それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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28、世界でいちばん素敵で切ないファーストキス

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 世界は意外と静かに平穏を取り戻した。

 拓光が青の魔女と口づけしたと同時に空から太陽は消え、月だけが残った。もはや遊園地の面影さえ残さず瓦礫の山と化していたふあふあランドは、崩壊する前の廃墟に戻っている。きっと、街の境界も消えて、もう外の街と通じるようになっているのだろう。

 月明かりの下、青の魔女はその場に座り込み、拓光を抱きかかえている。その腕の中の拓光はぐったりとして動かない。

 アリサは二人の元へと駆け寄る。

「桐宮くん!」

 と、呼びかけるものの、拓光からの返事はない。

「……ごめんなさい」

 青の魔女は、呟く。

 アリサは魔女を押しのけ、拓光を抱き寄せる。呼吸はなく、脈もない。

「桐宮くん、桐宮くん!」

 何度呼び掛けても、反応はない。

「ダメよ、もう彼は死んでしまっている」

 当然のように、残酷な事実を淡々と青の魔女は告げる。

「貴方が殺したんでしょう!?」

 アリサは青の魔女の胸ぐらをつかむ。青の魔女は意外と軽くて、その身体はあっさりとアリサに寄せられる。

 一度は拓光を助けることができたと思った。青の魔女が拓光に向けた攻撃をすべて防ぐことができたから。けれども、その後の拓光の行動までは予想ができていなかった。まさか、青の魔女と口づけをして、彼女を普通の人間に戻すことによって解決するだなんて。

「そうね、私が殺したも同然ね。私の魔力は少し強力すぎたから。強力すぎるが故に、私に触れれば、普通の人間ならば死んでしまう。それは彼も例外ではない」

 きっと、世界は救われたのだろう。拓光の命と引き換えに。けれども、そんな解決法をアリサは望んだわけではない。

 小さな熱が頬を伝う。それが涙だと気付いたのは、青の魔女に指摘されたからだ。

「泣かないで。まだ、終わっていない」

「なにを……もう、呼吸は止まってしまっているじゃない」

「貴方は魔女でしょう? なら、奇跡を信じなさい」

 そう言って、青の魔女は拓光の胸に触れる。そして目を閉じて、小さく笑う。淡い青の光が拓光を包み、そして拓光の体の中に染み入るように消える。

「……っはあ」

 拓光が息を吹き返す。

「桐宮くん!」

 意識はまだ戻っていない。けれども、呼吸は続き、脈もある。血色もみるみるよくなっていく。

「……貴方が拓光を生き返らせたの?」

「まあね。桐宮くんにキスされて、魔法の力を失いゆく中だったけれども、なんとか間に合ったみたい」

 そう言うと、魔女はその場にゆっくりと横たわる。

 その口調は、確かに自分のものと似ているかもしれない。と、アリサも思う。やっぱり、彼女は自分の未来なのだ。

 横たわる青の魔女は深く、ゆっくりと呼吸をしている。その表情は、なんだかとても満足げに見える。

「もしかして、初めからこの結末を貴方は知っていたの?」

「……そうね。この結末の為に、私はこの時代にまで帰ってきたんだもん」

 青の魔女の声はとても弱々しい。魔法の力を失った彼女はこれからいったいどうなるのだろうか。これから、普通の女の子として生きていくのか。それとも、八十万年以上生きてきた肉体の維持ができずに死んでしまうのか。横たわる魔女はとても儚げに見えて、後者である可能性が高いのだろう、とアリサはなんとなく思う。

「ロンドンでの事件も貴方が?」

 ふと、ロンドンで起きた魔女の事件はどうなのだろうかと、気になった。彼女が絡んでいるのだろうか。タイミング的にはそう考えるのが妥当だろう。彼女と出会ったその日にあの事件は起きたのだから。

