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プロローグ

5 賽は投げられた 後

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 ノート兄様の隣に座っていた私は席を立ち皆と同じ目の高さに来るようにします。本当は十から十五センチ見下ろすのが良いのですが、仕方ありません。

「今日のカプチーノとビスコッティを作ったのは私です」
「「えーっ!」」どよめきまで起こります。酷い。

「昨年、私とお兄様で領地見学に行った際に思ったのは、領地で生産されるほとんどの農作物は王都に送られ、領都では市場で細々と売られる程度で消費される事はほとんどありません。折角の領都なのに物流拠点としてしか利用されないのは寂しいと思ったのです。また他からやってきた人は、折角領民が努力して生産するものを知らずに素通りしてしまう。それはとても勿体ないと思うのです」

(お嬢様……そんなにまで私たちの事を……)
 領地から来た三人は何故かうるうるしています。私、何かした?

「カフェはコーヒーを楽しむビスコッティやヒッコリーの実入りのクッキーや領地産の果実を使ったタルト等のデザートや軽食を出す店舗にしたいと思います。先程のノート兄様のヒッコリーの実が描かれたページから後ろをご覧ください。我がフェルセンダール領で生産される農産物を表にした物です」

 小麦、大麦、ソバ、ジャガイモ、小豆、苺、さくらんぼ、みかん、茸。名前は違うけれど、前世でおなじみの食材はそろっている。もちろん、こちら特有のものも。それに生産は少ないけれどワインだって生産している。海のない我が領は海産物がないのが残念ですがね……。

「こうして一覧で見ると我がフェルセンダール領はとても豊かなのが解ると思います。これらを利用した新しい料理をカフェで出せば良い宣伝になると思うのです。そしてその料理開発を私に任せていただいて、コーヒーとヒッコリーの実が量産できるまで、領地を直で見て味を知り新しい料理を提供できるように準備したいのです!」

「おおー! お嬢様自ら!」
「それは良い旗印になる!」

 私が説明を始めてから一言も発しなかったお父様が、ようやく口を開きました。
「ダメだ。お前は第一王子殿下の后がねだ。領地内とはいえ外に出すわけにはいかない」

 やっぱり、言われたか……。でも負けるわけにはいきません!
 最後はあれだ、泣き落とし。でもそれは最後まで取っておきたいのです。前世からの小さなプライド。涙を売りにするのは知力を尽くしてから。幸い涙を使わずのし上がってきたのだから。負けません!

「私は新しい料理素材を発見して領地を豊かにしたいだけです」
「ダメだ。料理ならここでもできる」
「私は、婚約者候補だったのでは? まだ候補は全て決定したわけではないのですよね?」
「そうだ。しかし侯爵家としては他家に差をつけるために早々にお后教育を始めたい。そう、資金も出す。ノルベルトに全権を任せよう」

 やっぱり私の事は政略結婚の道具としてしか見ていないのですね……。薄々感じていましたが、直に態度で示されると寂しいですね。まぁそういうつもりでしたら心置きなく地盤固めて出奔するのみです。

「お父様。それは短慮です」
「なっ」
「お后教育など、他の候補者も受けてきます。それより領政に関わり政治を学び、領民と関わり国民の立場を理解し、王の立場からの目を持つ者になった方が差を付けられると思いませんか?」
「…………」
「お父様、今回のアイディアは全てアンネが考えました。私は協力しただけです。それに私には魔術学校があるのでそう簡単に彼らの面倒は見れません」
 黙ってしまったお父様にノート兄様がいきなりネタ晴らし! 早くないですか?!
「なっ! なんだと!」
 うろたえるお父様をよそに領地の財務担当者が突然立ち上がり、私の肩に手を置き跪きます。
「お嬢様がこの財務書類を作ったのですか!」
「は、はいっ!」おわー、びっくりした。
「お嬢様、この財務書類は今までの財務を根本的に変え、税徴収さえも能率的に行えます。これは私達だけでなく、すべての商人に教え広めるべきです。ぜひ私に、私達にご教授を!」
 そうですよね-今まで単式簿記でしたからねー。複式簿記見たらびっくりしますよねー。
「で、でも……」ちらっとお父様を見ると苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらをにらんでいます。ふん、もう怖くないですよ! でも一応怯えたフリはしておかないとですね。
「お館様! お嬢様は天才です! ぜひ、私達領民の為にお嬢様のお力をお貸し頂きたく存じます!」
「私も! お嬢様の領民を思う気持ちに心を打たれました。お嬢様の計画にぜひ協力をさせて頂きたく!」
「私もです!」


 しばらく黙っていたお父様が大きな深ーい溜息をつくと折れてくれました。

「解った。マリアンネに任せよう。資金は計画書通り出してやろう。しかし、ノルベルトと共同で行う事。カフェの料理開発の材料集めは他の者に任せる事。マリアンネが領都から出ることは許さない。そして、この事業に期限を設ける。七年だ。マリアンネが成人する前までに成果を出せ」

「ありがとうございます! お父様! 大好き!」
 感動したのでサービスに大好き付けました。でも抱きついたりしません。抱きつくのはノート兄様のみ。
「ノート兄様! やりました! ノート兄様のおかげです。私、頑張ります!」
「おめでとうアンネ。僕も嬉しいよ!」
「ノート兄様大好き!」


 さて、夢の第一歩! 行きますよ!



◇◆◇◆◇◆


 よく聞くけどよくわからないビジネス用語

 単式簿記;資金の収支のみを帳簿に付ける記帳方法。簿記の知識がなくとも行える。
 複式簿記;全ての取引を原因と結果に分けて帳簿に付ける記帳方法。現在、全世界の会計はこの方式で行われている。
(今回は簿記の歴史であんまり世間には知られていない言葉でした)

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