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第三章 若月涼
黄泉の国
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それから、一体どれほど眠っていたのか。
川のせせらぎが遠くに聞こえて、僕は目を覚ました。
「おっ。やっと起きたか寝坊助」
靄のかかる薄暗い景色の中で、最初に見えたのは右京さんの顔だった。
彼は近くの石に腰かけたまま、こちらの様子を窺っていた。
「右京さ……」
その名を呼びかけたところで、僕は躊躇した。
右京さん、などと馴れ馴れしく呼んで良いのだろうか。
先ほどの親戚たちの反応を見る限り、右京さんは白神家の中でも偉い立場にいる人のようだった。
僕のような分家の人間が、軽々しく『さん』付けで呼ぶのは失礼に当たるかもしれない。
僕は恐る恐る上体を起こしながら、
「えっと……『ギルバート様』」
親戚たちの真似をして、そう呼んだ。
ギルバート、という名前の由来はよくわからないけれど、皆がそう呼んでいたのだから何か意味があるんだろう。
硬くなる僕の態度を見て、右京さんはどこか可笑しそうに笑った。
「いいよ。右京でいい。あと敬語もいらない。俺様、堅苦しいのは嫌いなんだよねえ」
「でも……」
「いいの、いいの。俺自身がそうしてほしいんだからさ」
その申し出に、僕は戸惑いながらも「はあ」と了承した。
「でもあの、あなたは一体……。それに、ここは?」
改めて、僕は辺りを見回した。
周囲は霧が立ち込めていて視界が悪い。
どこかで川の流れる音がするけれど、それ以外には目印になるようなものは何も見当たらなかった。
今が昼だか夜だかもわからない。
「ここは、あの世とこの世の境……ってとこかねえ」
「あの世? って……僕らは死んじゃったの?」
右京さんの言葉に、僕は背筋が冷やりとした。
けれど右京さんは、そんな僕の不安を吹き飛ばすようにからからと笑って言った。
「いやいや、まだ死んだってわけじゃない。ちょっとこっち側の世界に迷い込んだだけで、すぐに帰れるさ。もともと出雲は死の国と隣り合わせだって、昔からよく言うしねえ」
「はあ……」
出雲の地には、あの世への入口がある――という言い伝えを、僕も確かに聞いたことがあった。
けれどそれはあくまでも迷信で、本気にしたことはない。
「だーいじょうぶだって。この俺様がついてるんだから心配すんな。結ちゃんの魂だって、そこらへんを捜せばすぐに見つかるだろ」
そう軽い口調で右京さんが言って、
「! そうだ、結ちゃん……!」
僕はやっと、一番大切なことを思い出した。
「結ちゃんを早く見つけてあげなきゃ。きっと今ごろ、ひとりで怖い思いをしてるよ……!」
あの暗い奥の部屋で、首を吊っていた結ちゃん。
彼女は僕に対して、「一緒にいこう」と言っていた。
「まあまあ、落ち着けって。焦るとロクなことにならないぞ。そりゃ、愛しの結ちゃんのことが心配でたまらないってのもわかるけどさ」
僕の気を落ち着かせるためか、右京さんはおどけたように言う。
焦るとロクなことはない――頭ではわかっているけれど、僕は逸る気持ちを抑えることができない。
特に、結ちゃんのこととなればなおさら。
「……約束したんだ、結ちゃんと。僕たちはずっと一緒だって」
脳裏で、彼女の顔が蘇る。
泣き腫らした顔。
寂しそうな、けれど僕に向けられるのはささやかな微笑だった。
――まだ帰りたくないなぁ。まだ涼くんと一緒にいたいよ。
記憶の中で、彼女は言う。
――家に帰っても、私の居場所はないの。お父さんはきっと、私のことが嫌いだから。
その言葉は、僕にとっては他人事だと思えなかった。
僕も同じだ。
本当はずっと前から気づいている。
僕の母もきっと、僕のことを嫌っているということを……。
――涼くんだけは、私の味方でいてくれる……よね?
