それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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9、青天の霹靂

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 青天せいてん霹靂へきれきとはこのことをいうのだろうか、とアリサはその場に立ち尽くした。

 いや、大抵の出来事は予告も無しに唐突に起きるものなのだから、青天の霹靂というものはそこかしこに在るのかもしれないけれども。

 けれども、この光景ばかりは想定することはできなかった。普通はこんなもの、想像することすらできないだろう。

 朝、アリサはいつものように目を覚まし、いつものように登校の準備を済ませ、いつものように通学路を歩いていた。そうして普段通りに登校して学校に着いたところで、学校の様子がいつもと違うことに気付いた。先生たちが慌てふためいて、色々なところに電話を掛けようとしていたのだ。けれども、その電話は繋がる気配もなく、余計に先生たちは混乱している。電話を握っていない先生たちも右往左往している。

 教室に入ると、鮎瀬が困ったような笑みを浮かべてアリサのもとに小走りで寄ってくる。

「どうしたの?」

 と訊ねるアリサに、鮎瀬は小さく肩をすくめて口を開く。

「わかんない。なんかね、秋馬市の外の人たちと連絡が取れないんだって。私も携帯で秋馬市の外の知り合いにさっきから連絡取ろうとしてるんだけど、ぜんぜん繋がらない」

「秋馬の外と? 停電……とか、じゃないよね」

 校内の電気は消えていない。ちゃんと教室内は明かりが照らされている。そもそも、停電だとしても携帯電話ならば停電とは関係なく外と連絡が取れるはずだ。携帯電話でさえ外と連絡が取れないだなんて、わけがわからない。

 授業が始まる気配もなく、教室内はただただ不安と疑問の声が行き交い、騒然としている。そんな中で誰が言ったのか、屋上に出てみろ、と声が聞こえて、教室内の生徒たちは教室を出ていく。アリサと鮎瀬も教室を出て、階段を上っていく。

 そして、屋上を出て視界に入った景色に、息をのんだ。

 街がぽっかりと浮かんでいたのだ。いや、切り取られている、という表現の方が正しいかもしれない。

 秋馬市が中心部から半径約五キロの円状に切り取られ、その端の部分は白い雲が流れ出るようになっていて、踏み出すことができなくなっている。そこから先は何も見えない。

「これは、いったい……」

 と呟いてはみたものの、こんな光景は現実にはあり得ない。夢か、魔法だ。いや、魔法ですら、こんな大規模な魔法は無いだろう。ならば、夢に違いない。と、アリサは自分の頬をつねってみたものの、見事に痛覚信号が脳を刺激し、これが夢ではないと認識する。

 ならば、これは。

「魔法……?」

 こんな大規模な魔法は見たことも聞いたこともない。確かに魔法は奇跡だ。けれども、こんなにも途方もない奇跡が起こるものなのか、と茫然とするアリサ。

 少し、めまいを覚える。脳裏にチラつく青い影。

 ――今の影には見覚えがある。

 けれども、今はそんなことを考えている場合ではない。きっと、ありえない光景を前にして、脳が混乱しているだけだ。

 とにかくこの街で何が起こっているのかを知らなければ。今は状況の把握だ。

 アリサは屋上の端に設置された手すりまで歩く。そして、その手すりを掴んで、なるべく遠くまで見渡す。掴んだ手すりが少し、冷たい。

 この現象が魔法の力だとするのならば、それはどんなタイプの魔法なのか、考える。街ひとつをまるまる、本当に物理的に持ち上げている、というのはさすがに無いだろう。それはあまりに途方もない奇跡だ。必要な魔力の量も想像を絶する。確かに魔法は奇跡だけれども、それでも限界はある。魔法で街ひとつを持ち上げる、なんてビジョンはアリサにはまったく浮かばない。

 ならば、街の人間全員に全く同じ現象を見せる幻覚系の魔法だろうか。この方法ならば、現実味はぐっと増す。街の端も、実はその先が見えないだけで、足を踏み出せば外に出られるのではないか。さすがに街中の人間全員に同じ幻覚を見せるには、莫大な魔力が必要なものの、物理的に街を持ち上げるよりはよっぽどマシだ。夢ではなく、魔法であるならば、これが一番現実的に思える。

 ただ、それだと外と連絡がつかない理由がわからない。ただの幻覚ならば、携帯の電波や電話線、インターネットにはなんの影響もないだろうし、連絡もできるはずだ。外から入って来られる人も居るはず。けれども、今のところそんな様子も見られない。ならば、何かほかの方法で街を切り取っているのだろうか。何かほかに、街が切り取られたように見える魔法はないか考えてみるものの、アリサにはもう他にはどんな手法も思い浮かばない。

 アリサにはもうひとつ、わからないことがある。

 どんな方法でこの街を切り取っているにせよ、その理由が見つからないのだ。こんなことをする動機が。いったい、なんの意図があってこんなことをするのだろうか。と、考えてみるものの、街ひとつを持ち上げよう、切り取ろう、だなんて考えたことも、想像もしたことのないアリサには当然、思い至るはずもない。ただ、今のこの状況がいつまでも続くというのはきっといいことではない、ということくらいはわかる。ならば、この事態を解決するためにはどうすればいいのだろうか、と考えてみるものの、まったく思いつきもしない。やはり、この街を切り取った本人に直接何らかのコンタクトをとるしか、方法はないのだろう。

 とにかく、起きている事態があまりにも規格外で、わからないこと、理解できないことが多すぎる。

 そもそも、この街を切り取った張本人はこの街の中にいるのだろうか。街の外から、切り取られた内側の慌てふためく人々を覗き見て笑っているのではないだろうか。もしそうならば、街の中にいる自分たちには手の出しようがない。

 アリサは遠くに見える街の淵を見てため息をつく。空を飛ぶ鳥は普段通りに見える。あの鳥たちも、街の外には出られないのだろうか。

「柏木さん、ちょっといいかな?」

 と、不意に声を掛けられて、アリサは振り返る。そこには、マクスウェルが立っていた。いつものように明るい表情を取り繕ってはいるものの、声色は少し硬い。こんな状況だし、仕方がないだろう。

「どうしたの、マックス?」

「うん、ちょっと話したいことがあってな。ここじゃちょっと人が多いし、化学準備室に来てくれへん?」

 そう言って、じゃ、先に行っとくから。と、マクスウェルは足早に去っていく。こんな時にいったい何の話があるというのだろうか。とは思うものの、今のこの現状で自分に出来ることなんてあるはずもなく、この屋上でなにもせず、ただ街を眺めて過ごすのも時間の無駄遣いだ。それに、先生に呼び出されたら素直に応じるくらいには、真面目な生徒であるつもりだと、アリサは自負している。

「どうしたの?」

 と、鮎瀬がアリサに訊ねる。

「ん、ちょっとマックスが話があるんだって」

「こんな時に?」

「それ、私も思った」

「何話すんだろうね」

「さあ。まあ、でもここでこうしていても仕方がないし、行ってみるよ」

「そう、それもそうだね。いってらっしゃい」

 鮎瀬は小さく手を振ってアリサを見送る。それに答えるようにしてアリサも小さく手を振ってから化学準備室に向かう。
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