6 / 50
第1章
邂逅
しおりを挟む◯
「うっ……ごほッ」
夕食の味噌汁を口に含んだ瞬間、喉が強張って大きくむせ返った。
危うくベッドを汚しそうになって慌てて口元を押さえる。
「っ……はあ」
何度か咳をした後、やっと落ち着いて深呼吸をする。
そうして恐る恐る口を開けて「あー」と声を出してみると、まるで風邪をひいたときのような掠れた音が漏れた。
(……ひどい声)
変わり果てた自らの声に失望し、羽丘雲雀は静かに溜め息を吐いた。
ここのところ、喉の異物感がどんどん大きくなっているような気がする。
ずっとイガイガして気持ちが悪い。
一度うがいをしようと、病室を出てトイレへ向かう。
蛍光灯に照らされた廊下はしんとして、あちこちの部屋から食器を動かす音だけが響いていた。
途中、自動販売機と長椅子が並べられた休憩所の横を通る。
この時間帯にはあまり人のいない場所だったが、そこに一人だけ、車椅子に乗った人物が手元のスマホをいじっている姿があった。
なんとなく珍しいものを見たような気がして、羽丘はその人物の顔を横目で眺めた。
痩せ型の、どこか覇気のない少年だった。
年は自分と同じくらいで、十代の半ばほどに見える。
あまり血色が良いとは言えない肌とは対照的に、艶のある黒髪だけがやけに美しい。
と、少年は羽丘の視線を感じ取ったのか、ふとスマホから目を離して顔を上げた。
互いの目が合い、ハッと気まずくなった羽丘は慌てて前を向き、足早にその場を立ち去ろうとする。
しかし、
「ねえ。あんた、昼間に中庭で歌ってた奴?」
不意打ちで投げかけられた少年の言葉に、羽丘は思わず足を止めた。
恐る恐る振り返ってみると、少年のどこか哀愁を帯びた瞳がこちらを見上げていた。
「……あなた、見てたの?」
「うん。何か揉めてたよね。看護師たちに連れ戻されてた」
「!」
言われて、気恥ずかしさからカッと顔面が熱くなる。
まさかそんなところまで見られていたなんて。
羽丘が何も返せずにいると、少年は淡々とした調子で続けた。
「身体、どっか悪いんでしょ。なんでそこまでして、あそこで歌ってたの?」
「なんでって……」
歌っていた理由。
そんなものは考えるまでもない。
けれど、
「別に、あなたには関係ないでしょ。私がどうしようと、私の勝手なんだから」
「まあ、そうなんだけど……。なんか、気になって」
「何がよ」
他人にプライベートの事情を説明する必要はない。
さっさと会話を切り上げて、羽丘は一刻も早くその場を立ち去りたかったが、表情の乏しいその少年は思いのほか饒舌に語りかけてくる。
「あのとき歌ってたあんたの顔、すごく穏やかだったからさ。なんでそんな風に、幸せそうに笑うことができるんだろう……って思って」
「……それ、馬鹿にしてる?」
一体どんな顔をしていたのか、自分では思い出せない。
けれど、なんとなく皮肉を言われているような気がして、警戒しながら軽く睨んでみると、
「いいや、馬鹿にはしてない。本当に、羨ましくなるぐらい幸せそうに見えたんだ。だから……そんな風に笑えるのって、なんか良いなって思って」
「……何それ」
褒められているのか、そうでないのか。
まるではっきりとしない自分への評価に、羽丘はどこかもどかしさのようなものを感じる。
「別に私じゃなくたって、歌を歌って楽しそうにしてる人なんかいくらでもいるでしょ。それこそ自分の趣味に浸ってるときに、嫌そうな顔をする人なんていないんじゃないの?」
「そうかな……。俺、趣味とかないから、よくわかんないや」
「あなた、趣味がないの? 好きなこととか、これだけは辞められないってものとか……一つぐらいはあるんじゃないの?」
長話をするつもりはなかったのに、つい反射的に聞いてしまった。
趣味を持たない人間なんて、余程のことをやり尽くした老人ぐらいだと思っていたし、何より、好きなものを持たないまま生きるなんて、自分には考えられない世界だったから。
「まあ、辞められないものなら一つだけあるよ。この足の怪我も、それのせいだし」
言いながら少年は、福木で固定された自らの足を見下ろした。
「それって、骨折? スポーツでもしてたの?」
「スポーツっていうか、度胸試し。橋の上から川に飛び込んだんだけど、ちょっと失敗してさ」
「飛び込んだ? 何それ、危ないじゃない。度胸試しって……そういうの、下手したら死んじゃうんじゃないの?」
ばっかみたい、と思わず非難してしまう。
好きでもないことに挑戦して、それで大怪我を負ったなんて笑い話にもならない。
「あなた、死にたいの?」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「なら、度胸試しなんてバカみたいな真似は今すぐやめることね。そんなことを続けてたって何の意味もないし、あなた、いつか死ぬわよ。たまにユーチューバーとかが話題集めのためにわざと危険なことをしてたりするけど、実際にそれで死んだ人もいるって話だし――」
「心配してくれてるの?」
「!」
聞かれて、ハッと我に返る。
なぜ自分が、こんな見ず知らずの少年を相手に真剣に話をしているのだろう。
「別に、心配なんかしてないわよ。あなたがどうなろうと、私には何の関係もないんだからっ……」
そこまで言ったとき、思い出したように喉が絡んで、げほげほと激しく咳が出た。
そういえば今はうがいをするためにトイレに向かっていたところだったのだ。
「喉、大丈夫?」
「ほっといて!」
これ以上無意味な会話を続けたところで、時間の無駄でしかない。
ただでさえ、自分に残された時間はもう少ないというのに。
「とにかく! 好きでもないことに命を賭けるなんてバカらしいって言ってんの。それでも続けたいなら勝手にすればいいわ」
半ば吐き捨てるように言って、羽丘はその場を後にした。
0
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
神楽囃子の夜
紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。
年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。
四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる