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第4章「春」
12.淡雲ウェンズデー(2)
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羽合先生は髪をくしゃりと掻き毟ってから、切り出した。
「4月から、天気部の新設がきまったよ」
テンキブーー? 変な名前。
澪が眉をひそめていると、先生は書類の束から1枚を抜き取って私に見せてくれた。
「天文気象部ーー略して天気部。ハハッ。傑作だろ」
どこか自慢げな先生。書類を見ると、確かに校長の印が押されている。部員のリストを眺めると、どうやら釣り同好会とラジオ部、そして理科部の有志の名前が連なっていた。そして発起人の欄に記された名前は――
「結ちゃん!?」
私は思わず大きな声を上げた。
「ハハッ、卒業祝いだとさ」と先生。
「嬉しいっ! ふふふ。天気部、だって。ヘンなの。アハハ……」
心の底から喜んだ。7月以来ずっと私の心を圧し続けていた重荷が、一気に溶けて消えていくようだった。天文部をなくしたくない、諦めの悪い人が増えたらしい。嬉しい。
「それにしても、また結ちゃんに借りができちゃったなぁ。感謝してもしきれない。本当にお世話になっちゃった」
「ああ。今度会ったときは、ちゃんと礼を言うんだぞ」
と先生も同意する。
きっと結ちゃんの指示を受けて、先生は苦手な書類仕事に東奔西走したのだろう。今日の職員会議の議題も、この件だったに違いない。けれど彼はそんなことをまるで感じさせず、いつもと変わらぬ、飄々とした笑顔を浮かべていた。
「だから、気球も望遠鏡も、もう心配いらないよ。天気部がしっかり引き継いでくれるから……ドームはしばらくお預けだけど」
「せんせぇ!」
私は喜びのあまり、気がついたら彼の胸に飛び込んでいた。
「おいおいっ……」と苦笑する先生。
いつもなら、そろそろ陽菜が現れるタイミング。でも今日はしーんと静まりかえり、私たち2人の声がドーム内に響くばかり。誰かが来る気配は微塵もなかった。私はここぞとばかりぬくぬくと彼の胸元に頬を寄せた。
「――悪かったな。変な名前で」
「ううん。そんなことない。天気部。すっごくいい、先生!」
「まぁ、天文部の名前ごと無くなるのは癪だしな……」
先生は鼻の先を人差し指でかいた。私は「あー私も入りたかったナ。天気部……」と唇を尖らせ拗ねてみせた。
できることなら、ずっとこの場所にいたかった。愛すべき人に囲まれた、大好きな場所。けれど、卒業は誰にも止められない。風船が大空に飛び立っていくのを止められないように――。
「さあ」
恐れていたその言葉を、先生が口にする。
「行こうか」
彼の腕の外へ、天文ドームの外へ。学校の外へ。
住み慣れた、この街の外へ――。
「……はい」
不安と覚悟が同居している。抱えたダンボール箱がやけに重く感じた。
4月からは東京での一人暮らしが始まる。一方の先生は、県南の高校への異動が決まったという。
きぃぃと泣く扉を腰で押し開け、くぐるようにしてドームの外へ出る。大きな段ボール箱を抱えた先生が後に続き「忘れもの、大丈夫?」と確認してからドアにカギをかける。
「あっ……」
カチャリ、と冷たい金属音を残して、ドアが閉まる。楽しかった日々も、つらかった経験も、ちゃんと胸に詰め込んだだろうかーー。急に不安になってきた。
「霜連は、さっき何を言いかけてたの?」
よいしょ、と息を吐きながら箱を持ち直し、先生が振り返る。夕日が彼の背中から差し込み、屋上を鮮やかなオレンジ色に染め上げる。夕焼けに照らし出された先生の横顔。耳から顎にかけての輪郭が金色に縁取られ、きらりと光っている。
「あ、あのね、先生」
心の中で必死に言葉を探す。段ボールの中のカプセルをじっと見つめた。
「4月から……4月からも、また、こうして先生に会えるよね?」
