わたしと玉彦の四十九日間

清水 律

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第九章 まもりて

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 須藤くんの家を出た私たちは、村をぶらぶらとしていた。
 他愛もない話をしては、顔を見合わせて笑う。
 何も無いと思っていた田舎を玉彦に案内されて二人で歩けば、新鮮でワクワクした。
 春になれば咲き誇る桜の丘、夏は滝壺目掛けて飛び込んで水遊び。
 秋は正武家の石段から五村の紅葉をぐるりと眺めて、冬はみんなで雪合戦。
 玉彦が言った通り、鈴白村にはまだまだ見るべきところや遊べるところが沢山あった。

 そうして私たちが次に辿り着いたのは、スズカケノ池だった。
 私はこの池で嫌な思いはしていない。
 不思議な出会いはあったけど。

「ここには正武家鈴彦とその惚稀人が眠っている」

 玉彦は池の淵にある古いベンチに腰掛け、話を始めた。

「昔、ずっと昔。水害が酷く、人柱が必要になった。それで、鈴彦と惚稀人が人柱になり何とか治まった」

「え? 心中じゃないの?」

「違う。人の噂話とは恐ろしいな」

 玉彦は口元を少しだけ隠して、呟いた。
 すると一陣の風が吹き抜け、気がつけば私たちの前に、あの二人が立っていた。

「大人しく眠らせておいてはくれないのね」

「何の用だ、次代」

 二人は私に見向きもせずに、玉彦に話し掛ける。
 やっぱりそうだったんだ。
 このキツネ面を頭の上に乗せた人は、正武家のご先祖。
 道理で玉彦に雰囲気が似ているはずだった。
 玉彦も大人になれば、この人の様に清廉で格好良くなるのだろうか。

「明日、白猿を討ち取ります」

 二人は顔を見合わせ、笑った。

「ようやく、算段が付いたのか」

「はい。つきましてはスズ石を一つ賜りたく存じます」

 そこでようやく二人は私に視線を移した。
 私はあの時のお礼も兼ねて改めて頭を下げる。

「構わぬ。その辺のを一つ持って行け。と言いたいところだが、この次代の惚稀人が要なのだな……。どれ、ではこれを授けてやるとしよう」

 そう言うと鈴彦は、自分の袂から赤と青い紐が絡み合っている二つの鈴を、差し出した私の両手に落とした。
 それは石ではなく、本物の金色の鈴。

「赤鈴は次代が持て。青鈴はお主が持て。この紐は二人で解くようにな」

「は、はい」

「「次代、武運の長久を祈る」」

 二人は声を重ねて、姿をゆっくりと風に乗せ薄くさせて消えて行く。

「じょ、成仏したの?」

 私がこっそり玉彦に耳打ちすれば、玉彦は呆れたように私を見る。
 だって、そういう風に見えるじゃん。

「お二方はここの護り手だ。成仏などせぬ」

「そうなんだ……」

 死しても尚、共に在れるということは幸せなんだろうか。
 成仏して、次の生を授かって、また出逢った方とどちらが幸せなんだろう

「これ、きちんと解けるのかな……」

「根気がいる作業だな……」

 玉彦と私は、しばらくスズカケノ池でただ静かに水面を見ていた。
 そして夕方になって、石段の中腹辺りに座り込み、鈴彦から賜った鈴の紐を解いていた。
 コレが中々どうして厄介モノで、多分紐自体は、長さ三十センチくらい。
 それが二本絡み合っているんだけど、何故かどうやっても解けない。
 最初は横に並んで私の膝の上に鈴を載せてそれを玉彦が覗きこんでいたんだけれど、そのうちに向かい合って、玉彦の両手の指に紐を引っ掛けながら、私が解剖するみたいに解いてゆく。

