それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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5、とても素敵な価値観を持つ彼女

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 魔女の武装蜂起事件から一週間が経った。未だロンドンでの魔女と特殊部隊との衝突は続き、被害は広まり続けている。もちろん、被害は人間側の方ばかりで、不死である魔女側には死者は一人も出ていない。ビッグ・ベンやグリニッジ天文台は破壊され、ロンドン橋も落ちたらしい。もうすでにロンドンは陥落し、魔女に支配された、との噂もあるけれども、それが真実かどうかはわからない。遠く離れた日本では未だ実害はなく、実感はどうしても湧きづらい。魔法というものの存在は確かに認知されつつあるものの、未だそれはテレビの向こうの出来事で、身近な脅威だと感じている人はこの日本では少ない。アリサのクラスでも、もうすでに話題に上ることは少なくなっている。

 魔女であるアリサにはもう少し過ごし辛くなるような影響があると思っていたのだけれども、今のところ、まったくと言って良いほどに影響はない。

 校内は今日も平和だ。

 昼休みのチャイムが鳴って、教室内が一気に華やぐ。クラスの男子が四、五人走り出す。購買のパンを買いに行ったのだろう。アリサはそんな無駄に元気な男子生徒を横目に、自動販売機へと向かう。紙パックのコーヒー牛乳を買って、本校舎と別館、体育館に囲まれた池の横に設置されたベンチに座る。このベンチが、いつもアリサが昼食をとる定位置だ。もう十月とはいえ、まだ日が強いのだけれども、ここは周りを校舎に囲まれているので、影ができているところもあって、暑くはない。風が吹けば少し寒いくらいだ。コーヒー牛乳にストローを通して口をつける。苦味はほとんどなく、甘みが強いこのメーカーのコーヒー牛乳が好きで、アリサはほとんど毎日このコーヒー牛乳を飲んでいる。口の中に甘い香りが広がったところで、ランチボックスを取り出して蓋を開ける。

「お、うまそうなサンドウィッチですなぁ」

 と、ランチボックスを覗き込むポニーテール。それは、アリサのクラスメイト、鮎瀬あゆせゆあだった。彼女は軽やかな手つきでアリサのランチボックスからサンドウィッチを一切れ掻っ攫う。

「あ、ちょっと」

 アリサが止める間もなく鮎瀬はサンドウィッチを口に頬張った。

「ん、いいねえ。ツナサンド。マヨネーズの比率が絶妙だよ」

「もう」

「いいじゃんいいじゃん、私のお弁当のから揚げ一個あげるからさ」

 そう言って、鮎瀬はアリサの隣に腰掛ける。

 鮎瀬ゆあはアリサと中学生の頃からずっと同じクラスだった。中学生の時から仲は良かったけれども、高校でも同じクラスになったときには思わず苦笑してしまった。そして、二年生になった今もやはり同じクラスだ。身長は少し低めで、よく笑う小動物のような女の子。髪を結うのが苦手だと言っていつもポニーテールで、そのポニーテールが揺れる度に柑橘系の香りが周囲にふわりと広がる。ソフトボール部に所属していて、一年中日に焼けている、まさにスポーツ少女だ。

「で、どうですかな、最近の状況は」

 と、薄い焼き色の卵焼きを頬張りながら鮎瀬は切り出す。なんてことのない、いつもの雑談。

「どうもこうも、変わりないよ。いつもと同じ」

「そ、ふうん。私も変わりないかな。まあ、いくら華の女子高生とはいえ、変化なんてそうあるもんでもないよね」

「普通が一番だよ」

 アリサはトマトサンドを、鮎瀬はふりかけのかかったご飯を頬張る。

 普通が一番とは言ったものの、けれどもそれはアリサの願望だったのかもしれない。魔女は、その存在自体が非日常だ。周囲に自らが魔女であることを隠しているとはいえ、魔女にとっては超常が日常であることに変わりはない。関わりたくもないトラブルに巻き込まれたり、人知れず敵と戦ったり、もしくは知らぬ間に世界を救っていたり、なんてことは日常茶飯事だ。

