突然ファーストキスを奪った先生からいきなり溺愛されているんですが

清見こうじ

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波瀾含みの講習会が気がつけば無事に終わりそうなのはやっぱりフラグなんですか?

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 週が明けて。


 水曜日、いよいよ講習会の日になった。

 原則水曜日は、5時間授業なので(他の日は6時間)早く放課後になるから、毎日部活がないところもこの日に活動することが多い。

 茶道部も、他の日は各自でお稽古したり、時にはおしゃべりで終わってしまうこともあるけど、水曜日だけは予定を組んで活動している。

「本日はよろしくお願いいたします」

 同窓会館の作法室に行く前に、控え室としてお借りした小会議室にお師匠さまを案内して。

 遠藤先輩が部長としてご挨拶し。

「あの、もしかしたら講習会の最中に理事長がおいでになるかもしれませんが」
「はい。茶朋さんから聞いていますよ。何でも新しい方に交代されて、色々厳しい方だとか。皆さんが困らないよう、失礼のないようにご協力させていただきますね」

 ふんわり微笑むお師匠さまに、遠藤先輩もほっとしたように表情を和らげる。

「じきに顧問の教員も参りますので、しばらくこちらでお待ち下さい」

 そう言い残して、遠藤先輩は準備のため2階の作法室に向かう。

 私はお師匠さまのお相手と、千野先生の紹介のために部屋に残っている。

「顧問の先生とおっしゃると、この間の男の子のお兄様、でしたよね?」

「はい。実は今、うちのお店にお茶菓子を持ちに行って下さっていて……」

 本当はお姉ちゃんが届けてくれることになっていたんだけど、今日、急に体調を崩してしまい。

 折り悪く、大きな注文が急に入って、届けられる人がいなくなってしまい。

 今日はお菓子を受け取るためにスマホの持ち込み許可をもらってあったけど、連絡が来てビックリしちゃった。
 備えあれば患いなし、とは言うけど、普段は元気なお姉ちゃんなのに、心配だな。

『色々便宜を図ってもらっているのはこっちだから、こんな時ぐらいお手伝いするよ』と、千野先生自らお菓子の受け取りに出向いてくれたんだ。
 
 私が取りに行くって言ったら、時間がもったいないし、5時間目に授業もないからって、同僚の先生に車を借りて。

 そろそろ戻って来ると思うけど。

 お母さんにもし問い質されたら、お師匠さまと同じく彼氏のリクのお兄さん、って言い訳するって言ってたけど……大丈夫かな?

「遅くなりました。お待たせいたしました」

 ヤキモキしながら待っていると、先生が会議室に顔を出す。

「お帰りなさい。ありがとうございました。あの、こちらが……」

「お初にお目にかかります。茶道部の顧問をしております、千野と申します。この度は、不躾なお願いをいたしまして恐縮です。お引き受けいただきましてありがとうございました」

 脇の長机に荷物を置くと、サービス全開! というくらい甘い爽やかな笑顔で、千野先生は挨拶の口上を述べる。
 お師匠さまも自己紹介して。

「こちらこそ、お役に立てるよう誠心誠意お手伝いさせていただきますわ。……そちらは、今日の?」

 柔らかく微笑んだあと、お師匠さまは千野先生が持ち込んだ荷物……うちのお店の名前とロゴが入ったプラスチックのケースに目をやる。

「ええ。お店で見せてもらいましたが、なかなか素晴らしいですよ。説明も承って来ました」
 
 千野先生が、ケースを開けると、2種類の上生菓子が並んでいた。

 2種類あるので、2回お稽古をすることも可能だけど、今日は一緒にいただくことになると思う。

「これは、薔薇の練り切りと、……唐衣? にしては、赤みが強いですね」

 さすがお師匠さま、一発で意匠を言い当てる。

 丸く成型した淡いピンクの練り切りに切れ込みを入れた『薔薇』。今日は主菓子が2種あるので小さめに拵えてある。


 もう1種類は。


 薄く伸ばした白い求肥餅を花びらに見立てて折り畳んだお菓子。中の餡が透けて見える。
 かきつばたを模した『唐衣』なら、それは薄紫なんだけど。

 今日用意されたものは、濃いピンク色。

「ええ。僕もそう思いました。秀さん……この菓子を拵えた職人さんに『食べたらわかる』と謎かけされてしまいまして。答えは、こちらだそうです」

 先生は胸ポケットから、封書を取り出す。

「せっかくなので、おすすめ通り、食べてから確認したいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「そうですね。先に答えを見てしまうのは野暮というものですね。お楽しみにしておきましょう」