少しだけ自信がなさそうに、彼女は聞いた。
僕は迷いなく答える。
――うん。味方だよ。ずっと……結ちゃんのそばにいる。
「ずっと一緒、ねえ。そりゃあお熱いことで」
そんな右京さんの声で、僕は我に返った。
彼は「うーん」と何かを考えるようにアゴを撫でながら、
「けどさっきの結ちゃんの様子だと、ありゃあ何か悪いモノに憑りつかれている可能性もある。連れて帰ろうにも、そう簡単に了承してもらえるかねえ?」
「悪いモノって、祟り神のこと?」
僕は身構えた。
「だろうねえ。祟り神は心の闇から生まれるもんだ。結ちゃんぐらいの仕打ちを受ければ、いつ祟り神が生まれても不思議じゃない」
「……どうして結ちゃんばっかり、そんな目に遭わなきゃいけないの? どうして祟りなんか起こるの?」
心につかえていた疑問が、堰を切ったように口から溢れる。
「祟りって、天罰なんでしょ? 何か悪いことをしたり、約束を破ったりしたときに起こるものなんでしょ? 結ちゃんが一体何をしたっていうの? どうして結ちゃんだけが……――ううん、結ちゃんだけじゃない。どうして僕らの……白神家の血を引く人間だけが、祟りに遭わなきゃいけないの?」
溜まっていたものを吐き出すように、僕は低い声で続けた。
なんだか泣きそうだ。
順序立てて話す余裕なんかない。
「他の家の子とか、学校にいるみんなは、誰も祟りに遭ったことなんかないって言うんだ。クラスの中には万引きをするような悪い子だっているのに、その子も祟り神なんか見たことがないって」
「まあ、俺たちの家は特殊だからねえ……」
「特殊って何? どうして僕たちの家だけが特殊なの?」
右京さんの声を遮って、僕はまくし立てた。
「お母さんも、伯父さんも、何も教えてくれないんだ。どうして白神家に祟りが起こるのかって。何か理由があるんでしょ? 右京さんなら――本家の人なら知ってるんじゃないの?」
「知りたいか?」
そう聞かれて、僕はやっと声を止めた。
「知りたいなら、俺と一緒に本家に来るといい」
右京さんの声は冷静だった。
「お前がその気なら、全部教えてやる。本家に来れば、お前の抱いている疑問はすべて解決できるはずだ。結ちゃんを根本から救う手立てだって見つかるかもしれない」
「結ちゃんを助けることができるの? それなら僕は――」
「ただ、覚悟しておけよ」
右京さんは忠告した。
「本家に来るということはつまり、祟りと常に関わりを持つということだ。途中で怖くなって逃げ出しても、祟り神はどこまでもお前に憑いてくるだろう。その危険性も十分に理解しておいてほしい」
まるで脅しのようなその忠告に、僕はつい返事に詰まった。
祟りや祟り神と関わりを持つ危険性――それはつまり、下手をすれば命を落としかねないということを意味する。
「まっ、今日中に考えておいてよ。何なら結ちゃんと一緒に、俺が本家に連れてってやるからさ」
そう言った右京さんの声色は、すでに普段の飄々としたものに戻っていた。
「さあて。そんじゃ、そろそろ結ちゃんの捜索といきますかね」
どっこらしょ、と彼は腰を上げる。
「でも、こんな深い霧の中をどうやって……」
「念じればいい。そうすれば結ちゃんも応えてくれるだろ」
「念じる?」
「結ちゃんとの思い出を、胸の内で振り返ってみるんだ。そうすれば、お前の念に引っ張られた結ちゃんの魂がこっちに来てくれるかもしれない。だから思い出すんだ。二人で一緒に訪れた場所とか、思い入れのあるものとか、何でもいいから」
言われて、最初に頭に浮かんだのは出雲大社のことだった。
あの境内で、結ちゃんと二人でよくかくれんぼをした覚えがある。
それを思い出したとき、不意に目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。
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