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絶対零度の癇癪
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しおりを挟む正武家のお屋敷は古くから鈴白村にある。
村民の住処が茅葺からトタン等に替わっても、その佇まいは昔のまま。
内装は澄彦さんの奥の間の様に無理矢理洋室に替えてしまったりもあるけれど、基本的には和室のみ。
当然部屋と廊下を繋ぐのは襖で、そこに鍵はない。
そんなお屋敷は大きく三つに分かれていて、当主の母屋、次代の母屋、お役目などをする離れ。
それらをぐるりと囲むのが黒瓦の黒塀である。
私は石段を登りきって表門を通る前にその黒塀の有様に足が止まった。
表層が剥がれ落ちて、その下にある漆喰や藁まで見えている箇所がある。
木々を薙ぎ倒しお屋敷に迫った何かをそこで食い止めたような傷み具合。
前を歩く玉彦は門の前でようやく私を振り返った。
「明日左官衆が来る。気にするな」
そう言ってくるりと身を翻す。
私が気になっているのはそこではなくて、どうしてこんな有様になっているのかってことなんだけど。
兎にも角にもお屋敷に帰って、誰かに事の次第を詳しく聞かなくては。
玉彦の後を追って表門を通れば、私の予想は大きく外れてそこはいつも通りの正武家のお屋敷があった。
何一つ変わりない。
荒れた外周とは違って、塀内は穏やかな佇まいのままだった。
正武家のお屋敷にはある一定以下の悪いものは近寄れないようになっている。
台風などであればお屋敷にも被害があるわけで、塀だけ壊されお屋敷が無傷ということは、つまりはそういうことだった。
名もなき神社から部屋まで。
玉彦はずっと私と一緒だったけれど、鉄仮面のままだった。
私が部屋に入るのを見届けると、当主の間にて、と言い残して姿を消そうとする。
その背中に私は見覚えがある。
放置しておくとまた面倒なことになる予感がした。
「ちょっと、待って」
玉彦の羽織を引っ張り廊下から中へと引っ張り込む。
そして辺りを見渡してから襖を閉めた。
彼は羽織の袖の中で腕組みをしたまま座ろうとしない。
なので私も立ったまま向かい合った。
「あんた、また良からぬことを考えているでしょ?」
無言のまま顔を伏せる玉彦の姿に呆れて私は肩を落とした。
この人はどうして。
さっきは阻止するって言ってくれたのに。
「もう、いい加減にしてよ……? 何度同じことを繰り返すの?」
「そうではない。そうではないのだ。私はもう比和子を手離すつもりは毛頭ない。だがこれはお前の為で……」
「これってどれよ! 御倉神と一緒ってのが私の為なわけ!?」
詰め寄る私の両肩を下へと押して、座る様に促した玉彦は自分が先に腰を下ろす。
私がそうするのを待って、彼は重い口を開いた。
「これから当主の間で父上より話があるはずだったのだが仕方あるまい」
そう言って参ったという風に頭を掻く。
「比和子が御倉神と共に消えた日。それを知るのは三人のみであった。そこで父上は一つ思案された。迎えた清藤の者の中に怪しき者が居らぬか試してみようと。それはいつもの戯れの範疇であったのだ。比和子は当主のところ、比和子は次代のところ、比和子は離れのところと。情報を錯綜させた。そして私が午後より比和子を連れずに外へ出るとな」
「澄彦さん……相変わらず……」
「昼過ぎ上守より連絡があり、比和子が御倉神と共に在り無事であると判断された父上は竜輝を上守の家へと連絡役に置いた。そして比和子を御倉神に預けたままにしておくと。それがまさか三日も戻らぬとは。私が用を終え屋敷に戻ればもう既にこの有様だった。戯れのつもりであった父上も流石に驚かれていた。これにより清藤の付き人は六人から三人となった」
「嘘でしょ……」
「三人はそれぞれに屋敷内を探したようだが比和子が居るはずもない。そのうち外から何者かが加勢に来ようと侵入を試みたようだが弾かれた。小物だったようだ。亜門の間者は父上に粛清され放たれた。もう二度と現れまい。二日様子を見てようやく落ち着いたと判断し、私が比和子を迎えに行った。以上が顛末である」
私が御倉神と一緒に出掛けてこれ幸いと澄彦さんってば、思い付きにもほどがある。
でもそのお蔭で私の危険は未然に防げたのもまた事実。
てゆうか澄彦さんの粛清って……。
現れないということは、命を取るとかではないことは確かだけど全く想像できない。
「そう、だったんだ。澄彦さんが私を御倉神に……」
誤解が解けたことに一安心したのか玉彦が私の手を取る。
でも何となく不服そうに頬を膨らませていた。
「三日……。三日だぞ。俺でさえ昼夜を問わず三日も二人きりになどなったこともないのに」
「いや、私からすれば半日だったから。それよりも粛清された三人って誰だったの」
話題を戻した私に玉彦は年の上から三人と教えてくれた。
でも私には誰が年上なのか、そもそも名前すらまだ知らなかった。
しかし上から三人ということは、あの多門と同じ年の柳美憂はそこに含まれてはいない。
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