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第二章 それぞれのひと月
後の曲輪に風
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氷冴の助言のもと、辰之進の打ち込みがだんだん鋭くなってくる。みなづきの受けもあわやというところでなんとかできる場合も何度かあった。
余裕を持って平静を装っていた昌久院もだんだんと熱を帯びてくる。拳を握りしめ前のめりになり、ついには声を出して応援しはじめる。
「辰之進、そこです。もっとつよく、ああ、そ、そこ、おしい、ああ」
辰之進も必死に打ち込むが、みなづきはそれをすべて受ける、受け流す、躱す。
※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「辰之進、何をしているのです、はやく立ちなさい」
──息が荒く汗まみれになり四つん這いになっている辰之進に昌久院の激が飛ぶ。だが辰之進は動けずにいた。
これまでと思った氷冴が止めを言おうとしたが、その前にみなづきが礼をする。
「辰之進様、本日のお稽古はこれまでとさせてください。続きはまた日をあらためてお願いいたします」
「わ、わかった」
このひと言で途中から勝負と思い込んでいた昌久院達は我にかえる。そういえばこれは稽古だったと。
少し体力がもどった辰之進は、礼をしたあと昌久院達に囲まれるように連れていかれた。おそらくこのあと湯浴みをするのだろう。となるとみなづきが火を熾して湯を沸かさねばならぬ。すぐさま向かおうとしたが、その前に氷冴に礼を言う。
「こちらの意図を感じ取っていただき忝うございます」
「やはりそうでしたか。辰之進様を打ち込みやすいようにして基本的な技を覚えさせてましたね。昌久院様に知られないようにあえて教えるように次の打ち込みどころを伝えてました」
あらためて互いに礼をしたあと、みなづきは急ぎ湯殿へ。氷冴は道場の後片付けをした。
※ ※ ※ ※ ※
その後、辰之進は毎日のように道場に通うようになり、いつも体力が尽きて動けなくなる。身体ができていないことを痛感したので、氷冴の指導のもと素振り稽古から始めるようになった。
最初は身体が悲鳴をあげて最後までできなかったが、素振り稽古のあとみなづき相手に打ち込み稽古。決まった時刻までやれるようになり、そのあと湯浴みするのが辰之進の日課となった。
当然、みなづきも湯を沸かさなければならない。いつもの作業に剣術の指導と湯沸かし。さすがにみなづきも疲れがみえてくる。
ここぞとばかり奥女中達もよけいな言いつけをするものだから、さらに疲労が溜まってくる。日に日に辛くなっていくみなづきを見て、氷冴はなんとかならないかと思案していた。
※ ※ ※ ※ ※
ある日のことだった。いつも通り辰之進が昌久院とともに食事をしていると、箸を置いて途中で食べるのをやめたのだ。
「どうしたのかえ。みなづきの作る料理は口に合わぬのか」
「そうではありませぬが……」
「ではなんなのだえ」
「母上が昔作っていた芋煮と鶏肉と卵の料理を思い出しまして、近頃はあれを食べてみたいと考えてばかりおりました」
「……ああ、そんなこともありましたね。あれは私がまだ下級武士の実家で食うや食わずの頃の下賤な食べ物です。そなたは次の領主となるいじょう、そのような物はもう食べなくてもよろしい」
「そうですか……」
仕方なく辰之進は箸をとると食べはじめる。厳しくしなくてはと昌久院はそう言い放ったが、溺愛する息子の願いはきいてやりたい。なので久方振りに台所に立ち、料理をすることになった。
驚いたのは奥女中たち。そのようなことはせずともとやめるように言うが、当然やめない。みなづきに下ごしらえさせたあと外に出し自ら調理する。
おかげで奥女中たちの食事が遅れることになったが文句も言えない。
「さ、お食べなさい」
「いただきまする」
