わたしと玉彦の四十九日間

清水 律

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第九章 まもりて

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 惣領の間よりも広いそこは、当主の間。
 正武家の当主が坐す間。

 二段高いところに澄彦さん。
 その斜め後ろに宗祐さん。
 当主の左手側、一段下がった場所に惣領息子である玉彦が座する。
 そこからまた一段下がって、玉彦の左手に南天さん。
 後は当主と向かい合う様に十人、三列を作る。
 私はというと、三列目の一番後ろの左側。
 入り口のすぐ前で、多分この中で一番の末席。

「さて、みな待たせた。息子の青春にこの澄彦、野暮なことは言えなくてな」

 澄彦さんの言葉にみな小さく笑う。
 玉彦は無表情で聞き流していた。
 玉彦は玉彦様である時、感情を押し殺していつも無表情だ。

「明日はこの愚息が全てを廻すゆえ、勘弁してやってくれ」

「澄彦様」

 後ろに控えていた宗祐さんが、息子いじりも大概にしろとでもいう様に声を掛けた。

「うむ。では明日の白猿討伐について次第を。玉彦」

「承知いたしました」

 ススっと玉彦が皆に声が届きやすいように前へ座ったまま進み出る。
 それから明日の計画について、玉彦の口から各々語られた。
 私は最後尾で聞いていたけど、難しい言葉が飛び交いよく理解できないまま、終いには隣にいた須藤くんに肘で突かれつつ舟を漕いでいた。

「以上である」

 玉彦の締めくくりの言葉にハッと覚醒して、一拍遅れて皆と同じく頭を下げた。
 ヤバい。ほとんど最初しか聞いていなかった。
 後で須藤くんか豹馬くんに聞かなきゃ。
 頭を下げている間に、澄彦さんと玉彦は退出し、場の空気が緩む。
 そこから前の時みたく、南天さんと松梅コンビがお茶を振舞う。
 私はどうして良いかわからずにとりあえず須藤くんの横で大人していた。

「須藤くん」

「ん?」

「実は私、あんまり聞いてなかった……」

「だろうね」

 須藤くんは笑って簡単に説明してくれた。
 明日の計画を聞いた私は、あんまりの内容に卒倒しそうになった。

「それって玉彦が危険すぎない!?」

「でも一番その役に相応しいのは玉彦様しかいないんだよ」

「どうしてよ」

「山神様に愛されているから。この五村の地の山々は玉彦様にしかお力を貸さない」

 言われて私は九児の時の、あの山から伸びていた白い手の群れを思い出す。
 あれは山神様だったのか。

「だから山中の方がむしろ玉彦様は安全なんだ」

「でも、それにしても」

 私はそこまで言って声を小さくする。
 だからって、玉彦にそんなこと。

 明日朝から玉彦は、五村の山々を駆け巡る。一人で。
 どこにいるかわからない白猿を徐々にある場所へ追いつめるために。
 それは広大過ぎてどれくらいの距離を駆けることになるのか。
 ある程度は五村に散っていた御門森の人々が、外から範囲を狭めていたとはいうものの、私には想像できない。
 包囲網から逃れようとして白猿の反撃に合うかもしれない。

「その山神様は白猿を退治してはくれないの?」

 山神様がちょちょいとあの手で摘み上げてくれたら、何とかなると思うんだけど。

「うーん。玉彦様はまだそこまで山神様と仲良くないんだよね」

「は?」

 仲良くって。神様と仲良くって何よ!?

「山神様は山に住まう者達の神様だ。だから白猿との縁の方が長い。いくら正武家とはいえ、生まれたばかりの玉彦様にあまりお力を貸してはくれないみたいなんだ」

「じゃあ玉彦が大人になってから、計画を実行すれば良いじゃない!」

「その時にこれだけの規模で人を集めて、出来ると思う?」

 私は周りを見渡す。
 錚々たる面々は澄彦さんより年上と思われる人ばかりだった。
 熟練された人たち。
 玉彦が大人になったら、この人たちのまだ経験が浅い後継者たちが集まる。
 それだと後継者たちには申し訳ないけど、心許ない。

「それにね、手負いの今がその時なんだ」

 須藤くんの言葉に黙るしかなかった。


 私はそのあと南天さんに連れられ、部屋へと戻った。
 今夜は玉彦は来ないとのことだった。

 枕元に置いていた鈴を鳴らす。

 明日。
 大丈夫だろうか。
 私はきちんと囮役を果たせるだろうか。
 玉彦は無事に私が待つあの場所へ、辿り着けるだろうか。

 目を閉じて、鼻のところまでタオルケットを引き上げる。
 眠りに落ちる僅かな時に、鈴の音が三回鳴った。
 私の鈴じゃない。
 だって、今握ってるもん。
 起き上がるとまた三回。

「玉彦?」

 私は名前を呼ぶように四回鳴らしてみる。
 そうしたら、また三回。
 なにこれ。
 随分とアナログな。
 思い返せば鈴彦の時代には携帯はおろか電話だってなかった。
 だからきっと二人は離れていてもお互いを感じられるように、この鈴を作ったのかも。
 明日朝一番で、聞いてみよう。
 数回同じことを繰り返していると、四回鈴が鳴って、それ以降は鳴らなくなってしまった。

 額に何かかが触れた感覚があって目を覚ますと、障子の向こうを朝日が照らしている。
 さぁ、これからが正念場だ。
 私は勢いを付けて跳ね起きれば、鈴がシャンと鳴った。

 返事は、なかった。
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