もっと早く、伝えていれば

嶌田あき

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第4章 僕が消える日

4-3 最後の時間

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 僕が生まれてから二十七日目の朝。昨夜の記憶の渚で知った衝撃的な真実が、まだ心の中でぐるぐる回ってた。
 残り時間は三日。僕の体はもうほとんど影みたいで、朝の光がするっと通り抜けていく。でも心は昨日とは全然違ってた。自分が何者なのか、どうして存在してるのか、やっと全部分かったから。
 僕は真理絵さんの記憶から生まれた記憶式。夏希のお母さんの最後の愛が、僕という形になって現れたんだ。
「おはよう、憶」
 夏希が波音堂に現れた時、その表情はすごく複雑だった。悲しみと理解が混ざってて、愛情と戸惑いが同居してる。きっと昨夜のことで、頭の中がこんがらがってるんだろうな。
「おはようございます、夏希」
 僕は精一杯の笑顔を作った。
「よく眠れましたか?」
「うん⋯⋯でも、昨日のことをずっと考えてた」
 夏希が僕の隣にぺたんと座った。いつもより距離が近い気がする。
「あなたが、お母さんの記憶から生まれたって分かって⋯⋯」
 僕は夏希の感情をそっと感じ取った。混乱はあるけど、嫌悪感はない。それどころか、前よりもっと深い愛情と受け入れる気持ちがあった。
「夏希」
 僕は優しく言った。
「僕の正体を知って、どう思いますか?」
 夏希は少し上を向いて考えてから答えた。
「最初はびっくりしたけど⋯⋯でも、なんだかすごく納得できた」
「納得?」
「うん。あなたがどうして私のことをこんなに大切にしてくれるのか、どうして私だけがあなたを見ることができたのか⋯⋯」
 夏希の目がきらっと光った。
「全部つながった気がするの」
 僕の胸がじわっと温かくなった。夏希は僕を受け入れてくれてるんだ。
「でも」
 夏希が少し困ったような表情を見せた。
「複雑でもある。あなたはお母さんでもあり、憶でもある」
「そうですね」
 僕は素直に答えた。嘘をつく必要なんてない。
「僕自身もすごく戸惑ってます。お母さんの記憶と愛情が僕の中にあるのは確か。でも、この一ヶ月間の僕の記憶も、あなたへの想いも、間違いなく僕自身のものです」
 夏希が僕の透明な手をじっと見つめた。
「憶」
「はい」
「今日、一緒に海を見に行かない?」
 夏希がぱっと明るい笑顔を見せた。
「お母さんがよく私を連れて行ってくれた場所。あなたにも見せてあげたい」
 僕はすごく嬉しくなった。夏希との特別な時間を過ごせるなんて。
「ぜひ、お願いします」
 僕の中にある真理絵さんの記憶がふわっと蘇る。幼い夏希と手をつないで海を見た温かい日々。その記憶が僕の心をじんわり満たしていく。
 琴音さんと明星にあいさつして、僕たちは波音堂を出た。
 鎌倉の街を歩きながら、僕はとても不思議な感覚に包まれた。真理絵さんの記憶で知ってる風景と、憶として初めて見る景色が、まるで二重写しみたいに重なり合うんだ。
「この道をよく歩いたの」
 夏希が懐かしそうに説明してくれた。
「お母さんと手をつないで」
「僕にも、その記憶があります」
 僕は言った。胸がきゅんとなる。
「あなたの小さな手の温かさ、一緒に歩く幸せ⋯⋯お母さんの記憶として」
 夏希の目にうっすら涙が浮かんだ。
「不思議ね。憶は新しい存在なのに、私の昔のことを知ってる」
「でも」
 僕は微笑んだ。
「僕として夏希と歩くのは初めてです。この感覚は、間違いなく僕だけのもの」
 海が見えてきた。キラキラ光る広大な青い海。波の音がざぁざぁと心地よく響いてる。
「ここよ」
 夏希が立ち止まった。
 海辺のベンチに並んで座って、僕たちは波をぼんやり見つめた。真理絵さんの記憶の中にあるこの場所と、今目の前にある光景が不思議にシンクロしてる。
「美しいですね」
 僕は心の底から感動して言った。
「お母さんの記憶の中でも、今見てるこの瞬間も」
「憶」
 夏希が僕をまっすぐ見つめた。
