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1章 はじまりの月
1−7
しおりを挟む「セレーナ、少し二人でお出かけしようか」
公爵がセレーナの肩に手を置いて、優しく微笑みかける。
ソルの笑顔は力一杯に輝く太陽そのものだが、公爵の笑みは陽だまり。
セレーナにとって、暖かく見守るその姿も太陽のように思えた。
「少し早いけど、プレセントを選びに行こう」
「誕生日の? 」
「あぁ。そうだ、父様はお腹が空いてしまったから、何か食べに行こうか。セレーナは魚料理が好きだったね」
涙がせっかく止まったのに、セレーナは溢れ出しそうで、力強く口を閉ざした。
なんとなく、父は全てお見通しだと思った。
「さ、着替えに行こうか。部屋に一緒に行こう」
公爵はセレーナの手を固く繋ぎ歩き出す。
もう10歳なのに、セレーナは赤ん坊のように扱われることが少し嬉しかった。
いつもよりうんと優しさの滲む父の声に安心した。
「セレーナ、大丈夫だからな」
公爵はセレーナの歩幅に合わせて歩きながら、はっきりと言った。
*
「お腹いっぱいになったかい? 」
公爵は店を出るとセレーナに問いかけた。
日はもうすぐ落ちてしまいそうで、夕陽が眩しかった。
あれから公爵に守られるように部屋に行って着替えを済ませたセレーナは、再び守られながら馬車に乗り込んで街に繰り出した。
まだ公爵家のものではない馬車があったので、インペリウム伯爵は屋敷にいるはずなのに、セレーナが馬車に乗り込むまでの間、数人の使用人以外に会っていない。
公爵があれだけ大声をあげていたのに誰も駆けつけてこなかったし、セレーナは不思議だった。
けれど、今はそんなことを考えたくなくて、久しぶりの父とのお出かけに自然と気分が上がっていた。
時々だが、公爵は忙しい合間をぬってセレーナと二人だけでお出かけをしてくれる。
セレーナは、父を独り占めできるこの時間がとても好きだった。
「はい」
セレーナはすぐにうまい言葉は見つからなかった。
だから、しっかりと頷いてその喜びを伝える。
嫌な空腹感は完全に消えて、セレーナは満たされたお腹に幸福すら感じていた。
いつも十分に食べているはずなのに、少し食べなかっただけでとセレーナはなんだかおかしかった。
これでは夕飯が食べれないというと、公爵はそんなことを気にする必要はないと笑った。
「もっと珍しいものを食べさせてあげてたかったけど、この国では保存魔法の使い手は少ないから、魚料理は限られてしまうね。もっと新鮮な魚は港町に行けば食べれるんだがな」
「王都の外? 」
「そうだよ。我が国の港はね、入り組んだ場所にあるが、丁度海の流れがぶつかるところにあってね。獲れる魚の数も豊富だ」
セレーナは公爵の話に目を輝かせる。
授業や本では分からない今の話は、セレーナの興味を引いた。
そんなセレーナに気付いた公爵は少しだけ苦笑いを浮かべた。
「けれど、そこに行くのは、セレーナが大きくなってからだ」
セレーナは首を傾げる。
「魚も集まるが、人もよく集まるんだ。他国の船も停泊に使ったりして、賑わっている場所だから。その分、色んな物も集まってくるんだけどね」
そういえば、公爵夫人も港町に一人で行くことがあるなと思い出す。
目新しいものを求めているのか、帰ってくる時はいつも馬車いっぱいに買ったものを積んでいた。
「でも、この国は他国の交流は少ないって」
「それは港で人の出入りを管理しているから、直接交流しているとは言えないな。我が国にも他国から物を仕入れて帰ってくる商人はいるし、政治的な交流が少ないという方が正しいかもしれない。大昔のように人を受け入れる体制はこの国にはないからね。だから、王都には他国の人を見かけないだろ? 」
他を知らないので比較できないが、セレーナは自国民以外と出会ったことがない。
「なら、港は外国の方もたくさんいるの? 」
「もちろん。セレーナが想像できないほどたくさんいる。授業でも世界には多くの国があると習っているだろ? 」
セレーナは静かに頷いた。
「だから余計に危ない。人が多く、言葉も通じない、考え方も違う人が山ほどいる。王都の街でもこうやって手を繋がないとはぐれてしまいそうなのに、港では忙しく働いている人も多いから、セレーナのような小さな子には危険だ。中には人攫いも多くてね。港では王都に比べて行方不明者も多いからね」
セレーナは納得して、公爵と自分で判断できるようになるまで港町には行かないことを約束した。
「お父様、この国には他に他国の人が多くいる場所はないの? 隣接している国との国境とか」
「この国は大きな山脈に囲まれているからね。帝国の街道もないし、海を伝って以外の方法はないだろうね。あの山脈も魔物が多くて人が簡単に出入りする場所ではないからね」
そういうことなのかとセレーナは驚く。
授業ではこういうものだと教えられ、それをそのまま頭に詰め込んでいる感覚だったが、内情を知れば、その意味を理解したように感じられた。