逆光に阻まれて、先生の表情がよく読み取れない。
「……無理だな」
その瞬間、私の手からダンボールがすり抜けて落ちた。
「4月から、天気部の新設がきまったよ」
テンキブーー? 変な名前。
澪が眉をひそめていると、先生は書類の束から1枚を抜き取って私に見せてくれた。
「天文気象部ーー略して天気部。ハハッ。傑作だろ」
どこか自慢げな先生。書類を見ると、確かに校長の印が押されている。部員のリストを眺めると、どうやら釣り同好会とラジオ部、そして理科部の有志の名前が連なっていた。そして発起人の欄に記された名前は――
「結ちゃん!?」
私は思わず大きな声を上げた。
「ハハッ、卒業祝いだとさ」と先生。
「嬉しいっ! ふふふ。天気部、だって。ヘンなの。アハハ……」
心の底から喜んだ。7月以来ずっと私の心を圧し続けていた重荷が、一気に溶けて消えていくようだった。天文部をなくしたくない、諦めの悪い人が増えたらしい。嬉しい。
「それにしても、また結ちゃんに借りができちゃったなぁ。感謝してもしきれない。本当にお世話になっちゃった」
「ああ。今度会ったときは、ちゃんと礼を言うんだぞ」
と先生も同意する。
きっと結ちゃんの指示を受けて、先生は苦手な書類仕事に東奔西走したのだろう。今日の職員会議の議題も、この件だったに違いない。けれど彼はそんなことをまるで感じさせず、いつもと変わらぬ、飄々とした笑顔を浮かべていた。
「だから、気球も望遠鏡も、もう心配いらないよ。天気部がしっかり引き継いでくれるから……ドームはしばらくお預けだけど」
「せんせぇ!」
私は喜びのあまり、気がついたら彼の胸に飛び込んでいた。
「おいおいっ……」と苦笑する先生。
いつもなら、そろそろ陽菜が現れるタイミング。でも今日はしーんと静まりかえり、私たち2人の声がドーム内に響くばかり。誰かが来る気配は微塵もなかった。私はここぞとばかりぬくぬくと彼の胸元に頬を寄せた。
「――悪かったな。変な名前で」
「ううん。そんなことない。天気部。すっごくいい、先生!」
「まぁ、天文部の名前ごと無くなるのは癪だしな……」
先生は鼻の先を人差し指でかいた。私は「あー私も入りたかったナ。天気部……」と唇を尖らせ拗ねてみせた。
できることなら、ずっとこの場所にいたかった。愛すべき人に囲まれた、大好きな場所。けれど、卒業は誰にも止められない。風船が大空に飛び立っていくのを止められないように――。
「さあ」
恐れていたその言葉を、先生が口にする。
「行こうか」
彼の腕の外へ、天文ドームの外へ。学校の外へ。
住み慣れた、この街の外へ――。
「……はい」
不安と覚悟が同居している。抱えたダンボール箱がやけに重く感じた。
4月からは東京での一人暮らしが始まる。一方の先生は、県南の高校への異動が決まったという。
きぃぃと泣く扉を腰で押し開け、くぐるようにしてドームの外へ出る。大きな段ボール箱を抱えた先生が後に続き「忘れもの、大丈夫?」と確認してからドアにカギをかける。
「あっ……」
カチャリ、と冷たい金属音を残して、ドアが閉まる。楽しかった日々も、つらかった経験も、ちゃんと胸に詰め込んだだろうかーー。急に不安になってきた。
「霜連は、さっき何を言いかけてたの?」
よいしょ、と息を吐きながら箱を持ち直し、先生が振り返る。夕日が彼の背中から差し込み、屋上を鮮やかなオレンジ色に染め上げる。夕焼けに照らし出された先生の横顔。耳から顎にかけての輪郭が金色に縁取られ、きらりと光っている。
「あ、あのね、先生」
心の中で必死に言葉を探す。段ボールの中のカプセルをじっと見つめた。
「4月から……4月からも、また、こうして先生に会えるよね?」
逆光に阻まれて、先生の表情がよく読み取れない。
「……無理だな」
その瞬間、私の手からダンボールがすり抜けて落ちた。
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