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桜並木の下で

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 先輩は言った、「光を当てる」と。
 彼女は言った、「居場所を見つける」と。
 そして僕は――何も言わなかった。

 新入生たちが、ゆるやかな上り坂を歩いていく。どこまでも先に続いていくような桜並木を見上げながら、ゆっくりを歩を進める者。地面とにらめっこをしながら、せわしなく足を動かす者。おそらくは友達だろうと思われる人と一緒に、おしゃべりをし、ときには立ち止まりながら道を歩んでいく者。
 そんな色とりどりの新入生の中に、僕はいた。
 新入生たちに目を向け、ときには桜の木々から舞い落ちる花びらを目で追い、そして、また彼らに視線を戻す。
 こんな風に穏やかな毎日が、これからも続いていくようにと、僕は祈りをささげる。もちろん努力を怠るわけではない。穏やかで平和な日々を過ごすためには、相応の努力が必要である。たまに、そういった日々を過ごすことに関して天性の才能ともいうべきものを持っている人に出会うけれど、少なくとも僕はそのような才は持ち合わせていない。だから、努力でなんとかするしかない。
 争いごとは、僕が最も忌み嫌うものだから。
 それを回避するためならば、どのような努力も惜しまない。
 思考中の僕の視界に、一枚の白い紙が、すらっと舞い降りる。
 紙の大きさは文庫本の一ページほどであり、書かれている文字は渓流のように爽やかで、ときに激しく、全体的に引き締まった印象を感じさせる。
「ごめんなさい」
 内容をじっくりと読もうとしていると、前方から声が掛かる。タッタッと小気味のいい音を鳴らしながら近づいてくる靴の音に耳を傾けながら、顔を上げる。
「ご、ごめんなさい。風で飛んでしまって」
 目は瞬きするたびにパッチリと大きく広がり、口元はゆっくりと開いて閉じる。全体的にどこか幼さを感じさせる顔立ちで、かわいさを感じさせる雰囲気を漂わせている。身長が僕よりも頭一つほど低いこともあって、そのような印象を抱いてしまうのかもしれないけれど。
「いえ、大丈夫ですか」
 先ほど拾った紙を彼女に差し出した。
 しかし、彼女はその手紙を見つめたままで、手紙を受けとる様子はない。
「あの、手紙を」
 再び彼女に話しかけてみたが、一向に手紙を受けとろうとしなかった。
「君、名前は?」
 彼女は視線をゆっくりと持ち上げ、僕の瞳を見つめてきた。
「……窓露見、太一です」
 突然の不意をつくような質問に驚きを隠せず、ロボットのような無機質な声を返してしまう。
 彼女は肩から斜め掛けしていた学生鞄に手を突っ込んだかと思うと、財宝を目前にしたトレジャーハンターのような目つきで、必死に鞄の中を漁り始めた。
「あ、あの」
 声を掛けても、こちらを見向きもせず、彼女の視線と手は依然として鞄の中から離れない。
 そんな彼女をしばらく呆気にとられていると、彼女は先ほどの白い紙よりも一回り小さな紙を取り出し、こちらに差し出してきた。
 そこには、『入部届』と書かれている。
 ああ、つまりこの人は上級生で、部活のメンバーを募集しているということだろう。
 彼女には申し訳ないが、僕は部活動に入るつもりはない。
 礼をして、その場を立ち去ろうと足を踏み出した。
 彼女も僕の進行方向に足を踏み出す。
 その繰り返しが五回ほど続いた。
 ……どうやら前に進ませてはくれないらしい。
 この状況をどのようにして切り抜けようかと考えていると、彼女は学生鞄の中に再び手を潜り込ませ、今度は一本のボールペンを取り出した。
 僕に差し出していた紙を手元に引き寄せ、その場にしゃがみ込む。学生鞄を下敷きのようにして使って、紙にペンを走らせる。
 書き終えると、先輩はバネのように勢いよく立ち上がり、また僕にその紙を差し出した。
「これでどう?」
 その『入部届』には、『広報部』という部活の名前と、僕の名前が記されていた。
 何がどうで、どうとは一体何のことなのか。しかし、そのことに関して考えたのは一瞬のことで、むしろ僕は別のことに対する疑問の方が強く湧き上がっていた。
