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それはお前ではない
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プリンスは重病であり、街中のホーフブルクを離れ郊外のシェーンブルン宮殿に移った、と、母が知らせてきたのは、そんな折のことだった。ウィーン郊外の離宮で、彼は、最期の日々を送っているという。
面会は限られた人にしか許されず、あの、マルモン元帥でさえ、追い払われたと、彼女は、書き添えていた。(マルモンは古くからのナポレオンの部下。最終的にナポレオンを裏切り、さらに七月革命でオーストリアに亡命してきていた。オーストリア宰相メッテルニヒは、ナポレオンの悪い所も教えるという条件で、彼とライヒシュタット公の定期的な面談を許した)
最初は信じられなかった。
あのプリンスが重病?
最後に会った時は、あんなに元気だったのに?
……シェーンブルンへ行かねば。
面会が叶わなくても、彼の近くにいようと、モーリツは思った。
もしかしたら、病床のプリンスから呼ばれることだって、あるかもしれない!
死の間近に迫った友のそばにいて、熱のある手を握ってやりたいと、モーリツは切実に願った。
思い立ったら、一刻もじっとしていられなかった。彼は荷造りを始めた。
そこへ、従僕が、父からの|単信ラインを持ってきた。
「
よもやと思うが、こちらへ帰って来ようとはしておるまいな?
プリンスはもう、長くはない。
母上のマリー・ルイーゼ様もお帰りになられ、母子の面会も果たされた。
今、プリンスは、静かに死を待っておられる。
よく考えろ、モーリツ。
お前が、皇族であられる彼の臨終の床に呼ばれることはない。
もし万が一、友人の一人が臨終の床に呼ばれるとしたら、残念ながら、それはお前ではない。プロケシュ少佐だ。
ウィーンへ帰ってきても無駄だ。お前は、プリンスに会わせては貰えない。メッテルニヒも、望んではいない。
」
……プロケシュ少佐。
それは、自他ともに認める、プリンスの親友だった。
モーリツに対するのと、プロケシュに向き合うのとでは、プリンスの態度には格段の差があった。
モーリツと一緒にいると、彼は気楽そうだった。だが、プロケシュへのプリンスの友情は、殆ど崇拝だった。
プリンスより16歳年上のプロケシュは、中東への赴任が長く、つい最近、帰国したばかりの少佐だ。彼はメッテルニヒの秘書官、ゲンツに目を掛けられ、その私塾に通っている。かつてプロケシュは、ナポレオンを擁護する本を書き、それがプリンスを虜にした。
一方、遊び人で有名な放蕩息子であるモーリツは、プリンスの前では、ナポレオンに関しては、なるべく触れないようにしてきた。
それは、年長の(プロケシュほどではないが)友としての、モーリツの思慮深さだった。ウィーンで、ナポレオンの話題を出すことは危険だった。どこにメッテルニヒのスパイがいるか、わかったものではない。
モーリツはモーリツなりに、プリンスの安全を考えて行動してきた。それが遊興であり、彼を街中へ連れ出すことだったのだ。
モーリツのそれは、風変わりな献身だった。
けれど、献身であることに変わりはない。心からの、そして彼にできる唯一の献身だった。
「モーリツ。出発するぞ」
その時ドアが開き、グスタフ・ナイペルクが、大股で入ってきた。
同じくイタリアに飛ばされたプリンスのもう一人の悪友、グスタフも、シェーンブルン宮殿へ、プリンスの病床へ向けて、モーリツと同道することになっていた。
部屋に入ってきたグスタフは、ろくに歩かないうちに、モーリツの鞄に、躓いた。大きな旅行鞄は、蓋を開いたまま、床の上に、放り出してある。グスタフは、顔を顰めた。
「何をしているんだ。早くしろ! 間に合わなかったら、許さないぞ!」
……「友人の一人が臨終の床に呼ばれるとしたら、それはお前ではない。プロケシュ少佐だ」
「僕は行かない」
ぽつんと、モーリツは答えた。
「なんだって?」
グスタフが胴間声で叫ぶ。
「僕は行かない。行けないんだ、グスタフ……」
モーリツは泣いていた。
憤然と、グスタフは外へ出ていった。
面会は限られた人にしか許されず、あの、マルモン元帥でさえ、追い払われたと、彼女は、書き添えていた。(マルモンは古くからのナポレオンの部下。最終的にナポレオンを裏切り、さらに七月革命でオーストリアに亡命してきていた。オーストリア宰相メッテルニヒは、ナポレオンの悪い所も教えるという条件で、彼とライヒシュタット公の定期的な面談を許した)
最初は信じられなかった。
あのプリンスが重病?