「ああ、そういえばさ、知ってる? 白石さん、また告白されたらしいよ」

 と、ご飯を飲み込んだ鮎瀬が口を開く。

「へえ。ま、白石さん、可愛いもんね」

「だよねぇ、羨ましい。あんだけ可愛けりゃモテ放題、男なんて選び放題、バラ色の高校生活を謳歌できること間違いなしでしょ」

「いやあ、ゆあだってよくよく見ればそこそこかわ……」

「おい、なぜ黙る」

「いや、失礼」

「なぜ謝る」

「スマン」

「おい」

「……」
「……」

 昼練をしている陸上部が五十メートルを走り抜ける間の空白。それから響くアリサと鮎瀬の笑い声。
 そうして一通りお腹を抱えた後に息を整えて鮎瀬が話し出す。

「アリサはさ、そういう男の子、いないの?」

「そういうって?」

「好きな子とか、アプローチを掛けてくる男の子とかいないの?」

「いないねぇ、まったく」

「そもそも、アリサって恋だとか愛に興味あるの?」

「どうだろう、わからない」

 それは、答えをはぐらかそうとしたわけではなく、本心から出た言葉だった。

 魔女に色恋沙汰はつきものだ。魔女が恋に落ちて魔法が使えなくなる、といった物語や伝承は決して珍しくはない。そして、そういった類の話はあながち的外れというわけでもない。なぜならそれは、魔女の性質に由来するものだからだ。

 魔女は、口づけをすると、魔法の力を失ってしまう。異性との口づけで魔女としての力は消え、同性と
の口づけならば、魔女の力はその相手に引き継がれる。魔女にとって、口づけとは特別なもので、それはすなわち、愛や恋といったものは魔女にとっても特別なものであるということなのではないか、とアリサは考えている。ならば、いずれ自分も行き当たる問題だ。前に拓光にこのことを話したときには、とても面白そうに頷いていた。確かにアリサは今、高校生だ。普通の女子高生ならば、愛だの恋だのについてもう少し考えるのかも知れない。けれども、今までずっと魔女として、魔女であるということを隠して生きてきて、そんなことまで考える余裕がなかった。だから、本当にそれが今の自分にとって大切なのか、わからないのだ。いや、本当は目を逸らしてきていただけなのかもしれない。

「ああ、なるほどね」

 わからないと言ったアリサの言葉を聞いて、鮎瀬は両手を叩く。

「なにが『なるほど』なの?」

「いやぁ、前々から思ってたんだよ。アリサって、その手の話題にノッてこないなぁって。でも、なんとなく今のでわかった。そもそも自分自身で興味があるかどうかもわかってないんじゃ、傍から見た私の目に、アリサが恋愛に興味があるように見えるはずがないもんね。でも、よかったよかった」

 と、鮎瀬はから揚げを口に放り込む。

「なにがよかったの?」

 と訊ねながら、アリサはツナサンドを一口かじる。

「興味がまったくないわけじゃないってこと」

 鮎瀬はそう言ってから口に入れていた揚げを飲み込む。

「うん、だからそう言ったんだけど」

 と言って、アリサはコーヒー牛乳を口に含む。

「興味がないわけじゃないのなら、いずれ恋をするかもしれない。興味がないのならば、そもそも恋には落ちないもの」

「で、私が恋に落ちたらどうなるのさ」

「私と恋バナができる」

「で?」

「女子高生っぽいじゃない。というか、恋バナをしてこその女子高生でしょ」

 鮎瀬はわりと真剣な眼差しでアリサを見ている。それを感じながら、アリサはツナサンドを頬張る。

「なるほどね。でも、恋バナがしたいのなら、ゆあが彼氏を作ればいいんじゃないの? ゆあのノロケ話を私が聞くっていうのも、立派な恋バナだよね。ゆあにはそういった男の子はいないの?」

