それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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6、レオナルド・マクスウェル

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 図書室で昼休みの時間を潰すのはアリサの習慣だった。

 ただ、図書室で本を読む、というわけではない。もちろん、本を読むこともあるのだけれども、それは気紛れのようなもので、アリサがここに来る理由は、どちらかといえば、年中適正な温度に保たれているその教室の快適性にある。大抵、アリサはこの図書室内の机に突っ伏している。ロンドンでの事件があるのに関わらず、今日もこうして机に頬をつけることができているのは、その身に大きな危機が迫っているようには思えないからだ。

 もしかしたら、魔女というものが世の中に認知されようとも、自らの生活はそう変わらないかもしれない。そもそも、人の目の前で魔法を行使するか、自分から名乗り出ない限りは、魔女であることなんてバレはしないんじゃないか、とさえ思えてきている。

「お、今日も相変わらずぐうたらしてるな」

 と、快適な昼休みライフを妨害してきたのは、レオナルド・マクスウェルだった。

 マクスウェルは久島高校の化学教師だ。イギリス出身で、英語を母国語としているけれども、英語教師ではない。英語はもちろん、日本語も流暢(ただし関西弁)だけれども、それ以上に化学が得意ということで、化学教師をしているのだという。わざわざ日本に来てまで化学教師をしている理由は、日本のアニメが好きだから、という噂があるけれども、真偽は不明。いつもラフな格好で、気さくで誰に対しても明るいため、友達感覚で接することができる。と、生徒たちからは人気もある。アリサも、化学の授業は彼から教わっている。

「ああ、どうも、マックス先生。何か用ですか?」

 と、アリサは机の上の両腕にあごを乗せたまま、視線だけをマクスウェルに向ける。

「いやあ、たまたま見かけたから声を掛けただけやで。ほら、今は図書室には図書委員とキミしかいてへんし」


 そう言われて、アリサは周りを見回す。確かに、図書委員と自分しかいない。最初にこの図書室に来たときにはあと二人ほどいたはずだけれども、いつの間にか出ていたらしい。

「マックスはここに何しに?」

「ん? ここにはマンガもあるからね。息抜きにたまに来るねん」

「ああ、もしかしてあの噂本当だったの?」

「あの噂?」

「マックスは日本のアニメが好きで、アニメを見るために日本に来てまで化学教師をしてるって噂」

「へえ、そんな噂があったんか。うーん、まあ、ほとんど合ってるけど……正確には、日本のアニメを見るために日本に来たわけやなくて、日本のアニメを見て、ロボットを作りたくなったから、科学者になったんや。で、その研究をさらに深めるために日本に来る必要性があったねん。まあ、僕が目指す方向性のロボット工学は日本が一番進んどるからね。で、今はこうして化学教師をしながら、研究を進めとるって感じやな」

「じゃあ、別にアニメを見るためだけに日本に来たわけじゃないんだ」

「ははは。まあ、まったく見いひんわけやないけどね。せっかく日本に来てるし、見たいもんは見てるかな」

「なんだ、じゃあやっぱり噂は合ってるようなものじゃない」

「ま、そうかもなー」

 そう言って、マクスウェルはマンガの並んでいる本棚の前に立つ。あごに右手を当てて、真剣な眼差しで。その風貌は、はたから見れば確かに科学者そのものに見える。ただし、その科学者が今頭を悩ませているのは、これから読むマンガをどれにするか、という問題なのだけれども。

 と、そこで不意にマクスウェルがイギリス出身だったことを思い出したアリサは、例の事件について、どう思っているのか訊ねてみることにした。自分の母国で魔女が暴れているという事態は、少なくとも日本人であるアリサや鮎瀬なんかよりはよっぽど危機感があるかもしれない。

 図書室で大きな声を出すわけにもいかないから、アリサは突っ伏していた机から上体を起こし、マクスウェルの隣に立つ。

「ねえ、マックス」

「ん、なに?」

 なんて言いながらも、マクスウェルは本棚から目を離さない。きょろきょろと目だけを動かしながら、マンガを物色している。

「あのさ、今イギリスのロンドンで事件が起きてるじゃない?」

 と、アリサが言っても、マクスウェルは本棚を見つめたまま。ただし、せわしなく動き回っていた眼球の動きは止まった。

「事件っていうのは、魔女の?」

「そう、それ。マックスはさ、あの事件、どう思う?」

「うーん、やっぱり悲しいよね。僕、大学はロンドンの大学に通ってたし、ニュースで流れる街並みは見たことある景色ばっかりやし」

「魔女のことは嫌い?」

「さあ、どうやろ。よくわからんなぁ。そりゃ、多くの人を殺しているあの魔女のことは許されへんけど、でも、魔法っていう未知の力には、正直興味はある。何がエネルギー源として作用し、どんな仕組みで発動してるのか。もしかしたら、それを応用すれば、人類の科学はより劇的に進歩するかもしれん、とか。かなり惹ひかれるもんがあるっていうのは間違いないな。まあ、科学者としてのさがやろうね」

 マクスウェルのその言葉に、アリサは少し、緊張する。魔女が捕らわれ、無機質な実験室に繋がれ、それを多くの白衣を着た人間が囲む映像が頭に浮かぶ。それは、アリサにとってはこの上なく悲劇的な光景だ。

 けれどもきっと、マクスウェルはこの光景までもイメージして言っているわけではないのだろう。本当に、ただ純粋に子供のような無邪気さで、その言葉を発しているだけに過ぎないのだ。そう思えば、アリサもマクスウェルを忌々しく思うこともない。

「それじゃあ、マックスが興味あるのは魔女というよりも、魔法そのもの、魔法の仕組みが科学的に気になるってこと?」

「まあ、端的に言えばそうやな」

「マンガやアニメが好きな割には意外とロマンがないんだね」

「まあ、僕はロボットアニメが本命やし、魔法少女ものはそこまでやわ」

「ああ、そう」

 その違いは、アリサにはよくわからない。

「まあ、ロンドンに帰れる日が来るといいなぁ、とは思うよね。このままじゃ故郷に帰られへんし」

 そう言って、少しだけ寂しそうな表情を見せて、マクスウェルは本棚から二冊のマンガを取り出す。

「そうだね」

 と、そんな言葉しか返せなくて、アリサは少し、顔を伏せる。

「そんな悲しそうな顔せんでもええよ。僕にとってはこの日本も第二の故郷みたいなもんやし、そこまで悲観してないから」

 それは彼の本心なのか、それとも心配を掛けまいとしたただの強がりなのか。もしかしたら、そんなに深く考えて放った言葉でもないのかもしれない。

「それでも、いつかロンドンに帰れるといいね」

「せやな」

「その時は私も連れてってよ」

「キミを?」

「そ。前々からロンドンに行ってみたかったんだよね。テムズ川とかアビーロードとか案内してよ」

「わかった。ええよ。お安い御用や。ただし、旅費は実費負担な」

「うっわ、ケチくさ。いいじゃん旅費くらい。出してよ、先生なんだから」

「はっは。実費で来るなら歓迎するよ」

 そう言って、マクスウェルは貸し出しの手続きをして、図書室を出ていく。その背中を見届けてから、アリサはため息をひとつ吐き出してから、再び机に突っ伏した。

 昼休みが終わるまで、あと少しだけこうしてロンドンの魔女について考えてみようと。
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