「……ええ、そうね。あそこにはグリニッジ天文台があったから」

「グリニッジ天文台?」

「そう、この世界の時間の基準となるグリニッジ標準時を司る場所。経度0度、時の聖域。秋馬市を世界から、時間の流れから切り取るためには、まずはこの世界の“時間”というものの概念を曖昧にする必要性があった。時間というものの概念を不安定にすることによって、街の切り取りをよりやりやすくしたかったの。だから、魔女同盟に不信感を抱く魔女を焚きつけて武装蜂起を促した。それ自体はそう難しいことじゃなかったわ。だって、この時代のロンドンで武装蜂起が起こるという歴史を私は知っていたから」

 天文台はあくまで天文台で、時間そのものを操るようなものではない。けれども、ただ願うだけで行使することのできる魔法の世界において、概念というものは重要な要素だ。グリニッジ標準時の基準となるグリニッジ天文台は、時間そのものを取り扱う魔法においては、重要な施設となり得る。街を切り取る、という彼女の目的を成すためにはグリニッジ天文台の破壊は、有効的な手段といえるだろう。

 彼女の目的は天文台だった。

 ――いや、違う。彼女は初めからずっと言っていたじゃないか。目的は街そのものを切り取ることだと。ロンドンの事件は、そのための手段の一つに過ぎなかったのだ。

「でも、じゃあ貴方が自らの手で破壊すればよかったんじゃないの? そのほうが手っ取り早かったでしょう?」

「それじゃあ私の存在がすぐに露呈してしまうじゃない。魔女同盟側にも、科学者側にも。いくら私が莫大な魔力量を貯蔵していたとはいえ、街を切り取るのにはそれなりに時間が掛かるのよ。二つの勢力に目を付けられたら、この街を切り取るための障害になるかもしれない。だから、自分から動くことはできなかったのよ」

 なるほど。そう言われれば納得するしかない。

 けれども、じゃあなぜ彼女はそこまでして、こんな結末を迎えたのか。この結末があると知っていて、この時代に帰ってきたのか。

 そんなもの、考えるまでもない。

「貴方はこの時代で死ぬために、こんな大掛かりなことをしたのね」

 そう。九十万年近くを生き、死ぬこともできない彼女が絶望の果てに最後に求めたものは、死ぬことだったのだろう。

 青の魔女は小さく首を振る。

「さあ、どうだろう。この時代の秋馬市を切り取って永遠に保存する、っていうのも悪くはないのかな、とは思ってた。成功するのならば、それでもいい、と。でもまあ、この結末を知っていたからね。成功するはずがない、とわかってた」

「でも、それでよかったの?」

「なにが?」

「貴方ほどの魔法が使えるのなら、死に場所なんていくらでも選べたでしょう? よりにもよって、こんな山奥の遊園地の廃墟で、だなんて嫌じゃない。何十万年も生きた末の結末が、こんなもので貴方は納得できるの?」

 それは、とてつもない悲劇のように思えた。数十万年も生き、何十万年も苦しんできて、その結末が、廃墟での死だなんて、悲しすぎる。

 けれども、青の魔女は笑う。とても幸せそうに。

「納得できるに決まっているじゃない」

 と、迷いなく告げる。その言葉には一切の淀みもなかった。青の魔女は本心からこの結末に納得している。

「だって……」

 少し、照れるように頬を染め、魔女は言う。

「……だって、初めて好きになった人とのキスで最期を迎えられるのならば、それも悪くないでしょう?」

 と。

「え……ええぇぇぇ!?」

 その魔女の言葉に、アリサはひどく驚く。

「え、貴方、桐宮くんのことが好きなの?」

「ええ、そうよ。あら、貴方は違うの?」

 あっけらかんと、さも当然であるかのように青の魔女は答える。

「そりゃ、だって、まだ桐宮くんとの付き合いは短いし、悪い奴だとは思わないけど、好きっていうのとはまた違うと思うっていうか……」

「そう。まだ無自覚なのか、それとも本当は意識しているけど、目を逸らしているのか……まあ、どちらにせよ面倒くさいわね、貴方」

 と、青の魔女は笑う。

 バカにされているわけではない。けれども、なんだかとても恥ずかしくて、アリサは目を伏せてしまう。

 そんなアリサに、青の魔女はそっと言い聞かせるようにして話す。

 「これから先、あなたは多くの困難に遭遇するでしょう。精神は磨り減り、心は砕け、人さえも殺す。あなたのこれから先、数十万年と続いていく人生。それはどうしようもなく救いのないものです。