辰之進の前に並べられた里芋の煮物、鶏肉を溶き卵で甘辛く煮たものが美味そうな匂いをたて鼻をくすぐる。行儀よく食べるのを躾けられていたが、あまりの美味しさに何度もおかわりをする。
「うん、美味い。皆にも食べさせてやりたい」
「そのようなことはせずとも……そうかえ」
昌久院はふたたび台所に立ち、今度は皆の分もつくる。出された料理に奥女中達は腰を抜かさんばかりに驚いたが、それらをありがたくいただいた。
※ ※ ※ ※ ※
「氷冴様のおかげで少し楽になりました」
辰之進が上達してきたので近頃は稽古終わりに三人で話すようになった。
「稽古する日を減らし、その日は辰之進様が昌久院様の手料理を食べられるので暇ができます」
「それは何よりです」
氷冴がそう言うと辰之進も頷く。
「みなづきに倒れられては困るのでな。さ、今日も話しを聞かせておくれ」
ふたりにとってみなづきの話は稽古あとの楽しみのひとつとなっていた。
さくら姫から仕入れた領内の四方山話、父瀬月からの武士の心得などなど。母昌久院の愚痴ばかり聞かされていた辰之進は目を輝かせて聞く。
そのおかげで会話が弾まないのが昌久院にとってつまらない。自分の話をつまらなそうな顔で訊くようになり、遮ってみなづきの話をする。それが面白くなかった。
日に日に悶々としてきた昌久院に朗報が入ってきたのは、そんな頃である。
※ ※ ※ ※ ※
「みなづき、近頃さくら姫とは会ったかえ」
急に部屋に呼び出され、問いただされる。
「いえ、ここひと月ほど顔を見ておりませぬが」
「そうかえそうかえ、ならば城の地下牢に入れられたことを知らぬか」
「!!」
みなづきは声にならないほど驚いたが、態度に出ては不味いと身動ぎせず座ったまま手をつき畳を見たままでいる。
「知っているであろう、城の地下牢は気のふれた者が入る場所。さくらめ、十年経っても同じことをするとは本当に気がふれたやも知れぬなぁ」
カラカラと笑う昌久院の声はみなづきに聞こえなかった。さくらがそのような者ではないと信じてるからだ。
だが本当に地下牢に入れられたかもは知れない。
──さくら、貴女はいったい何をしでかしたの──
余裕を持って平静を装っていた昌久院もだんだんと熱を帯びてくる。拳を握りしめ前のめりになり、ついには声を出して応援しはじめる。
「辰之進、そこです。もっとつよく、ああ、そ、そこ、おしい、ああ」
辰之進も必死に打ち込むが、みなづきはそれをすべて受ける、受け流す、躱す。
※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「辰之進、何をしているのです、はやく立ちなさい」
──息が荒く汗まみれになり四つん這いになっている辰之進に昌久院の激が飛ぶ。だが辰之進は動けずにいた。
これまでと思った氷冴が止めを言おうとしたが、その前にみなづきが礼をする。
「辰之進様、本日のお稽古はこれまでとさせてください。続きはまた日をあらためてお願いいたします」
「わ、わかった」
このひと言で途中から勝負と思い込んでいた昌久院達は我にかえる。そういえばこれは稽古だったと。
少し体力がもどった辰之進は、礼をしたあと昌久院達に囲まれるように連れていかれた。おそらくこのあと湯浴みをするのだろう。となるとみなづきが火を熾して湯を沸かさねばならぬ。すぐさま向かおうとしたが、その前に氷冴に礼を言う。
「こちらの意図を感じ取っていただき忝うございます」
「やはりそうでしたか。辰之進様を打ち込みやすいようにして基本的な技を覚えさせてましたね。昌久院様に知られないようにあえて教えるように次の打ち込みどころを伝えてました」
あらためて互いに礼をしたあと、みなづきは急ぎ湯殿へ。氷冴は道場の後片付けをした。
※ ※ ※ ※ ※
その後、辰之進は毎日のように道場に通うようになり、いつも体力が尽きて動けなくなる。身体ができていないことを痛感したので、氷冴の指導のもと素振り稽古から始めるようになった。
