愛を見失った彼と、愛を求める彼女のランデブー

綿柾澄香

文字の大きさ
12 / 13
第二話 彼女の物語

6、私の幸福な時間は

しおりを挟む
 その日から数日、結局彼は私をこの部屋から出すこともなく、ただパネルに向かい合いながら、ずっとなんらかの操作をおこなっていた。その間、彼は一度も私に語りかけてくれることはなかった。

 ――ああ、やっぱり私の思いは彼には伝わらなかったのだろうか。

 けれども。

『ここからキミを出すための準備が整った。これで、キミは自由だ』

 と、不意に彼は言った。

 なんだ、彼は私の思いを受け取っていないわけではなかったのか、と胸を撫で下ろす。

 どうやら、ここから私を出すためには、それなりの算段が必要だったようだ。よかった。ようやく外に出られる。そして、外に出られたのならば、彼と直接会話ができる。私の声を届けることができる。

『これからキミは、たったひとりで数年間の宇宙の旅をすることになるのだけれども、その間の孤独は我慢してほしい。実はこの建物自体が宇宙船なんだ。だから、キミはそのまま部屋の中にいてくれればいい』

 なのに、彼のその言葉に私は自分の耳を疑った。

 数年間の宇宙の旅? 孤独は我慢してほしい? この建物自体が宇宙船?

 彼の言っている意味がまったく理解できなかった。彼はいったい何を言っているのだろうか。私をこの部屋から出すだけの話じゃないのか。どうしてそんな簡単なことをするのに、数年間の宇宙の旅や孤独を経験しなければいけないのか。

 彼は、一度も私の顔を見ようともしない。

『キミの世話をするAIも搭載したし、本や映画の娯楽も、多く装備しておいた。それで暇は十分に潰せると思う。そうして数年をやり過ごせば、キミはあちらにたどり着ける。愛を求め続ける人類のもとへと』

 と、そこまで彼が言ったのを聞いて、ようやく私は理解した。

 彼は、私を宇宙の遥か彼方へと行った人類たちのもとへと送り出そうとしているのだ。彼が訊ねた『ここから出たいか?』の質問は“この部屋から出たいか?”ではなく“この惑星ほしを出たいか?”だったのだ。この地球上に存在する愛を見失った人類たちから離れ、愛を求め続ける人類たちのもとへと行きたいか、と彼は訊ねたのだ。

 ああ、なんて大きな齟齬そごなのだろう。私たちはもっとわかり合えていたと思ったのに。私たちは、ここから出たいか、という単純な言葉の意味でさえ共通理解を得てはいなかったのだ。

『キミが求めるものは、きっとあちら側にあるんだろう。そこで、キミはここでは得ることのできない幸福を得ることができるはずだ』

 なんて、彼はあまりに的外れなことを言う。

「私の幸福はそんなところにありはしない。私が求めるのは、ここにいる、貴方なのです」

 もちろん、私の声は届かない。それどころか、私のほうを見向きもしない彼は、私がこんなにも必死で語りかけていることにさえ気づかない。

『キミの幸運を祈っている。遥か彼方でキミが幸福になってくれるのならば、ここでの仕事を放棄した僕も報われる』

 いや、違う。遥か彼方に私の幸福なんてありはしない。彼が今、この部屋を開いて私の言葉をただ一言聞けば、すべては間違いだとわかるのに。

『むこうにはきっと、こんな無機質な地球上にはいないような、容姿も、人格も、才能も持ち合わせている、まばゆく輝くような人間が五万といるはずだ。キミならば、むこうでそんな人と出会い、幸せになることがきっとできるんだろう。それを、僕も望んでいる。さあ、行っておいで』



「いいえ、違う……違うのです。そんなものはいりません。私は、貴方がいいのです。貴方より眉目秀麗びもくしゅうれいな殿方も、貴方より優しい紳士も、貴方より才能に溢れた御仁も、それらすべてを有している人も、私はいらない。そんな、出会ったこともない彼方で輝く一等星なんかに興味はないのです。宇宙の彼方にいるという、愛を求め続ける人たちが私になにを与えてくれたというのですか。彼らは、私の存在にすら気付いていないというのに。

 けれども、貴方は違う。貴方だけが、私に笑みを向けてくれた。なにも与えられることのない人生だったけれども、そんな私に貴方だけが与えてくれたのです。私はここで、この場所で私に微笑みかけてくれた貴方を好きに……愛したのです。私が幸福を得られる場所は天上天下てんじょうてんげに唯一この場所だけなのです。お願いだから……」

 彼は自らの間違いに気付かない。
 私の幸福はここにあるというのに。

『……ああ、せめて最後にキミの声を聞きたかったな』

 彼のその言葉に、視界が滲む。小さな熱が頬を伝う。

『きっと、僕はキミを好きだったんだ』

 ――ああ、なんて不器用なヒト。

 ただその衝動に身を任せてここを開けば、彼はに触れることが出来るというのに。

 彼は未だ、その役割に縛られている。それを投げ捨てることが出来たのならば、彼はもっと自由で。もっと自身の幸せを手に出来たはずなのだ。

 私と彼の幸福はこの薄いガラス一枚さえ打ち破ることが出来ずにいる。

 私の好きな人が私を好きだという夢のような奇跡も、こんな状況下で知らされたんじゃこの上ない悲劇だ。

『なるべく椅子に座っておいたほうがいい。これからこの宇宙船は少し、揺れるからね』

「……お願いだから、貴方の側に」

 当然、私の声は彼に届かないし、彼は相変わらず私の顔を見ようともしない。

「ねえ、このままもう永遠に会うことができないのなら、せめて私の顔を見て。私の顔をその眼に刻んで。焼き付けて」

 もうこのまま彼と再会することがないのなら、せめて彼に私のことを覚えていて欲しい。

「ねえ、お願い……」

 もはや声は震えて、うまく言葉を紡ぎ出せない。

「……お願いだから」

 最後にせめて貴方の顔だけでも私に見せて、と言おうとしたけれども、それは音にならずに掠れてしまう。

 そうして、結局彼は一度も私の顔を見ることもなく振り返り、部屋を出ていった。それからしばらくして部屋がガタガタと揺れ始める。いや、この部屋ではない。この建物自体が揺れているのだ。まもなくこの建物は……この宇宙船は打ち上げられる。

 私だけを乗せて。

 見たこともない遥か彼方をゆく同胞たちの元へと向かう。けれどもその旅路に、希望なんてない。その先に、私の望むものなんてない。その果てに、幸福なんてありはしない。

 私は唯一、私が求める人がいるこの楽園を離れ、ただ、なにもない虚空へと向かうのだ。

 轟音とともに、強力な負荷が身体にかかる。床に押し付けられた身体は、動かすことなんてできない。床に伏せたままの姿勢での私の慟哭どうこくは、その轟音にかき消される。その状態が数分間続いた後に、浮遊感が全身を覆った。

 どうやら、大気圏を抜けたらしい。

 ――ああ、もう引き返せないところにまで来てしまったんだ。

 と、涙はいつものように頬を伝わず、球体となって空間に浮かぶ。

 エンジンの轟音は止み、まばたきの音さえもわずらわしい静謐せいひつが襲ってくる。

 この広大な宇宙空間に、たった一人の孤独。その不安に押しつぶされそうになりながら、私は膝を抱えて、丸くなって浮遊する。

 地球が、彼が離れていく。
 短かった私の幸福な時間は終わりを告げる。

『こんにちは。この先からは、私が貴方のお世話をさせていただきます』

 AIの平坦な声が船内に響いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

処理中です...