 二人とも私に確認しようとしないのは……まあ、見事に性格把握されているってことなんだよね。

 どうせ顔に出るから、教えてもらってないって。

 まあ、その通りだけど、さ。


 一足先にお菓子を持って2階に上がる先生を見送って。

「本当に、よく似ているわね。お兄さんは、逆に年よりお若く見えるけど」
「そうですね」

 はい、同一人物なので。
 なんて、口に出せないし、でもちょっと挙動不審に目を逸らしてしまった。

「あら、照れてるの? そう言えば、彼もこの学校の生徒さんなのよね?」
「あ、いえ、実は、違うんです。別の……男子校で」

 念のため、リクが本当に通っていた高校も教えてもらってある。近くはないけど、通学圏内の名門男子校。

「そうなの、あそこの……そうね、桜女の生徒さんのご兄弟がよく通われているものね」

 学校名だけで、お師匠さまは、妙に納得されていて。

 まあ、なれそめとか訊かれたらボロが出そうなのでよかったけど。

 

 時間を見計らって、お師匠さまを作法室にご案内する。

 風炉にはすでにお湯が沸き、微かに湯気が見える。

 広間に並べられた座布団には緊張気味の1年生がもじもじ座って待っていた。

 緊張と、あと、正座のせいかな?
 
「今日は初めてですし、まずは一通り見ていただきますね」

 少しだけ基礎を学んでいる1年生にとって、お師匠さまの所作をじっくり見せていただくのは、何よりの勉強になると思う。

 流れるような優雅なお師匠さまの所作を目にすることは、私達が口で説明するより何倍もの説得力で、1年生に強い印象を与えたみたい。

 茶道具の扱い方ひとつ取っても、指先まで神経を巡らして、なのにふんわり柔らかく。

 お湯を汲む柄杓を扱う手首の返しも滑らかで、まるで舞を見ているみたい。

 きっと次からは、個々に基礎を教えてもらって、時には他の人の指導を見学する見とり稽古をするようになるとは思うけど、今日見せていただいたお師匠さまの所作がきっと目標になると思う。

 今日は情報過多にならないように、お点前だけお手本を見せて、あとはリラックスしてお菓子とお茶をいただくことになっている。

 とはいえ、お師匠さまに点てていただいたお薄だと思うと、つい背筋が伸びて、敬虔な気持ちでいただくようになる。

 きっと遠藤先輩や高村先輩も同じ気持ちだったんだろう。真剣な眼差しで茶碗を扱う所作は、キリッとして、とても美しかった。

「そんなに緊張しないでね。茶の湯の真髄は、自然体です。何よりも楽しむ気持ちが大切ですよ」

 お師匠さまはそうおっしゃるけど、指先まで行き届いた美しさを、『自然体』で表せるようになるには、まだまだ道が遠いです。

「今日は、中沢さんのお店の職人さんも、皆さんに楽しんでいただこうと、何かお楽しみを仕掛けていらっしゃるのですって。まずは謎解きをしてみましょう」

 そう言ってちょっと意味ありげに微笑むお師匠さま。
 こんな顔をすると可愛らしくて、つい私も笑ってしまう。

「ひとつは、『薔薇』の練り切りで……。こちらは?」

「一見、『唐衣』……かきつばたなんですが」

 赤みの強い餡が、きっと秘密の正体なんだと思うけど。

「これは……苺ジャム……じゃなくて? あ」

 口に入れた瞬間、酸味が広がる。苺よりは酸っぱい、ラズベリー? でも、その酸味は、すぐに甘さに替わり。
 
「薔薇のジャム?」

 ラズベリージャムを練り込んだ白餡をさらにラズベリージャムで包み、それを求肥餅で包んである。

 さらに、中心に仕込んであるのは、薔薇のジャムだ。

 口に入れた瞬間の酸味を甘味で和らげたところに、ほどけるように薔薇の香りが広がる。

 『薔薇』の練り切りは、見た目は薔薇を模しているけど、シンプルでオーソドックスな味わい。

 一方のこちらは。

「形はシンプルに、花弁の風情だけを写し取って、味わいは濃厚だけど爽やか。まさかの『薔薇』づくしだな。ラズベリーという合わせ技も意表をついていて……」

 うっとりと千野先生が語り始める。

 これはかなりツボったみたい。放っておくと話が止まらなくなりそうなので、お師匠さまが点てて下さったお薄を運び、皆から見えないように睨むと、ハッとして口をつぐむ。そうして恭しく茶碗を口に運ぶ。