「あなたの中に、お母さんの想いがあるって分かって⋯⋯すごく嬉しかった」
「嬉しかった?」
「うん。お母さんは本当に私を愛してくれてたんだって、改めて実感できたから」
 夏希がにっこり微笑んだ。
「そして、その愛が憶として私のそばにいてくれる」
 僕の胸が熱くなった。愛されてるって、こんなに温かいものなんだ。
「僕も嬉しいです。あなたのために生まれることができて」
 海風がそよそよと頬を撫でていく。のんびりした午後の光景。時間が止まればいいのに。
「憶」
 夏希が急に真剣な表情になった。
「あなたは私のことを、どんな気持ちで見てるの?」
 僕は少し考えた。昨夜、自分の正体が分かった今、この気持ちにどんな名前をつければいいんだろう。
「複雑です」
 僕は正直に言った。
「僕の中には、お母さんの母親としての愛があります。あなたを守りたい、幸せにしたいっていう気持ち」
「それだけ?」
 夏希の眉がちょっと下がった。
「いえ」
 僕は慌てて首を振った。
「それと同時に、憶としてのあなたへの想いもあります。一緒にいて楽しい、あなたの笑顔が見たい、あなたが悲しむと僕も悲しくなる⋯⋯それは友達として、そして⋯⋯」
「そして?」
 夏希の目がきらきら光ってる。
「もしかすると、恋として」
 僕は恥ずかしくなって俯いた。
 夏希の頬がぽっと赤くなった。
「私も、あなたのことが大好き」
「でも」
 僕は切ない笑顔を浮かべた。
「僕の正体を知った今、この気持ちはすごく複雑ですね。お母さんの愛と、友情と、恋⋯⋯全部がぐちゃぐちゃに混ざり合ってる」
 夏希が僕の透明な手をそっと握った。
「それでいいんじゃない?」
「え?」
 僕はびっくりした。
「お母さんの愛も、友情も、恋も、どれも本物でしょ?だったら、複雑でも全然構わない」
 夏希が素敵な笑顔を見せた。
「私にとって、あなたは大切な友達で、お母さんの分身でもあって、そして大好きな人」
 僕の胸がばくばく鳴った。そっか、複雑でも構わないんだ。
「ありがとう、夏希」
 僕は心の底から言った。
「あなたがそう言ってくれて、すごく安心しました」
 日がだんだん傾いてきた。美しいオレンジ色の夕焼けが海をキラキラ染めてる。
「憶」
 夏希が立ち上がった。
「お約束して」
「何ですか?」
「最後まで、一緒にいて。そして、お母さんと憶、両方の想いを私に残して」
 僕はしっかりうなずいた。
「約束します。僕はあなたのお母さんでもあり、憶でもある。その両方として、最後まであなたのそばにいます」
「それと」
 夏希が続けた。
「私も約束する。あなたたちの想いを大切にして、ちゃんと前に進む」
「頼もしいですね」
 僕は嬉しくて微笑んだ。
 帰り道、僕たちはいろんな話をした。でも今度は、僕の中にある真理絵さんの記憶も自然に会話に混ざった。
「夏希が小さかった頃、よく海で貝殻を拾いましたね」
 僕が言うと、夏希がぱっと振り返った。
「覚えてるの?」
「お母さんの記憶として。小さな手で一生懸命貝殻を探すあなたを、とても愛おしく思ってました」
「そうなんだ⋯⋯」
 夏希がとても嬉しそうに微笑んだ。
 波音堂に戻る頃には、もうすっかり夜になってた。
「今日は楽しかった」
 夏希が振り返って微笑んだ。
「ありがとう、憶。お母さんも」
「僕たちも楽しかったです」
 僕は答えた。
「最高の一日でした」
 夏希が帰った後、僕は一人で窓から海の方を眺めた。今日見た海の美しさが、心にしっかり焼き付いてる。
 僕は真理絵さんの記憶から生まれた。でも憶として、自分だけの大切な記憶も作ることができた。その両方が僕の本当の姿だった。
 残り三日。でも、僕はもう迷わない。
 お母さんの愛として、友達として、そして憶として。全部の想いを込めて、夏希の最後の時間を支えよう。
 それが、記憶式・憶の大切な使命だった。
 窓の外で波がしゃらしゃらと静かに寄せてる。とても美しい夜だった。僕にとって、残り少ない夜の一つ。
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