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慰めと幸せと

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 ライヒシュタット公の伝記を書かせるから、モントベール伯爵に協力せよとの、メッテルニヒからの命令を、プロケシュは、粛々として受け容れた。

 モントベールは、ライヒシュタット公の周囲の人から話を聞くことから、仕事を始めた。
 プロケシュが、モントベールの最初のインタヴューを受けたのは、8月19日のことだ。


 ……これは、ダメだ。
 型通りの質問に、プロケシュはすぐに直感した。
 ……これでは、プリンスの本当の魅力は、世の人に伝わらない。

 自分が、プリンスの伝記を書きたい。
 その思いはこの時、芽生えた。

 さらに、初めてのインタビューから1ヶ月後、モントベールが原稿の一部を見せてくれた時、自分が書きたいという気持ちは、さらに募った。
 プリンスの本当の姿どころか、プロケシュ自身の話した内容さえ、伝わっていなかったのだ。

 ……彼のことを、よく知ってほしい。魅力を。美しさを。偉大なる父への尊敬と愛情を!

 遂に、プロケシュは、ペンを取った。ディートリヒシュタインら、家庭教師達も、彼を支持してくれた。彼らは、モントベールの名を聞いた瞬間から、硬い殻に身を鎖した。なんといっても、ブルボンの遺臣(ライヒシュタット公の父、故ナポレオンには敵に当たる)である。当たり障りのないこと以外、口にする気はなかった。


 驚異的なスピードで、プロケシュは原稿を書き上げ、メッテルニヒに見せた。プロケシュは、モントベールのインタビューに応えている。後からクレームが入らないよう、メッテルニヒの許可が必要だと思ったのだ。

 それに、彼には、宰相に逆らう気はなかった。逆らえなかった。

 宰相からは、タイトルの指示と、内容の一部について、自分はそうは思わないという意見が来ただけで、問題なく、出版許可が下りた。


 “Lettre A M.***, Sur Le Duc de Reichstadt”(※ライヒシュタット公に関する手紙)と題された小冊子は、モントベールの本と同時に出版された。


 だが、プロケシュのこの本は、賛否両論、どちらかというと、否の方が大きかった。

 プロケシュには、不運が続いた。

 「君はしゃべり過ぎた!」
モントベールの本を読んだというディートリヒシュタインが、プロケシュの顔を見るなり、叱りつけてきた。
「よりによって、シャルル10世の遺臣に、なんてことを言うんだ!」

 プリンスは女性を知らないままで墓に入ったのだろう……
 その件に、元家庭教師は、激怒したらしい。

 なにしろプリンスは、あのナポレオンの息子だ。女性関係で悪い噂が立たないよう、プロケシュとしては気を使ったつもりだったのだが。

 深い失望が、プロケシュを襲った。
 暖かいイタリアから寒いウィーンに帰ってきたプロケシュは、失意もあって、体調を崩しがちになった。

 そんな中、彼は、慰めを結婚に求めた。長い間彼を待っていてくれたアイリーンは、優しい伴侶だった。

 年が明けると、エジプト赴任の内示が出た。単身赴任だ。これから先、軍で出世しようとするのなら、ぜひとも必要な過程だった。

 出発までの間、新婚の妻との時間を大切にしようと、プロケシュは心に決めた。
 ……。





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