最後に会った時は、あんなに元気だったのに?
……シェーンブルンへ行かねば。
面会が叶わなくても、彼の近くにいようと、モーリツは思った。
もしかしたら、病床のプリンスから呼ばれることだって、あるかもしれない!
死の間近に迫った友のそばにいて、熱のある手を握ってやりたいと、モーリツは切実に願った。
思い立ったら、一刻もじっとしていられなかった。彼は荷造りを始めた。
そこへ、従僕が、父からの|単信ラインを持ってきた。
「
よもやと思うが、こちらへ帰って来ようとはしておるまいな?
プリンスはもう、長くはない。
母上のマリー・ルイーゼ様もお帰りになられ、母子の面会も果たされた。
今、プリンスは、静かに死を待っておられる。
よく考えろ、モーリツ。
お前が、皇族であられる彼の臨終の床に呼ばれることはない。
もし万が一、友人の一人が臨終の床に呼ばれるとしたら、残念ながら、それはお前ではない。プロケシュ少佐だ。
ウィーンへ帰ってきても無駄だ。お前は、プリンスに会わせては貰えない。メッテルニヒも、望んではいない。
」
……プロケシュ少佐。
それは、自他ともに認める、プリンスの親友だった。
モーリツに対するのと、プロケシュに向き合うのとでは、プリンスの態度には格段の差があった。
モーリツと一緒にいると、彼は気楽そうだった。だが、プロケシュへのプリンスの友情は、殆ど崇拝だった。
プリンスより16歳年上のプロケシュは、中東への赴任が長く、つい最近、帰国したばかりの少佐だ。彼はメッテルニヒの秘書官、ゲンツに目を掛けられ、その私塾に通っている。かつてプロケシュは、ナポレオンを擁護する本を書き、それがプリンスを虜にした。
一方、遊び人で有名な放蕩息子であるモーリツは、プリンスの前では、ナポレオンに関しては、なるべく触れないようにしてきた。
それは、年長の(プロケシュほどではないが)友としての、モーリツの思慮深さだった。ウィーンで、ナポレオンの話題を出すことは危険だった。どこにメッテルニヒのスパイがいるか、わかったものではない。
モーリツはモーリツなりに、プリンスの安全を考えて行動してきた。それが遊興であり、彼を街中へ連れ出すことだったのだ。
モーリツのそれは、風変わりな献身だった。
けれど、献身であることに変わりはない。心からの、そして彼にできる唯一の献身だった。
「モーリツ。出発するぞ」
その時ドアが開き、グスタフ・ナイペルクが、大股で入ってきた。
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部屋に入ってきたグスタフは、ろくに歩かないうちに、モーリツの鞄に、躓いた。大きな旅行鞄は、蓋を開いたまま、床の上に、放り出してある。グスタフは、顔を顰めた。
「何をしているんだ。早くしろ! 間に合わなかったら、許さないぞ!」
……「友人の一人が臨終の床に呼ばれるとしたら、それはお前ではない。プロケシュ少佐だ」
「僕は行かない」
ぽつんと、モーリツは答えた。
「なんだって?」
グスタフが胴間声で叫ぶ。
「僕は行かない。行けないんだ、グスタフ……」
モーリツは泣いていた。
憤然と、グスタフは外へ出ていった。
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