「さ、難しい話はここまでにして、遅くなるまで時間がないし、急いで街を見て回ろう。プレゼント探しだ」
公爵は穏やかな微笑みでそう言って、歩き出す。
既にセレーナは満足していたが、もっと何かがある気がして父の手を強く握った。
けれど、そんな時間もそう長くは続かない。
「お父様! 」
セレーナと公爵が街を散策していると、急にソルの声が聞こえた。
屋敷にいるはずの彼女がいるはずないのにとセレーナが振り返れば、そこには満面の笑みを浮かべたソルがこちらに駆けてきていた。
──なんで・・・
セレーナの表情が固まった。
頭が追いつかなかった。
公爵も驚いたようで、護衛一人を引き連れてやってくるソルを見て目を丸めた。
「ソル? なぜここへ? 伯爵・・・、お祖父様は帰ったのか? 」
「ううん。まだいるよ。お父様とセレーナがお出かけしたって聞いて追いかけてきたの」
使用人の誰かが言ったのだろう。
セレーナは終わってしまった時間に落胆する。
「黙って出てきたのか? 」
瞬時に公爵が厳しい顔をした。
セレーナもよく知っている起こる前の父の顔。
公爵夫人だったら「仕方ない」ですます事でも、公爵はセレーナとソルに同じように叱責する。
決してどちらかがどうだとはせず、平等に扱ってくれるそう姿勢はセレーナにとって、とても心強い物だった。
「だって、お母様と難しいお話してたから、暇だったんだもの」
「ソル」
言い訳をしようとするそれを父が諌める。
けれど、ソルはそんなことではめげない。
「だって、だってずるいもん」
ソルは頬を膨らまして公爵に訴える。
「ソルだってお出かけしたかったのに、二人だけでずるい。セレーナ、なんで誘ってくれなかったの? 」
──ソルはさっきまで私を忘れてたくせに
どろりとした感情がセレーナの中に湧いた。
ソルは感情のままにセレーナに言葉を投げる。
「セレーナのいじわる」
セレーナは自分がしたことは悪いことかどうか分からなくなった。
だって、セレーナは朝からずっと寂しくて嫌だった。
けれど、誰もきてくれなくてやっと公爵が帰ってきて、それで分からないけど嬉しくて。
それが悪いことなのだろうか。
──なんで、私だけ?
ソルは一人で祖父や母たちの愛に囲まれていたのに、セレーナが父をほんの少し独り占めするのは悪いことなのだろうか。
「セレーナは悪くないだろ? 父様が、セレーナを連れ出した。セレーナがそんなことを今までしたことがあるか? 」
「あるよ。セレーナはソルにいじわるだもん」
「セレーナは意地悪なんてしないだろ? セレーナはソルのために注意しているだけだ。なぜそれを理解しない」
「だって、だって、ソルは悪いことなんてしてないもん」
セレーナだったら一度言われたら折れてしまうことを、ソルは意地でも曲げない。
だから、ソルは公爵に注意されるといつも最後まで言い返して、公爵を本気で怒らせる。
「だって、だって、ソルはセレーナに誘って欲しかったの。ソルは誘うのに、セレーナは誘ってくれない」
──嘘つき
セレーナはソルの言い分を冷めた目で聞いていた。
ソルのいつもの可愛いわがまま。
大人たちはそのわがままを全部許す。
けれど、それはセレーナには決して許されないもの。
ソルは自分を誘う。
いや都合のいい時にしか誘わない。
けれど無邪気なソルはそれに自覚はない。
分かっている。分かっているけど、セレーナばかりが気を使うことが、今はとても腹立たしかった。
「ソルはセレーナといつも一緒じゃなきゃダメなんだよ? 」
ソルはお姉さん気取りでセレーナに言った。
セレーナの中で何かがプツンと切れた。
──私はいつも一緒なんていやだ
自分はソルと一緒でないといけない事に、何か違和感を感じていた。
それが何かはっきりと分からなかったが、今は、それが鎖のように思えた。
双子として勝手に括られ、何事でも求められる“一緒”。
見えない鎖がセレーナから自由を奪っている。
「もう、私も遊びたかったのに。あ、そうだ、この前見つけたお店をお父様に教えてあげる」
ソルも久しぶりの父にはしゃいでいるようで、セレーナに一言言って満足した彼女は公爵の手を引っ張った。
「ソル、話は終わっていないぞ」
「もういいの! それは後で」
「ソル、いい加減に──」
セレーナから公爵が離れていく。
ソルが勝手に連れて行こうとする。
ソルにはたくさんの人がいるのにと、セレーナはぐつぐつと腹の中に湧いてくる感情に耐えることができなかった。
「私は、ソルと一緒にいたくないっ! 」
気づいたらセレーナはそう叫んでいた。
叫んで、セレーナは我に返る。
ソルも公爵も驚いた顔でこちらを振り返っていた。
──やってしまった・・・
セレーナはそう思うと、その場にいることなんてできなかった。
「セレーナ! 待ちなさい! 」
慌てる父の声が聞こえた。
けれど、セレーナは足を止めることなんてできなくて、ひたすらその場から逃げた。
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