飛べない少年と窓辺の歌姫

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第2章

仮面

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 正直なところ、『先生』などとは呼びたくない相手だ。
 けれど教師と生徒という関係上、そう呼ばざるを得ない。

「やあ、久しぶりだね。怪我の調子はどうだい?」
「……何しに来たの」

 にこやかな笑みを顔面に貼り付けた鴨志田に対し、烏丸は普段以上の仏頂面で視線を逸らす。
 いつ見ても仮面としか思えないこの教師の愛想笑いが、烏丸は嫌いだった。

「何って、お見舞いに来たんだよ。また入院だって聞いたから心配で。ほら、授業のプリントも持って来たよ」
「今さらお見舞い? ちょっと遅いんじゃないの。もう入院からけっこう日が経ってるけど」

 おそらく本音では見舞いなど来たくはなかったのだろうが、担任教師という立場上、無視することはできなかったのだろう。
 それで退院ギリギリになる前に渋々ここへ来たと見える。

「別に来たくないなら無理して来なくてもよかったのに」

 烏丸がそっぽを向いたまま憎まれ口を叩くと、視界の外で鴨志田が笑ったまま唇を噛む気配がした。

「……橋の上から飛び降りたんだってね。あれほど駄目だって忠告したのに。どうして言うことを聞いてくれないのかな」

 若干、声のトーンが低くなった。
 仏の顔も三度というが、さすがにこいつの限界も近いのかもしれない。

 今までにも、この担任教師からは再三忠告を受けてきた。
 危ないことをしたらダメだよ、周りの迷惑になるようなことをしてはいけないよ、なんて、道徳の教科書にでも載っていそうなセリフを何度も浴びせられてきた。
 それこそ耳にタコができるほど言われてきたのだが、そのいずれも、烏丸の心には一度たりとも響くことはなかった。

 何を言われても、まるで芝居のセリフのようにしか聞こえない。
 実際、心にもないことを口にしているからそう聞こえるのだろう。
 少なくとも鴨志田はそういう男だ。

「別に、俺がどうしようと俺の勝手でしょ。あんたに命令される筋合いはないよ」
「君はそれでいいのかもしれないけれど、迷惑をかけられるのは周りの方なんだよ。君一人の問題じゃない」
「周りって……それはあんたが迷惑してるってだけでしょ。俺が問題を起こすことで、担任であるあんたの評価にも響く。それが嫌なだけでしょ」

 いついかなる時も、この担任は自分のことしか考えていない。
 君のためだ、君のことを思って言っているんだと聞こえの良いことばかり口にするけれど、その実、こいつは保身のことしか頭にない。
 それが透けて見えるから、余計に腹が立つのだ。
 いっそのこと素直に開き直ってくれた方がいくらか好感が持てるのに。

「悪いけど、あんたがいくら忠告したって無駄だよ。俺はあんたの要望に沿うつもりはない。もう面倒見切れないっていうなら上に相談でもしたら? それで停学くらいの処分ならそのうち――」

 そこまで言ったところで、不意に頭上に影がかかったことに気付く。

 ハッと顔を上げたときには、すでにこちらへ伸びていた鴨志田の手が、烏丸の両肩を勢いよく掴んだ。
 そのまま力づくで後ろに押し倒され、烏丸の身体はベッドの上へ仰向けに縫い付けられた。

「いい加減にしろよ!!」

 怒号が降ってきた。

 烏丸の上へ覆い被さった鴨志田が、獣のような咆哮を上げた。
 いつもは弱々しく垂れ下がっている二つの瞳が、今は般若のごとき形相で烏丸を見下ろしていた。

「頼むから面倒なことは起こさないでくれよ。迷惑なんだよ!!」

 周囲の目を度外視して、彼は部屋中に響き渡る声で絶叫した。

 豹変した彼を目の当たりにして、さすがの烏丸も言葉を失う。
 いい年をした大人が、まさかこんな吹っ切れ方をするとは予想していなかった。

 だが同時に、やっと本性を現したな、とも思った。
 いつものように不気味な仮面を見せつけられているよりかは、こうして思いの丈をぶつけられた方が互いに清々するというものだ。

「本当に、なんでっ……お前といい、鷹取といい、どうして俺の邪魔ばかりするんだよ……!」

 今にも泣きそうな目で、歪んだ笑みを口元に浮かべたまま、鴨志田は掠れた声で訴える。

「もういい加減にしてくれよ。いつもいつも、人を嘲笑うようなことばかりしやがって。本当に、何なんだよお前らは……」

 別に嘲笑うつもりはなく、そもそもこの男に対して特別な興味もない。
 だが、この男からすればこちらの存在は思っていたよりも大きなものだったらしい。

 男に掴まれたままの両肩が痛む。
 そろそろ振り払った方がいいか――と烏丸が上体を起こそうとすると、鴨志田は急に手の力を緩め、怒りに吊り上げていた目尻をゆっくりと下ろして言った。

「……ああでも、そうか。そうだよなぁ。お前みたいな奴には、面倒を見る側の人間の気持ちなんてわからないよなぁ」

 心底哀れなものを見るような目で、男は少年を見下ろしていた。

「もともと親がいないんだから。身近にそういう人間がいないまま育ったんだから、仕方ないよなぁ……!」

 その言葉を耳にした瞬間。
 それまでされるがままだった烏丸は、カッと頭に血が昇るのを感じた。

 反射的に、目の前の男の胸ぐらを掴む。

「てめえ……!」

 感情の向くまま、右の拳を振り上げた。
 至近距離から男のあごを狙おうとした、その刹那。

「はぁい、そこまで! 回診のお時間ですよぉ~」

 その場に似つかわしくない間延びした声。

 途端に我に返った烏丸と鴨志田は、同時に声の出所へ目をやった。

 ベッドの脇には丸眼鏡を掛けた若い看護師――百舌谷ことりが、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

「ほらほらぁ、診察の邪魔ですよ。面会の方は速やかにご退室願いまぁーす」

 
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