 ――それでも。

 それでも、その果てに待つ、この結末はそう悪くない。この結末が待っているのなら、あなたは生きていける。頑張っていける。そうでしょう?」

 それは、決して最高に幸せな人生だとはいえないものだろう。けれども、確かにこの結末は悪くない。男の子とのキスで締めくくるエンドロールは、まるで童話のようで、魔女の最期にふさわしいものかもしれない。

 それは私が知る限り、世界でいちばん素敵で切ないファーストキスだ。

 アリサは小さく頷く。

 それを見て、青の魔女はゆっくりと目を閉じる。その目尻から一筋の涙が零れる。そして再び目を開く。

「もう、行って。私はここでひとり、逝くから。自分自身の最期の瞬間なんて見たくないでしょう?」

「でも……」

「大丈夫、安心して。今の私はとても満ち足りているから」

 確かに、その表情はとても満足げに見える。そんな顔をして逝けるのなら、きっと彼女は幸せなのだろう。

「ああ、そうそう。ザ・ブックのことは、もういいわ。彼も、満足して逝ったから」

「そう……」

 今となっては遊園地は元の廃墟に戻ったものの、ずいぶんと派手に瓦礫が降ったりしていたし、もしかしたら、とは思っていた。ほんの短い間の出会いだったけれども、彼と別れの言葉を交わすことができなかったのは、少し、寂しい。ただ、青の魔女が言うように彼が満足して逝ったのならば、それは唯一の救いだ。

 アリサはそのまま立ち上がる。

「桐宮くんを連れていける?」

「ええ、大丈夫」

 女の子ひとりの力で、眠っている男の子を運ぶのは無理だろう。けれども、魔法を使えば、そんなことも可能になる。小石を持ち上げるのとはわけが違うけれども、それでも難しいわけじゃない。

 アリサはそっと拓光に触れようとする。

 するとその瞬間、拓光は目を開く。

 まだ魔法は使っていない。このタイミングで彼が目を覚ましたのはきっと、ただの偶然だろう。ちょうどよかった、とアリサは拓光に声を掛ける。

「大丈夫?」

 拓光は周囲を見回して、空を見上げる。その視界には、夜空が広がっている。山の上の遊園地の廃墟だからだろうか。街中よりも星がたくさん見える。

「月が、綺麗だ」

 アリサもつられて空を見る。確かに、今日は月が綺麗だ。けれども、今はそんなことは関係ない。どうやら、拓光はまだ状況をちゃんと把握できていないらしい。

「はやく、桐宮くんを連れて行ってあげなさい。もう、街は元に戻っているから。日常に帰りなさい」

 青の魔女のその言葉にアリサは頷いて、拓光の手を取る。

「桐宮くん、ついて来て」

 拓光は朦朧として足下がおぼつかないながらも、素直にアリサについて行く。

 青の魔女に、なにか別れの言葉をかけるべきか迷ったものの、これから消えゆく人にかけるべき言葉なんて、見つからない。きっと、言葉なんていらないのだろう。彼女はこの結末を受け入れているのだから。

 アリサは振り返らない。そんなアリサを見送って、青の魔女は天を仰ぐ。

 いや、今はもう魔法を失い、ただの人間になった。今の彼女は青の魔女ではなく、遥か数十万年を生きてきた、ただの柏木アリサだ。

 空には大きくて丸い月が浮かんでいる。
 こんなにも美しい月の浮かんでいる星空の下でならば。

「死んでもいいか」

 そう囁いて、柏木アリサは笑みを浮かべながらゆっくりと瞼を閉じた。
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