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第2章
赤い顔の僕ら
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店に入って席に着くと、彼女は慣れた様子でコーヒーとサンドイッチを注文した。
「あ、じゃあ僕も同じサンドイッチ。と、あとカフェオレ」
「かしこまりました」
注文が通った瞬間、僕の向かいでメニューに目を落としていた彼女は、ばっと勢いよく顔を上げた。
僕が見ると、どこか驚いたような顔で彼女は固まっていた。
僕、何か変なことを言ってしまっただろうか?
「コーヒーは、頼まないんですね?」
店員が見えなくなってから、彼女は内緒話でもするかのように言った。
「え? うん。僕カフェオレが好きだから」
「そ、そうですか」
しゅん、としたように視線を落とす彼女。
そこで、ああそうか、と僕は合点がいった。
そういえばここへ来る前に、この店はコーヒーが美味しいのだと彼女が言っていた。だからこそ彼女はここを選んだのだと。
コーヒーを勧められておきながら、あっさりとそれを無視する僕。忘れていたとはいえ、なんて嫌な男なのだろう。
これだから僕は友達ができないのかもしれない。
変な空気のまま時間だけが過ぎて、やがてテーブルの上には注文の品がそろった。
「それじゃ、食べましょうか」
久方ぶりに彼女が口を開いて、僕は頷いた。
後ろめたさを感じながら、僕はカフェオレに口を付ける。しかし意識は向かいのコーヒーカップに集中していたので、味はほとんどわからなかった。
そんな僕の視線に気づいたのか、
「……あの。一口飲みます?」
出し抜けに彼女がそんなことを言ったので、僕はカフェオレを噴き出しそうになった。
「い、いいの?」
これは、いわゆる間接キスというものになるのではないか。
緊張する僕の心境には気づかない様子で、彼女はコーヒーカップを僕の方へと押し出した。どうぞ、という意味だろう。
どうやら彼女はこういったことをあまり気にしないらしい。
僕は一人心臓をバクバクさせながら、勧められるままにコーヒーを啜った。
「美味しいでしょう?」
鈴の音のような声で、彼女が聞いた。
「う、うん」
正直、緊張のせいで味なんてほとんどわからなかった。
〇
それから、他愛もないことをあれこれと話した。
といっても、お互い持っている話題は少ないので、プロフィールを探り合うくらいでしかなかったのだけれど。
彼女――橘逢生は、僕と同じ大学に通う二年生で、サークルなどには所属していないようだった。実家住まいらしいが、両親はもういないので、祖父母と三人で暮らしているという。
「それで、守部さんは……」
「結人でいいよ」
僕がそう言うと、彼女はちょっと困ったような顔をした。
「え。でも……」
年上の人間を下の名前で呼ぶのに抵抗があるのか、迷うような素振りを見せる。
「僕も、逢生ちゃんって呼ぶからさ」
「……じゃあ、結人さん」
そう、小さく言った彼女は口元に手を当てて、ほんのりと頬を桜色に染めていた。
そんな女の子らしい反応に、僕はドキッとしてしまう。
まあ、お互いにもともと顔中が血まみれで、赤く染まってはいるのだけれど。
「結人さんは、何年生なんですか?」
「僕は四年だよ」
「じゃあ、就職活動は……」
「だめだった」
僕は過去形で言った。
けれど正確には、まだやろうと思えばいくらでもできる。一般の企業ならまだ募集している所はあるはずだ。
でも。
「僕、教師になりたかったんだ。だから教員採用試験を受けたんだけれど、ついこの間、不合格の通知があって」
そんな情けない結果を口にしながら、僕は自嘲するように笑った。
「……すみません」
と、彼女――逢生ちゃんは申し訳なさそうに言った。
「どうして謝るの?」
「失礼なことを聞いてしまったから」
デジャヴだった。
昨日もこうして同じようなやり取りをしたような気がする。
だから、僕はそれ以上はつっこまなかった。
昨日みたいに、「僕が勝手に話したのにどうして謝るの」なんてつっこめば、彼女ははまた居心地の悪い思いをしてしまうだろう。
僕が黙っていると、やがてサンドイッチを食べ終えた彼女は、
「私も、教師になりたかったんです」
と、呟くように言った。
「なりた、かった……? どうして過去形なの?」
不思議に思って、僕は尋ねた。
僕の場合なら、過去形で言ってもおかしくはない。すでに今年の試験は終了してしまったのだから。
けれど、彼女はこれからだ。まだ始まってもいない。彼女が試験に挑むのは、まだ二年も先のことなのに。
「私、教師になるのがずっと夢でした。父が、教師でしたから」
「そうなの?」
なんという偶然か。
実は僕の母親も、教師の仕事に就いていたのだ。
思わずその事実を伝えたくなったけれど、寸前で僕は思い留まった。
ここで水を差してしまうと、それ以上彼女の話を聞けなくなってしまう――そんな気がしたから。
「私、最初は……自分はただ教師になりたいだけだと思っていたんです。それが夢だからって。でも、違いました。私は、ただ教師になりたかったんじゃない。私は、教師になった姿を父に見せたかったんです。この世でたった一人の、私の味方である父に」
言いながら、彼女はどこか一点を見つめていた。視線はテーブルの上に注がれていたけれど、そこに焦点は合っていないように見えた。
「でも今年の夏、父が亡くなって……私の目標は消えてしまいました。もう、見せる相手がいませんから。生きる目的も、そこで失くしてしまったんです」
「だから、自殺するっていうの?」
僕が聞くと、彼女は一瞬だけ僕の顔を見上げた。
けれどすぐに視線を逸らして、
「いけませんか?」
と、消え入りそうな声で言った。
「うん。いけないと思う」
僕は素直な意見を口にした。
「確かに、君の目標は消えてしまったかもしれない。これ以上生きていても何の意味もないって、思ってしまうかもしれない。でも、君のお父さんはそうは思わないはずだよ。きっと君のお父さんは、君の夢を応援していたはずだ。教師になってほしいって。だから……今ここで君が死んでしまったら、それはお父さんのためにはならない。お父さんの気持ちを踏みにじって、君が自己満足するだけだよ」
と、勢いでそこまで言ってしまってから、僕はハッと我に返った。
向かいで僕の話しを聞いていた彼女は、斜めに視線を逸らしたまま、大きな瞳に涙を溜めていた。今にも零れ落ちてしまいそうなそれを、必死に堪えている。
「ごめん」
泣かせるつもりじゃなかった。
けれど、何と言っていいのかわからなくて。
「ちょっと、外に出ようか」
風に当たれば少しは気分転換になるかもしれない。食事も終わったし、ここに長居は無用だろう。
僕らは秋風の吹く街中へと、二人並んで出ていった。
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