もっと早く、伝えていれば

嶌田あき

文字の大きさ
20 / 22
第4章 僕が消える日

4-2 母の記憶

しおりを挟む
 残り時間は四日。僕の体はもう輪郭すら見えないくらい透明になってる。でも心の奥では、なぜかわくわくしてた。今日、ついに全ての答えが分かるかもしれない。
「準備ができました」
 琴音さんが奥の部屋から出てきた。その表情には、いつもの穏やかさに加えて、何か特別な決意みたいなものが宿ってる。
「真理絵さんの『記憶の潮汐』理論を応用した、特別な記憶の渚です」
「どんな感じになるの?」
 夏希の声が小さく震えてた。緊張してるのが手に取るように分かる。
「通常の記憶の渚とは違います」
 琴音さんが優しく説明する。
「時間軸が交錯する空間になります。あなたが五歳だった頃の記憶と、お母さんの最期の記憶が、波のように行き来するでしょう」
 時間が交錯する?なんだかすごく複雑そうだけど、きっと美しい体験になるんだろうな。
 僕は夏希の感情をそっと感じ取った。不安と期待がぐるぐる渦巻いてる。愛してるお母さんに会えるうれしさと、もしかして傷つくかもしれない恐れが、心の中でせめぎ合ってた。
「夏希」
 僕は彼女の手をそっと取った。温かくて、ちょっと湿ってる。緊張で手に汗をかいてるんだ。
「僕も一緒です。怖がらなくて大丈夫」
「ありがとう、憶」
 夏希が振り返って微笑んだ。でもその笑顔の奥に、まだ不安が隠れてるのが分かった。
「あなたがいてくれて心強い」
 僕たちは奥の部屋に移動した。そこには今まで見たことのない機械が置いてあった。まるでSF映画に出てくるタイムマシンみたい。光る石のような装置もあって、神秘的な雰囲気を醸し出してる。
「では、始めましょう」
 琴音さんが装置のスイッチに手をかけた。
 部屋にキラキラした美しい光が広がっていく。まるで星空の中にいるみたい。僕は夏希の記憶に意識を集中させた。
 そして、記憶の渚が現れた。
 最初に見えたのは、病院の個室だった。窓から午後の優しい日差しが差し込んで、白いカーテンがふわふわと揺れてる。ベッドには一人の女性が横たわっていた。
「お母さん⋯⋯」
 夏希の声が震えてた。
 榊原真理絵さんだ。病気で痩せて髪も薄くなってたけど、その瞳にはとても優しい光が宿ってた。ベッドサイドのテーブルには、ノートとペンが大切そうに置かれてる。
 真理絵さんがゆっくりと顔を上げた。娘の姿を見つめる瞳が、愛情で潤んでる。
「夏希⋯⋯? 大きくなったのね⋯⋯今、何歳?」
「十七だよ」
 夏希の声が涙で詰まりそうになってた。
「十七⋯⋯手紙は届いてる?」
「うん、毎年誕生日に」
 僕は真理絵さんの感情を読み取ろうとした。その瞬間、とんでもないことが起こった。
 真理絵さんの記憶が、まるで津波みたいに僕の頭の中に流れ込んできたんだ。
『夏希への手紙を書かなければ』
『この子を一人にはできない』
『私の愛を、何らかの形で残したい』
 え? なんで僕が真理絵さんの心の声を聞けるの?
 僕の頭がぐるぐる回った。混乱で思考がまとまらない。なんで僕が、夏希のお母さんの記憶をこんなにはっきりと知ってるんだろう。
 その時、部屋に波の音が響き始めた。ざぁ、ざぁという穏やかな音。薄い霧がふわっと立ち込めて、その向こうに別の景色が浮かび上がった。
 元気だった頃の真理絵さんと、五歳の小さな夏希。お母さんの膝の上で甘えてる夏希が、とってもかわいい。
「覚えてる?」
 真理絵さんが優しく尋ねた。
「あなたが五歳の誕生日。最後に一緒に過ごした日」
 僕は夏希の深い記憶にアクセスしようとした。でも、それより先に、真理絵さんのその日の記憶が鮮明に蘇ったんだ。
 五歳の夏希をぎゅっと抱きしめてる真理絵さん。『この子と過ごせる時間は、もうあとわずかしかない』って、心の中で泣いてた。
 どうして僕が、真理絵さんの記憶を知ってるの?
「憶?」
 夏希が心配そうに僕を見つめた。
「どうしたの?」
 僕の動揺が伝わったんだろうな。
「夏希⋯⋯僕は⋯⋯」
 声が震えてしまった。
「なぜか、お母さんの記憶がとても鮮明に見えるんです」
 真理絵さんがじっと僕を見つめた。その瞬間、僕の頭の中で電気がピカッと光ったみたいに、何かが閃いた。
「あの⋯⋯真理絵さん」
 僕は震える声で言った。
「あなたが最期の日に考えていたことを、僕は知っています」
 夏希の目が丸くなった。
「『記憶から生まれる存在があれば、夏希を守れるかもしれない』って⋯⋯」
「憶⋯⋯なんでそれを⋯⋯」
 夏希の声も震えてた。
 真理絵さんが、まるで全てを知ってるような優しい笑顔を浮かべた。
「気づいたのね」
 僕の胸がばくばく鳴り始めた。まさか、まさか、そんなことって⋯⋯
「まさか⋯⋯僕は⋯⋯」
「そう」
 真理絵さんが静かにうなずいた。
「あなたは私の記憶から生まれた記憶式よ、憶」
 え?
 えええええ?
 夏希がはっと息を飲んだ。
「憶が⋯⋯お母さんの記憶から?」
 僕は頭が真っ白になった。自分の正体が、ついに明らかになったんだ。
「私の最期の願いは、夏希を一人にしないことだった」
 真理絵さんが続けた。声がとても温かくて、母親の愛情がたっぷり込められてた。
「その強い想いが、記憶式としてあなたを生み出したの」
 僕は自分の存在の意味を理解し始めた。偶然夏希に出会ったんじゃない。夏希の母の愛によって、夏希のために生まれた存在だったんだ。
「だから」
 真理絵さんが優しく言った。
「あなたは最初に夏希に出会い、夏希だけがあなたを見ることができた」
 涙がぽろぽろと頬を伝った。僕の存在は、お母さんから娘への最後のプレゼントだったんだ。
「お母さん⋯⋯」
 夏希も泣いてた。
「私のために⋯⋯」
「愛しているから」
 真理絵さんがにっこり笑った。
「私が死んでも、あなたを支えたかった。憶という形で」
 僕は自分の心に流れてる感情がやっと分かった。夏希への深い愛情、守ってあげたいっていう気持ち、ずっと一緒にいたいっていう想い。それって全部、真理絵さんの母親としての愛が、僕を通して表現されてたんだ。
 でも同時に、僕自身のこの一ヶ月の記憶も確かにある。夏希との出会い、明星や琴音さんとの時間、いろんな人を助けてきた体験。
「僕は⋯⋯」
 僕は震え声で言った。
「お母さんの記憶から生まれました。でも同時に、憶として生きてきました。この一ヶ月の記憶も、夏希への想いも、全部僕自身のものです」
 真理絵さんが嬉しそうに微笑んだ。
「その通りよ。あなたは私の愛から始まったけれど、憶として独立した素敵な存在になった」
 波の音がもっと大きくなって、時間の流れが早くなり始めた。真理絵さんの研究の記憶、夏希の成長の記憶、僕が生まれた瞬間の記憶。全部が波みたいに寄せては返していく。
「私の研究⋯⋯役立ててる?」
 真理絵さんが尋ねた。
「はい」
 夏希が答えた。
「憶と一緒に、人々の弔いを手伝っています。お母さんの理論で」
「そう⋯⋯『人の心に寄り添える技術』がちゃんと実現してるのね」
 僕はすごく感動した。僕たちの活動って、真理絵さんの想いを実現するものだったんだ。
 波がもっともっと強くなって、記憶の渚がゆらゆら揺らぎ始めた。僕の力ももう限界に近づいてる。
「時間が短いみたい」
 真理絵さんが少し寂しそうに言った。
「憶、あなたもそろそろ⋯⋯」
「はい」
 僕は答えた。
「でも、最後に夏希に伝えたいことがあります」
 僕は夏希をまっすぐ見つめた。
「僕は、あなたのお母さんの記憶から生まれました。つまり、僕の中には、お母さんの夏希への愛が全部込められてるんです」
「憶⋯⋯」
「だから僕があなたを大切に思う気持ちも、お母さんの愛の一部なんです。でも同時に、憶として過ごしたこの一ヶ月は、僕自身の大切な大切な記憶です」
 波の音がどんどん大きくなって、霧が部屋全体を包み込み始めた。
「夏希、お母さんの愛は絶対になくならない」
 僕は力を込めて言った。
「僕が消えても、その愛はあなたの心の中でずっと生き続ける」
「分かった」
 夏希が涙を拭きながら、でも美しい笑顔を見せた。
「お母さん、憶、ありがとう」
 真理絵さんが最後にっこり微笑んだ。
「あなたたちをずっと見守ってるからね」
 波の音がさらに大きくなって、記憶の渚が少しずつ薄れ始めた。「またね」っていう真理絵さんの声が、遠くの方から聞こえてきた。
 記憶の渚が静かに消えていった。
 夏希は涙を流してたけど、その表情はとても穏やかだった。悲しみじゃなくて、深い安らぎに満たされてる。
「憶」
 夏希が僕を見つめた。
「あなたは、お母さんからの最高のプレゼントだったのね」
 僕はうなずいた。やっと、自分の存在の意味が分かった。
 お母さんから娘への愛の橋渡し。それが僕の正体だったんだ。
 残り四日。でも、僕はもう自分の役割がはっきり分かった。最後まで、夏希を支えること。それが僕の大切な使命なんだ。
 窓の外で夕日がキラキラ光ってる。もうすぐ、僕の最後の時間が始まる。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