「そう言えば、お手紙にはなんと書かれていたのですか?」

 お師匠さまが問いかけると、千野先生は胸ポケットから、封書を出して開封し。

「『新入部員の皆様と、それを迎える先輩方、これからの未来が花咲けるものになりますように、薔薇の花束をお贈りします。最初は大変かも知れませんが、励んでいけば甘い成果が待っていることでしょう。お稽古頑張って下さい』と。2種の『薔薇』を並べて花束に見立てて、さらに、メッセージを込めるなんて、イケメン過ぎるな」

「本当に。やはり若い職人さんだけあって、新鮮な感覚をお持ちね。味も素晴らしいわ」

 お師匠さまも感嘆して誉めて下さった。

「それを聞いたら喜びます。きっと」
 
 そのあと、お師匠さまの点てて下さったお薄をいただき、和やかに談笑が続く。

 お師匠さまが、茶道について優しく解説してくださり、1年生達もだんだんリラックスしてきた。

 穏やかな時間が過ぎ去り、講習会はそろそろ終わりの時間が近付き。


 RRRRRR……。


 内線電話の音が鳴り響いた。

 ビクッとして、千野先生が部屋の隅に早足で移動し電話に出る。

 短いやり取りをしたあと、無言で振り返り。

 私も無言でうなづく。

 理事長がいらっしゃったんだ。

 念のため、同窓会館の事務の方にお願いしておいたので、知らせて下さったんだ。

 千野先生が一階に降りていき。

 遠藤先輩が再び緊張してきた1年生をなだめて。

「大丈夫よ。いつも通り、自然体で」

 お師匠さまの微笑みが、心強い。

 それから、茶菓子や茶道具を整えて、理事長の来訪を待っていると。

「やあ、お邪魔するよ。活動中悪いね」

 艶やかなバリトンボイスが響く。

 ……今まで間近で見たことがなかったけど、理事長って、イケメン、ていうかイケオジ?

 ロマンスグレーというには、まだ若いと思う。
 
 スラリとした、この年代ではわりと身長も高くて、整った顔立ちで。

 イギリス紳士ってイメージ。
 
 ティーカップ片手に紅茶を嗜んでいそうだけど、千野先生情報では和菓子好きだっていうし。

「よろしよければ、ご一緒に一服いかがですか?」

 予定どおり、お誘いの口上を述べて。

「あ……ああ、それは嬉しいな。えっと、君は」

 理事長は一瞬真顔で息を飲み、でもすぐに笑顔になって、そう答えた。

「2年生の中沢と申します」
「ああ、和菓子屋の。いつも便宜を図ってもらっているそうだね。ありがとう」

 まさか、お礼を言われると思わなかった。

 はにかんだようなその顔は、少しだけ子供っぽくて、和菓子好きって聞いたせいかな? 何だか千野先生に似ている。

 見ると、隣にいた千野先生も驚いた顔をしている。

「どうぞお座り下さい」

 動揺を何とか押し込めて、席を勧める。

 それから、お師匠さまに向き直る、と。

「……先生?」

 真っ青な顔で、お師匠さまがうつむいていた。

「先生?」

 再び声をかけると、お師匠さまは顔を上げて。お茶を点てようとして、抹茶のはいった棗に手を伸ばし……誤って倒してしまう。

 幸い、蓋は空かず、お師匠さまは慌てて棗を手に取るけど。

 その手が、震えている。

「ゆりえ……?」

 由利恵ゆりえ。それは、お師匠さまの下の名前。

 その声は。

「ゆりえ、なのか? お前、生きて……」

 耳に嬉しいバリトンボイスが、震えていた。

 目を伏せたままのお師匠さまを、じっと見つめる、理事長。




 その後ろで、千野先生が……リクが、目を見開き、硬直していた。
 
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