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智也の帰国①
しおりを挟むほなみは何日か振りに外へ出て、見慣れた街並みをエントランスに立ったまましばらく眺めた。
2月半ばの今日は暖かくまるで春のようだ。
街を行く人も上着を脱ぎ、手に持ち歩いている。
街は前と変わらない姿をしているのに、今自分が此処に居るのが何故かそぐわない様な気がする。
(――私自身が西君と出会って変わってしまったからだろうか?)
買い物をしに駅方面に足を向け歩いていると、どこからか叫ぶ声が聞こえる。
「……ちゃん……ほなみちゃーん!」
聞き覚えのある声にギョッとして振り向くと、大通りの反対側のcallingの前で、浜田とクレッシェンドのドラマーで女の子みたいな可愛い顔の――確か三広。
そして、亮介。
3人が一斉に叫んだ。
「ほ――な――み――ちゃ――ん!」
男3人の声が響き渡り往来の人々がじろじろ見ている。
ほなみは困ってその場に立ち尽くしていた。
道の向こうで3人は賑やかに何かを言い合っていたが、三広が走り出した。
三広は信号を渡り、どうやらこちらに向かって来ている。
茶色の綺麗なマッシュの髪を揺らし、もの凄い速度で走って来る彼から、ほなみは反射的に背を向け逃げ出した。
「ほなみちゃーん!ちょっと……待って――!」
良く通る声が後ろから聞こえる。
ほなみは必死に走ったが、街中をパンプスで全速力で走るには無理があるし、三広の足が速すぎた。
あっという間に追いつかれ先回りされた。
息を乱してへたり込むと、彼は白い綺麗な手を差し出してほなみを立たせた。
「大丈夫?」
全速力で走ってもマッシュの髪は乱れる事なく、綺麗な形に戻っている。
よく考えてみたら本気で走ったのは高校生の時振りなのだ。
少しダッシュしただけで、もう息が上がり心臓がバクバク苦しい。
(……なんて情けない)
ほなみは呼吸を整えるのに必死だが三広は息ひとつ乱さず、ニコニコ笑って言った。
「この間のライヴ以来だね?」
――何故クレッシェンドのメンバーがこんな所に居るのだろうか。
西君があんな事になり、今バンドは重大な局面なのでは?
……もしかしたら私との事が知れているのかも。
私のせいで西君が右手を怪我した事も――
ほなみは、思わず唇を噛んだ。
「……元気だった?」
三広が少し首を傾げた時、前髪がさらっと揺れて形の良い額と眉が一瞬顕れ、ほなみが触ってみると、彼は目を大きく見開いて固まった。
「この間西君とぶつかったところ、もう痛まない?」
あの時、髪の生え際辺りが切れて血が滲んでいたような気がするが、もう瘡蓋になっている。
「ここ、いじったらダメだからね?」
彼は、顔を何故か真っ赤にして黙り込み目を逸らした。
「三広君?」
声を掛けると、こちらを向いたが、目を合わせたかと思うと又、物凄い勢いでそっぽを向く。
「気分でも悪い……?」
ほなみは彼の顔を覗き込んだ。
「うわーっ!」
彼は耳まで真っ赤になって叫んだ。
「……て……ゴメン……心配してくれたのに……これはつまり、その、えっと……」
目を丸くするほなみに、三広がオドオドと釈明していると、バタバタと賑やかな足音が聞こえる。
振り向くと、長い足で軽やかに走る亮介、その後ろには、ハアハアしながら付いて来る浜田の姿があった。
「ほなみちゃん。ちょっと久しぶりだね。
三広が驚かしてごめんね?」
亮介は爽やかに笑いかけると三広の首を片手で締めた。
「み~つひろ~。
何やってんだお前!端から見たら不審者だぞ?」
「ぐえっ」
三広は白目を剥いている。
ほなみはハラハラしたが、亮介は
『全く問題ないです』と言いたげな表情で、こめかみを
『ぐりぐり』やり始め、三広は又悲鳴を上げている。
浜田はゼイゼイ息を切らしながら眼鏡を取り額の汗を拭った。
ほなみがハンカチを差し出すと、笑顔で受け取った。
「ありがとう!ほなみちゃん、会えてよかったよ!
『散歩で通りかかるかな~?』
て思って気にしてたんだよ~。
あの日は無理に手伝い頼んで悪かったね?はい。少しだけどバイト賃だよ!」
「えっ、そんな……悪いですよ」
浜田は強引にほなみに封筒を握らせ、ウインクした。
「立ち話もアレだから、callingのカフェにおいで。お茶していきなよ。」
躊躇する間もなく、亮介に右手を、浜田には左手を繋がれてしまった。
「さあっ!レッツゴ~!」
浜田が楽しそうに歩き出す。
「カフェのスフレが結構美味しいんだよ。
口の中であっという間に溶けちゃうよ!」
亮介が耳打ちして来た。
「りっ!亮介~!
今何を言ったんだよ!
……俺の悪口っ?
影口っ?
