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06 黒い鞄
その4
しおりを挟むそしてまた闇夜が私の中へ戻ってきて、いつもの靄のかかった色の無い朝が始まる。
子供の口元へスプーンを運んでいると、「おはよう」と背後から聞こえてきた。
スプーンを持つ手が止まる。
早鐘のように心臓が打ち始める。
恐る恐る振り向くと夫が立っていた。
子供と私へ視線を送りながら柔らかく微笑んでいる。
幻覚?
固まっている私をよそに席に着いた夫は「いただきます」とお箸を持ち始めた。
食事を終えて席を立つ夫の前のお皿の上には何も残っていない。
綺麗。
心が拭き取られたようになってゆく。
闇のような深く黒い思いが波が引くように薄れてゆく。
呆然としたままの私に、「まだ眠いのかい?」と気遣うように(私の思い違い違いでないなら)夫はたずねて、「行ってくるよ」と申し訳なさそうに(私の妄想でないなら)夫は言葉をかけた。
そして夫はいつもの黒い鞄を流れるような動作で椅子から持ち上げてリビングを出てゆく。
私は子供を両手で抱き上げて、恐怖を抑え込むようにギュッと抱きしめながら、玄関へ向かう夫の背中を慌てて追う。
あれ?
いつもの黒い鞄?
昨日、夫は無表情な男が置いていった黒い鞄を持って玄関を出て行ったはずでは?
夫が手に下げている今の黒い鞄は宅配の人が回収に来たはずでは?
「どうした?」
玄関の扉の前へ着くと戸惑い混乱している私の顔を夫が覗き込む。
視線がぶつかる。
「あなた……、その鞄……?」
声が震えて言葉が続かない。
不思議そうな顔をした夫の表情が和らぐ。
「まだまだ使えるさ。
だいぶ疲れてはきてるけど、ちゃんと磨いて大切に扱えばまだまだ大丈夫だよ。
僕に鞄を買うゆとりがあるなら君の欲しい物を何か買うといい」
夫の右手が私の頭へポンと置かれる。
夫の右手が子供の頭へポンと置かれる。
「行ってくる。
今日は早く帰れると思うから、久しぶりに三人で食事に出かけよう。
いつも家のことや子供のことで大変だと思うけど、今日もよろしく頼むな」と夫が微笑む。
「はい。いってらっしゃい」と私が微笑む。
優しい言葉と優しい表情を残して玄関を出て行った夫の声と顔が、昨日の無表情で特徴の無い男の声と顔に似ていたような気がしてきた。
「きっと気のせいね。
夜、何を着て行こうかしら?」
寝息をたてはじめた子供を抱いている私は今晩のお出かけのことへ思いを馳せ、心躍らせる。
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