は目を見開いた。

「酒を呑んだのか!」

「これが呑まずにいられるか。私が緊張したのも知らないで、どうして一人で楽しんでるのよ」

「何を、くそっ。一先ずここから出る」

 膨れっ面の私を抱えて玉彦は口元を隠して山から白い手を伸ばすと、その手に掴まって地上へとひらりと降り立った。
 次の瞬間、澄彦さんが大きく柏手を打ち、蘇芳さんがお経らしきものを唱えると百鬼夜行は強制的に解散させられて散っていく。
 私も玉彦の足を踏んづけて柏手を打つ。
 眼で動きを止められた者たちも地上に落下する前にどこかへと無事に消えて行った。

 私は澄彦さんたちの元へ戻り、座り直す。
 当然の様に蘇芳さんが私に御猪口を差し出してくれたけれど、駆けつけた玉彦に取り上げられた。

「比和子に酒は呑ませないでください」

「嫁御は未成年ではあるまいて、何をそんなにムキになる」

「そうだそうだ。比和子ちゃんは大人だぞ」

「帰れ。酔っ払い共が。ここは次代の母屋ぞ。勝手は許さぬ」

「なーにが許さぬだ。役目の最中に遊び呆ける奴が」

「そうだそうだ。自覚が足らぬぞ、玉彦」

「……豹馬。比和子を頼む。私はこの二人をあちらへ連れてゆく」

 私はふわふわとしながら豹馬くんに連れられて、縁側から部屋へ戻された。
 パタリと倒れて、いい気分だ。

「上守、大丈夫か?」

「比和子様。お水をお持ちしました」

 竜輝くんに揺さぶられて起き上がり冷たいお水を受け取る。
 でも、別に飲みたいわけではないので口を付けずに返した。
 再び横になれば、今度は多門が私を覗き込んだ。

「これ、酔っぱらってんの?」

「近づかない方が良いぞ。絡まれる」

「えぇー。でもちょっと聞いておきたいことがあるんだけど」

「何よ。何を聞きたいのよ」

 豹馬くんとの会話に割り込んだ私に、多門は真面目な顔を向けた。

「黒駒はどうして比和子ちゃんの指示に従ったの? 狗は主以外の指示には絶対に従わない」

「どうしてって、私とあれだからよ」

「あれって何だよ」

「あれよ、あーもう面倒ね。そういうものなのよ。だからそう思いなさい」

「それで納得できるか!」

 食い下がる多門に背を向けて、布団にもぐり込む。
 せっかくいい気分なのに、小難しい話なんてしたくないわ。

「比和子ちゃん!」

 多門の呼びかけを無視して私は、眠る。
 布団の暗闇の中で、九条さんの姿が浮かぶ。
 どうやら弟子はあの力をモノにしましたよ。
 ふふふ、と笑えば部屋に静寂が訪れて、そのあとバタバタと皆が退室していった。

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