卑怯な真似すんなーっ!」
後ろから、三広のキャンキャン高い声が聞こえる。
「うーん?
お前、自意識過剰っつーか、むしろ心当たりあんのか?
……そうかアレか!お前がツアーの時、必ず大量の
『大人の絵本』を持参してくる事とか?」
「ぎゃ――いっ言うなあ!」
三広が悲痛な叫びをあげた。
「……大人の絵本?」
「ほなみちゃん、わかんないかな~?
後で、奴の秘蔵の
『大人の絵本』セレクションを見せてあげようか?」
「りっ亮介――!
馬鹿言ってんじゃねーよ!」
三広は飛び蹴りをしようと脚を振り上げたが、亮介は、ほなみを素早く建物側に避けさせ、蹴りをかわした。
「ぶっぶー。
おまえの可愛いアンヨで俺をキックしようなんて300年早いぞ!」
亮介は、アカンベをした。
「れろれろれ~!」
と三広を挑発している。
「かっ……可愛いって、何だよ!」
三広は真っ赤になって亮介に殴りかかるが、また避けられる。
「短け――脚ってこ・と・だ・よ!
オブラートに包んでやったのにな。
お前、馬鹿あ?」
「短かっ……!?
ぐうううっ!オブラートだかビブラートだか知らんけど、ほんっと――に失礼な奴だな――っ!いいかっ?
手足はそれぞれの人間に適した長さがちゃ――んとあるんだよ!
つまり俺にはこれがジャストサイズなんだよ――!手足だけ長かったら変だろっ?ああ?」
「あ――あ――そうだな――確かに!
それだとまるで手長猿だよな。うん!」
亮介は大袈裟なジェスチャーで手を叩いて見せた。
「猿いうなあ――っ!
亮介のバーカバーカバーカ」
「おっ!馬鹿て言う方がバーカなんだからな――!
つまりそれはお前の脳内のボキャブラリーの乏しさが如実に表れている証拠だ――っ!」
子供の喧嘩のように、じゃれ合う彼等を見て、ほなみは思わず吹き出して、我慢出来ずにお腹を抱えて笑ってしまう。
「ほら!お前が猿みたいだから、ほなみちゃんが笑ってるぞ!」
亮介は、ますます調子に乗って三広を指差した。
「人を指差しちゃいけませんよ!て、お前は教わらなかったのか――っ!?」
「人じゃないもん。お猿さんだよ~」
「りょ――すけ――っ!ギッタギタのメッタくそにしてやる――!」
「リーチも足りない猿がどうやってこの亮介様を倒すんだ?あ?」
「おっ……俺には必殺技があるっ!」
「お!見せて貰おうじゃないか」
「……すーっ……はーっ」
三広が目を閉じ、両手の拳を握り真剣な様子で何か気合いを入れていたが、ササっと後ろに回り込んだ亮介が、しゃがんで膝裏に人差し指を突っ込んだ。
三広は悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「必殺技、破れたり!」
「亮介っ!俺はまだ必殺技を出してないぞ!
技を繰り出す前に攻撃してくるな――!」
「はっはっは!勝負の世界にフェアは無い!」
「き――!だから一体何の勝負だよっ!」
グダグダの掛け合いに笑いが止まらず、涙を拭きながら、ほなみは流れで浜田と手を繋いで歩いていた。
(――こんなに笑ったのは
どのくらい振りだろうか――)
笑っている間に、callingの前に着いてしまった。
「お馬鹿な子供達はほおって置いて、美味しいパンケーキでも頂こうか!」
浜田は、ほなみの肩をポンと軽く叩くと、ポケットから大量の鍵を出してドアのカギを探し始めた。
「ちょっと待ってて。
今開けるから……っと、どれだっけ」
三広と亮介は少し離れた所で、まだ騒いでいた。
ほなみはクスクス笑って、彼等を見ていたが、ふと、壁のクレッシェンドのポスターに目が留まる。
――ピアノの前で笑って居る西君。
濃紺のスーツに細いリボンのネクタイがとても似合って、彼の佇まいをますます魅力的にしている。
「むむっ。同じような鍵ばかりなんだよ……
これか?いや違った!これか!ええっ?むーん……今度こそ!」
浜田はまだ、大量の鍵と格闘していた。
ほなみはポスターから目が離せない。
(――ファンとして応援すると決めたのに。
そうするしかないのに――)
彼の姿を目にしただけで五感全て、否、それ以上の何かが彼に向かって流れ出してしまう。
ほなみは、ポスターの彼の顔を指でなぞった。
胸の奥が堪えがたく痛んで目を閉じた時、何処からか視線を感じ、ハッとして手を離した。
目の前の信号が青に変わり
『ピッポウ ピッポウ』
という音と共に、歩行者達が急ぎ足で押し寄せて来る。
その集団の中に、こちらを真っすぐ見つめる目があった。
――誰なのか、ほなみにはすぐに分かった――
「……智……也……」
身体が、緊張で急速に冷たくなっていった。
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