最初は身体が悲鳴をあげて最後までできなかったが、素振り稽古のあとみなづき相手に打ち込み稽古。決まった時刻までやれるようになり、そのあと湯浴みするのが辰之進の日課となった。
当然、みなづきも湯を沸かさなければならない。いつもの作業に剣術の指導と湯沸かし。さすがにみなづきも疲れがみえてくる。
ここぞとばかり奥女中達もよけいな言いつけをするものだから、さらに疲労が溜まってくる。日に日に辛くなっていくみなづきを見て、氷冴はなんとかならないかと思案していた。
※ ※ ※ ※ ※
ある日のことだった。いつも通り辰之進が昌久院とともに食事をしていると、箸を置いて途中で食べるのをやめたのだ。
「どうしたのかえ。みなづきの作る料理は口に合わぬのか」
「そうではありませぬが……」
「ではなんなのだえ」
「母上が昔作っていた芋煮と鶏肉と卵の料理を思い出しまして、近頃はあれを食べてみたいと考えてばかりおりました」
「……ああ、そんなこともありましたね。あれは私がまだ下級武士の実家で食うや食わずの頃の下賤な食べ物です。そなたは次の領主となるいじょう、そのような物はもう食べなくてもよろしい」
「そうですか……」
仕方なく辰之進は箸をとると食べはじめる。厳しくしなくてはと昌久院はそう言い放ったが、溺愛する息子の願いはきいてやりたい。なので久方振りに台所に立ち、料理をすることになった。
驚いたのは奥女中たち。そのようなことはせずともとやめるように言うが、当然やめない。みなづきに下ごしらえさせたあと外に出し自ら調理する。
おかげで奥女中たちの食事が遅れることになったが文句も言えない。
「さ、お食べなさい」
「いただきまする」
辰之進の前に並べられた里芋の煮物、鶏肉を溶き卵で甘辛く煮たものが美味そうな匂いをたて鼻をくすぐる。行儀よく食べるのを躾けられていたが、あまりの美味しさに何度もおかわりをする。
「うん、美味い。皆にも食べさせてやりたい」
「そのようなことはせずとも……そうかえ」
昌久院はふたたび台所に立ち、今度は皆の分もつくる。出された料理に奥女中達は腰を抜かさんばかりに驚いたが、それらをありがたくいただいた。
※ ※ ※ ※ ※
「氷冴様のおかげで少し楽になりました」
辰之進が上達してきたので近頃は稽古終わりに三人で話すようになった。
「稽古する日を減らし、その日は辰之進様が昌久院様の手料理を食べられるので暇ができます」
「それは何よりです」
氷冴がそう言うと辰之進も頷く。
「みなづきに倒れられては困るのでな。さ、今日も話しを聞かせておくれ」
ふたりにとってみなづきの話は稽古あとの楽しみのひとつとなっていた。
さくら姫から仕入れた領内の四方山話、父瀬月からの武士の心得などなど。母昌久院の愚痴ばかり聞かされていた辰之進は目を輝かせて聞く。
そのおかげで会話が弾まないのが昌久院にとってつまらない。自分の話をつまらなそうな顔で訊くようになり、遮ってみなづきの話をする。それが面白くなかった。
日に日に悶々としてきた昌久院に朗報が入ってきたのは、そんな頃である。
※ ※ ※ ※ ※
「みなづき、近頃さくら姫とは会ったかえ」
急に部屋に呼び出され、問いただされる。
「いえ、ここひと月ほど顔を見ておりませぬが」
「そうかえそうかえ、ならば城の地下牢に入れられたことを知らぬか」
「!!」
みなづきは声にならないほど驚いたが、態度に出ては不味いと身動ぎせず座ったまま手をつき畳を見たままでいる。
「知っているであろう、城の地下牢は気のふれた者が入る場所。さくらめ、十年経っても同じことをするとは本当に気がふれたやも知れぬなぁ」
カラカラと笑う昌久院の声はみなづきに聞こえなかった。さくらがそのような者ではないと信じてるからだ。
だが本当に地下牢に入れられたかもは知れない。
──さくら、貴女はいったい何をしでかしたの──
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