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第2章
残された時間
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「やっぱりダメでしたかぁ……」
わかってはいたが残念という顔で、飛鳥は肩を落とした。
「うん……ごめん。結局、役に立てなくて」
「いっ、いえそんな! 烏丸さんが謝ることではありませんからっ」
不甲斐なさから烏丸が謝ると、飛鳥は慌てて首をぶんぶんと横に振った。
羽丘に癌の摘出手術を受けるよう説得すること――その試みは無残にも失敗に終わった。
その反省会、というわけでもないが、ひとまず烏丸の病室に戻った二人は、未だ雨の降る窓辺で肩を並べていた。
「なんだか巻き込んでしまってすみません……。初対面の人に、いきなり無理なお願いをしてしまって」
「いや。俺も俺で、あいつには手術を受けてほしいと思ってるからさ。他人事じゃないよ」
たとえ声を失うことになっても、羽丘に生きていてほしい――その思いは烏丸も同じだった。
無責任なことを言っているのかもしれない。
当人である羽丘が嫌だと言っているのに、その思いを無視してこちらの意見を押し付けるなんて。
生きてさえいれば何とかなる、なんて、当の彼女からすれば綺麗事でしかないだろう。
それでも、このまま彼女を見殺しにすることは烏丸にはできなかった。
「雲雀ちゃんのことは、うちの母もずっと心配しているんです。こちらがいくら言っても手術は受けないの一点張りで、時間だけが刻々と過ぎてしまって……。もう話にならないと、父はついに愛想を尽かせてしまって」
残された時間はもう長くない。
こうしている間にも、羽丘の体内では癌が転移を始めているかもしれないのだ。
「また明日、出直してきます。……あ、よかったら烏丸さんの連絡先を教えてもらえませんか? 何か進展があったら、私からもお伝えしますので」
互いの連絡先を交換した後、去り際に扉の角で膝を強打した飛鳥は、悶絶しながら部屋を出ていった。
それを見送った後、烏丸はベッドの上へ仰向けに倒れ込んだ。
静かに目を閉じ、雨の音に耳を澄ませる。
ゴロゴロと、遠くで雷が唸り声を上げていた。
これから、一体どうすればいいのだろう。
このまま何もしなければ、いずれ羽丘の病状は悪化して手遅れになってしまう。
かといって、無理やり彼女を説得しようとしても、結局は彼女の心を傷つけるだけかもしれない。
(こんなとき、つぐみさんだったら……)
雛沢ならば、どうしただろう。
常日頃から多くの子どもたちと接し、相手への理解を深めようとしてくれる彼女なら、自分の殻に閉じこもっている羽丘の心もうまく開かせてくれるのかもしれない。
烏丸は枕のそばに置いたスマホへ手を伸ばし、雛沢のいる施設の電話番号を探した。
そこへ掛ければ、彼女に繋がる。
彼女なら何か良いアドバイスをくれるかもしれない。
けれど。
――悪いけど、他を当たってほしいの。私にはきっとアドバイスなんてできないと思うから。
昨日の彼女のことがフラッシュバックし、烏丸は思わず手を止めた。
拒絶、だった。
彼女からあんな風に突き放されたのは初めてだった。
昨日の昼間、ここへ見舞いに来てくれた彼女は最初こそ笑っていたものの、烏丸が相談を持ち掛けた途端にまるで逃げるようにして帰ってしまった。
何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか。
あのときの彼女のことを思い出すと、怖くて電話が掛けられない。
またあんな風に拒絶されてしまったらと思うと、スマホを持つ手が勝手に震えてきてしまう。
なんで、どうして。
いつもなら笑って相談に乗ってくれるのに。
――だって、鷹取くんを選んだのは、あなたの方でしょう?
あれはどういう意味だったのだろう。
鷹取とは小学校からの付き合いだ。
それこそ出会った時期も雛沢と大差はない。
今までずっと一緒だったのに、なぜ今になって突然その話題を持ち出したのか。
釈然としない思いが胸の奥で渦を巻き、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
こんなことならいっそ何も考えられなくなるくらいに、危険な度胸試しにでも明け暮れていた方がいくらか気持ちも楽になるんじゃないか――なんて、つい良からぬ方へ思考が吸い寄せられそうになっていたそのとき。
窓の外が、強い光を放った。
「!」
二秒ほど遅れて、轟音が鳴り響く。
腹の底まで響くようなその音に、烏丸は反射的に上体を起こした。
雷だった。
おそらく近くに落ちたのだろう。
それまで静かだった室内も、至る所から「落ちた?」「落ちたな」などと声がする。
やがて地鳴りのような低音が止んだ後、まるで何事もなかったかのように戻ってきた雨の音を耳にしながら、烏丸はふと、ツバメの番のことを思い出した。
あのツバメは、今頃どうしているだろう。
こんな悪天候の中でも、巣作りのため、あるいはすでに生まれたかもしれない子どもを守るためにせっせと働いているのだろうか。
心配するとともに、不穏な想像が頭を過ぎる。
この大雨の中、もしも雷に打たれでもしたら。
もしも親鳥が突然いなくなってしまったら、残された子どもたちは一体どうなるのだろう。
まだ生きる術を知らない子どもたちは、黙って死を待つしかないのだろうか。
ベッドの上で耳を澄ませていても、ツバメたちの声は一向に聞こえない。
少しだけ窓を開けてみようかと、烏丸はベッドの上から窓の方へ手を伸ばす。
だが、その手が目的のものを掴むよりも先に、不意に後ろからやってきた大きな手が、烏丸の右肩を掴んだ。
「烏丸くん」
続けて聞き覚えのある男の声が届く。
いつのまにか、真後ろに人がいた。
そのことに今の今まで気づかなった烏丸は、驚いて声の主の方を振り返った。
見ると、ベッドの脇に、二十代半ばほどの痩せた男が立っていた。
ほんのりと垂れ下がった目の下にはクマがあり、年齢の割には妙に疲れた印象がある。
その男の顔を凝視しながら、烏丸は久方ぶりに、その男の名を口にした。
「鴨志田……――せんせい」
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