 鈴を揺らして、あちらに通してみたり、こちらに戻してみる。
 でも知恵の輪みたいに、全然解けてる気配がない。

「あえて聞くけど……」

「なんだ」

「鈴彦の鈴の紐を解く方法なんて、伝えられてないの?」

 玉彦はしばらく考え込んで、首を横に振った。

「とにかく二人で解けと言ったのが手掛かりなのだろう」

「やるしかないか~」

 肩をぐるりと回して、再び紐に向かい合う。
 私が一生懸命に俯いて格闘していたら、手だけを広げて暇な玉彦がずっと私を見ているのがわかる。
 指先を見るならわかるんだけど、私が視線を感じているのはそこ以外の全てだ。

「ちょっと、なんなのよ」

 堪らず玉彦に文句を言えば、悪びれもせずに首を傾げた。

「この辺りの景色は見飽きている。目の前にお前がいたら、見てしまうだろう」

「見られてると気が散るから、だったら目を閉じててよ!」

「……相分かった」

 そう言って玉彦は、ゆっくりと瞼を下ろす。
 相変わらず睫毛が長い。
 肌も綺麗で、ニキビやヒゲの跡すらない。
 引き結んだ唇も薄くて、荒れていなくて触れてみたくなる。

「おい。手が全く揺れぬぞ」

「あ、今見て考えてんのよ。黙ってなさいよ」

 私は自分の邪な考えを振り払って、目の前の紐問題に取り組む。
 でも全然進展せずに、辺りはすっかり夜になってしまった。
 私たちがまだ帰らないから、南天さんが石段の脇の灯篭たちに灯りを入れに上から降りてきて、そこに二人でいる姿を発見すると驚いて石段を一段踏み外していた。

 それから南天さんは毛布と竹の皮に包まれたお握りを夕食として持ってきてくれた。
 陽が沈んだ時点でお屋敷に戻ろうとしたのだけど、少しずつ解れてきた紐の状態を維持するのが大変で、私たちはここで続行している。

 私は空いた手で玉彦の口にお握りを運んだり、飲み物を流し込んだり。
 そうこうしているうちに、紐が解れていく。
 この間に玉彦と私は色々な話をして、お互いの理解を深めていく。
 まるで、私と玉彦との距離が縮めば縮むだけ、紐は解かれていくようだった。
 そして最後の結び目が解かれる。
 その頃には月がもう頭の天辺に差し掛かっていた。
 食事の時以外、瞼を下ろしている玉彦はまだ、紐が解かれ鈴が離れたことに気がついていない。

 完了したよ、と中々言えなくて。

 言ってしまえば、帰らなくてはならないから。

 でも、どんなことにも終わりはやって来るから。

「玉彦、終わったよ」

 声を掛けると玉彦はゆっくりと手元に視線を落とし、指先にひっかる青い紐を私に差し出す。
 私は自分が手にしていた、赤い紐を玉彦の前に。
 互いに受け取ると、その先にある金色の鈴がしゃらりと鳴る。

「ご苦労だった」

「そっちこそ。腕だるくなったんじゃない?」

 立ち上がった玉彦から差し出された手を取り、立ち上がる拍子に私は意地悪にもかなりの強さで引っ張った。
 私よりも一段下にいた玉彦は少しだけ前のめりになる。
 どんだけ体幹が優れてんのよ。
 私はでもその隙を逃さずに。
 今日のお礼を、玉彦の額に。
 だってこうしなきゃ、いつまでたっても届かないんだもん。
 私は両手に毛布を抱えて、石段を登る。
 振り返ると、右手でおでこを押さえたまま固まる玉彦。
 そしてすぐに鈴を鳴らしながら一段飛ばしで追い掛けてきた玉彦は、表門の前で私を捕まえると、息を切らして頬を紅潮させている。

「比和子っ! これはそういうことでよ……!」

「門限を破り過ぎだッ!」

 玉彦の言葉は、表門の玄関の前に仁王立ちする澄彦さんの大声にかき消された。
 私は南天さんにお礼を言って毛布を渡し、苦虫を噛み潰した顔をしている玉彦の背を押す。
 そうして玉彦と私が身支度を整えて澄彦さんが待つ当主の間へ赴けば、そこには既に錚々たる面々が私たちの到着を待っていたのだった。
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