 この彼女は、どうして僕の名前を書くことができたのだろう。
 確かに、先ほど僕は自分の名前を教えた。だけど、それはあくまでも言葉として教えただけで、文字までは教えていなかった。
 もし僕が、田中太郎とか、佐藤孝とか、ありふれた名前であれば構わない。だけど、僕の名前は、窓露見太一だ。名前の太一は書けたとしても、苗字の窓露見を発音だけ聞いて書くことは難しいだろう。
 しかし、彼女は何のためらいもなく、何も尋ねることなく、僕の名前を書いた。
 これは一体どういうことなのだろうか。
「どうかした?」
 黙っているのを訝しく思ったのか、彼女は僕の顔を下から覗き込むようにして体を前に少し傾ける。
 彼女の瞳には、僕の少し顔をしかめた表情が映っているのだろう。
 彼女の瞳から目を離し、僕は疑問を口にする。
「僕の名前、どうして書けたのですか」
 何を聞かれているのか分からないとでもいうように、彼女の目は瞬きを何度か繰り返す。
「ああ、だってほら」
 背筋を伸ばして、彼女は僕の鞄を指さした。その先には――特に僕の名前が記されているということもない。僕が小学生や中学生であったなら、鞄に名前が記されていてもおかしくはないだろうが、僕は今日から高校生だ。鞄に僕の名前は書かれていない。
「鞄じゃなくって、ほら、そこにキーホルダーがついてるでしょ」
 ……確かに僕の鞄にはキーホルダーがついている。黒のレザー生地にビーズが縫い込まれているキーホルダー。小学生のころに誕生日プレゼントとして幼馴染からもらったものだ。そこには『窓露見太一』と白い糸で刺繍がされている。だけど、その刺繍された名前はとても大きさが小さかった。
「視力、いいんですね」
「ん、少しはいいかも」
 心からそのように考えているのか、謙遜しているのか。どちらにせよ、視力がいいことは、少なくとも彼女にとって、それほど重要で面白い話題ではないみたいだ。だったら僕がこれ以上この話題を続ける必要はないだろう。
「では、入部してくれるということでいいかな」
 彼女は、僕の手に入部届を握らせると、反対の手で親指と中指を合わせ、指を鳴らした。太鼓を打ち鳴らしたように引き締まった音が、春の穏やかな空気を振動させた。
 それが合図だったのだろう。僕の背丈よりも高い女性に、握っていた入部届を背後からひょいと取り上げられた。
「はい、入部届、無事頂きました。ではでは、楽しい学校生活を」
 その女性はそのまま学校の方へと歩いていこうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください。僕は何も、入部するなんて言ってません」
 腰ほどまである黒髪をなびかせながら、前方にいた彼女はこちらを振り返る。
「君が言ってなくとも、この紙がそれを証明している。では、またな」
 話はおしまいとでもいうように、その女性は再び学校に続く道を進んでいった。
「よかったね。無事入部出来て」
 こちらの彼女は、大好物のマカロンを食べたときみたいに、満面の笑みを浮かべていた。彼女の大好物がマカロンかどうかは知らないけれど。
「今のは何だったんですか」
 この人が何かを企んでいたことは間違いないだろう。
「ん、すぐにわかるよ。じゃあ、また広報部で会おう」
 小悪魔的な笑みを浮かべたかと思うと、彼女は再び他の新入生のもとへと走っていった。
 どうして僕が広報部という部活に入ることになったのか、未だに分からない。くじ引きで教室の座る席をきめるときみたいに――自分に関することに違いないのに、自分では決めたような気がしない、そんな感情が僕の心の中を渦巻く。
「部活って、自分の好きなところに入るものなんじゃねえのかよ」
 別に怒りとか、そんな感情があるわけではない。ただ、上手く呑み込めない今の状況を言葉にすることで、少しでも自分の気持ちに整理がつけばいいと思った。
 僕は、桜並木に囲まれた道で、再び一歩を踏み出す。
「ありがとう」
 彼女が去り際にそっとつぶやいていたその言葉の意味を、このときの僕は全く理解していなかった。
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