 アリサの言葉に、鮎瀬はゆっくりと目を閉じる。

「残念ながら、いませんなぁ」

 と、なぜかしみじみと溢すように言う。まるでこたつの中でみかんの皮でもむきながら話すおばあちゃんのように。その表情はとても女子高生には見えない。

「なかなか女子高生っぽいことをするのにも前途多難そうだね」

「だね」

 それから、しばらくの無言。その間にふたりは昼食を食べ進める。今日は天気も心地よくて、お互いに何も言わなくても空気が軽やかなのがわかる。遠く離れたロンドンでは今もなお衝突が起きているのかもしれないだなんて、思えない。

「ねえ、ゆあは魔女についてどう思う?」

「魔女? ああ、ロンドンの?」

 それは少し、唐突な質問だったかもしれない。けれども、魔女という存在が明るみになった今だからこそ、自然に訊けることなのかもしれない。

「そう。ゆあはさ、魔女、怖いと思う?」

「そりゃあ、まあ、ね。得体の知れない力で暴れるものは何であれ、誰だって怖いでしょう。そもそも、魔女が本当に存在するだなんて、今でも信じられないよ。でも、本当に魔女は実在するんだよね。すごいなぁ……」

「すごい?」

「うん、だって、物語の中にしかいないと思っていた存在が本当に実在するなんて、すごくない? 人魚が実在した! 吸血鬼が実在した! シャーロック・ホームズが実在した! くらいの衝撃でしょ」

「まあ、そうかも」

 あまりに突飛な例えについ、アリサは苦笑してしまう。けれども、確かに魔女のことを知らなかった人たちから見れば、本当にそれくらいの衝撃なのかもしれない。

「それに、私は実在する魔女についてはあのロンドンで騒動を起こしている魔女しか知らない。だから、魔女自体が恐ろしいモノだっていうイメージは間違っているのかもしれない。彼女たちも、魔女同盟の組織の中から分裂したっていうし、その分裂したもう一方の魔女はもしかしたらいい魔女なのかもしれないしね。例えば、アメリカで銃の乱射事件があったとして、その犯人のことは怖いと思うかもしれないけれども、アメリカ人全員が怖い、悪い存在だとは思わないでしょう。彼女たちも、きっとそうだと思うの」

「ああ、それは確かに」

「地球に侵略してくる宇宙人は怖いかもしれないけれど、地球に来ていない、いい宇宙人だっているかもしれないし、呪ってくる幽霊は怖いけれども、ただ恋人に会いたい一心で化けた、いい幽霊だっているでしょう。きっと、そういうものなんだよ」

「そいうものか」

「そういうものだよ。だから、私が怖いのは魔女じゃなくて、ロンドンで事件を起こしているあの魔女、ってことだね。いい魔女がいるのなら、ぜひ会ってみたいくらいだよ」

 なんて言うその目の前に、本物の魔女がいる、ということには彼女は気付かない。とても素敵な価値観を持つ彼女になら、自分が魔女であることを伝えてしてしまってもいいかもしれない。と、一瞬魔が差しかけたものの、アリサは何とか堪えて、鮎瀬の背中を叩く。今はまだ、言うべき時じゃないはずだ。その時が次、いつ来るのかはわからないけれども。

 もしかしたら、そんな日は来ないのかもしれないけれど。

「いつかきっと、そのうちに会えるかもよ」

 と、それでもそう言って、アリサは立ち上がる。

 友人と魔女に関する話題で会話することができただけで、今日は大きな収穫だったといえる。それは、今までは絶対にできないことだったから。それに、鮎瀬が魔女という存在そのものに対して嫌悪を抱いているわけではないということも知れた。アリサにとってはそれだけで十分だった。

「どこ行くの?」

「図書室。また教室でね」

「そう、うん。それじゃあ、またね」

 お互いに手を振って、別れる。それから数歩歩いて、

「あ、から揚げもらうの忘れてたわ」

 と思い出したものの、別にそれほど重要なことではない。まあいっか。と、アリサは図書室へと向かう。
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