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第3章
窓辺の歌姫
しおりを挟む今やすっかり傷の癒えた足で靴を履き、烏丸は立ち上がった。
「それじゃ、行ってくるよ。鳴子さん」
「また雲雀ちゃんのお墓参り?」
玄関まで見送りに来た鳴子が聞く。
「うん。今日は月命日だから」
羽丘が息を引き取ってから、すでに半年が経っていた。
季節は秋から冬へと近づき、肌に当たる風は日に日に冷たくなっている。
あれから、色々なことがあった。
世界が目まぐるしく変化して、全てが一瞬のように過ぎ去っていった。
鷹取はあの後、高校を辞めた。
母親が亡くなって、施設に戻るか親戚が引き取るかという話になったが、彼はどちらも選ばなかった。
独り立ちしたい、というのが当人の意思だった。
就職して、自分だけの力で生きていけるようになりたいのだと。
鷹取が高校を去った後、担任の鴨志田は休職するようになった。
体調不良という名目だったが、おそらくは精神的な理由だろう。
もともとメンタルが弱そうだと言われ続けていたこともあり、クラスメイトの誰もがそう噂していた。
今は別の教師が代わりを務めている。
「ねえ、翔」
烏丸が玄関の扉を開けようとしたとき、躊躇いがちに、背後から鳴子が引き留めた。
「あのね、ずっと言おうかどうか迷ってたんだけど……。あなたさえ良ければ、本当のお母さんに会ってみたくはない?」
「え?」
思いがけない申し出に、烏丸は目を丸くした。
「もちろん、捜し出すのは難しいと思うわ。でも、可能性はゼロじゃないと思うの」
そう言って、鳴子は微笑んだ。
けれど、胸元で握り締められたその両手は、わずかに震えていた。
今の言葉を発するのに、一体どれだけの葛藤があったのだろう。
きっと本当は、そんな後押しなんてしたくなかったはずだ。
烏丸は少しだけ考えた後、再び鳴子の方を向き直って言った。
「いいよ、遠慮しとく。別に興味ないし。それに俺には、鳴子さんがいるから」
最後のセリフだけは、ちょっと照れ臭かった。
だから言い終えるなり、鳴子の反応も待てないまま、烏丸は逃げるようにして玄関の扉を開けた。
今、背後で鳴子がどんな顔をしているかわからない。
驚いた顔をしているだろうか。
できれば笑っていてほしいなと思う。
そして、どうせこれだけ気恥ずかしい思いをしたのならと、烏丸は前々からずっと言えなかった言葉を、ここぞとばかりに口にした。
「いってきます、母さん」
雨上がりの空はまだ、そのほとんどが雲で覆われていた。
けれど所々にある隙間から、太陽の光が白いカーテンのように降り注いでいる。
その下を烏丸は歩きながら、どこか遠くで鳥が囀るのを聞いた。
ヒバリだ。
忙しなく鳴いているその声ははっきりと聞こえるのに、姿はどこにも見当たらない。
ただ美しい声だけを、空全体に響かせている。
それがやけに耳に心地良かったので、せっかくだから今日は、羽丘の墓がある霊園まで歩いて行こうと思った。
途中、例の病院の前を通りかかった。
ちょうど敷地から救急車が出ていくのを見送りながら、今ごろあの丸眼鏡の看護師はどうしているだろうと考えた。
相変わらず、また誰かの死を観察しているのだろうか。
彼女には結局、最後に借りを作ってしまった。
礼をしなければとは思うものの、あの意地の悪い顔を思い出すと、つい躊躇してしまう。
本音を言えば、もう二度と会いたくはなかった。
もし次にまた入院する機会があるならそのときは、別の病院の世話になりたい。
さらに道を進むと、今度は児童養護施設が見えてきた。
今でも時々、雛沢はどうしているだろうかと考える。
もう結婚式は挙げたのだろうか。
お腹の赤ちゃんは大きくなっているだろうか。
彼女のことを思い出す度、未だにちくりと胸が痛む。