God Buddy

燎 空綺羅
キャラ文芸
アメリカ合衆国、ミズーリ州コロンビアを舞台に、ゾロアスター教の2神の生まれ変わりである少年たちが、仲間たちと共に、市民を守る為に戦いを繰り広げる物語。 怒りと憎しみを乗り越えられるのか? 愛する人を救えるのか? 16歳のオーエン・テイラーは、悩み、苦しみ、運命に抗いながら、前へと進んでゆく。 過ちを抱えながらも、歩むしかない。 この物語は、オーエン・テイラーの、成長の軌跡である。

少しの間、家から追い出されたら芸能界デビューしてハーレム作ってました。コスプレのせいで。

昼寝部
キャラ文芸
 俺、日向真白は義妹と幼馴染の策略により、10月31日のハロウィンの日にコスプレをすることとなった。  その日、コスプレの格好をしたまま少しの間、家を追い出された俺は、仕方なく街を歩いていると読者モデルの出版社で働く人に声をかけられる。  とても困っているようだったので、俺の写真を一枚だけ『読者モデル』に掲載することを了承する。  まさか、その写真がキッカケで芸能界デビューすることになるとは思いもせず……。  これは真白が芸能活動をしながら、義妹や幼馴染、アイドル、女優etcからモテモテとなり、全国の女性たちを魅了するだけのお話し。

処理中です...