未練がないわけじゃない。
けれど、できれば彼女には幸せになってほしいと、それだけは心の底から願っていた。
羽丘の墓前には、今日も先客がいた。
「あっ、烏丸さん! やっぱり来てくださったんですね!」
その明るい声と共に、両手いっぱいの仏花を抱えてこちらを振り返ったのは飛鳥だった。
彼女は細身のパンツが似合う長い脚を踏み出して、こちらへ駆け寄ろうとした──その瞬間。
「あっ……わ、わっ!?」
何もない所で、なぜか盛大に躓く。
そのまま勢いよく顔面からダイブし、腕いっぱいに抱えていた花たちは無惨にも、彼女の下敷きになった。
「……雲雀ちゃん、また呆れてるでしょうねぇ」
言いながら、飛鳥はやけに平らになった花たちを墓前に供える。
そうして烏丸と二人、肩を並べて静かに手を合わせた。
「ほんと、相変わらずだね」
「たはは……お恥ずかしい限りです。いつもお見苦しいところばかりお見せして」
「いや、逆になんだか安心したよ。最近、色んなことがありすぎて、周りの変化に置いてきぼりを食らってたからさ」
「? そうですか?」
飛鳥が小首を傾げていると、そこへ突如、どこからか短い通知音のようなものが届いた。
どうやら飛鳥のスマホかららしい。
霊園の静けさの中で、その音はやけに大きく辺りに響いた。
「あっ。雲雀ちゃんの動画、またリツイートされてる」
「雲雀の動画?」
飛鳥の呟きに、烏丸が反応した。
「入院中に撮っていた動画です。ほら、声は小さいけど、幸せそうに歌っているでしょう?」
スマホで再生されたその動画に、烏丸は釘付けになった。
「……いつ、撮ってたの? こんなの」
そこにはまだ元気だった頃の羽丘がいた。
あの病室の窓際のベッドに座って、今その瞬間の幸せを噛み締めるように、満ち足りた笑みを浮かべて歌っている。
「同じ病室の、隣のベッドにいた方のお孫さんが撮ってくれたんです。雲雀ちゃんは、私がカメラを向けても撮らせてくれませんでしたけど、隣の方とは仲良くしていましたから」
そういえば以前、飛鳥は患者の誰かからいつもお菓子を貰っていた。
その相手だろうか、と烏丸は推測する。
「とっても良く撮れていましたから、お孫さんにお願いして、動画を投稿させてもらったんです。雲雀ちゃんの歌と笑顔を、もっとたくさんの人に見てほしくて。……あっ、またリツイート!」
ピロン、ピロン、と通知音は連続で鳴る。
それは段々と間隔を狭め、どんどん速くなっていく。
音の数があまりに多いので、烏丸と飛鳥は思わずお互いの顔を見合わせた。
「これってもしかして、インフルエンサーか誰かが拡散してくれてる、とか?」
「あっ。この人、本人証明のマークが付いてます。外国の方みたいですけど、えっと名前は……」
Lemmy Butler──レミー・バトラーと書いてある。
「レミー・バトラー!?」
半ば絶叫するような二人の声が重なった。
羽丘が生涯ずっと憧れていた伝説の歌手が、彼女の歌を讃えていたのだ。
「え、うそ。ほんとに……? 夢じゃないですよね?」
「すごいよ、雲雀。あんたの声が……届いたんだ」
なおも通知音は鳴り続ける。
その一つ一つが、羽丘の歌に心を揺さぶられた人々の証だった。
その日、羽丘は一躍時の人となった。
病に冒されながらも最後まで歌い続けた少女は、その愛らしい容姿と病床で歌う姿から、親しみを込めてこう呼ばれた。
『窓辺の歌姫』と。
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最後までお読みいただきありがとうございます!
百舌谷の性格は倫理的にはちょっとアウトですけど キャラ的には動かしやすくて自分でも結構気に入っていましたw
感動したと言っていただけて嬉しいです…!
素敵な感想ありがとうございます💓