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2章 発情への道
31 ミンガの薬師
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行きは、一晩かからずに走破した距離を、帰りは、2日かけて帰ってきた。勝利の報はすでに伝えてあるから、ゆっくりでも大丈夫、と、伝令は笑った。
いい兵士だった。
俺を、水を減らした水筒に入れて、慎重に運んでくれた。馬の扱いも、丁寧だった。お陰で、快適な旅を楽しめた。
誰かさんとは、大違いだ。
ゴドウィ河の上流まできた。満々と水をたたえた大河が、支流のキフル川と合流している。
伝令は、中央軍が駐屯しているキフル要塞へ向かう。
「本当にここでいいのかい? キフル要塞に行かなくても?」
水筒の水を河に空けながら、伝令が問う。
「いいんだ。俺は、ミンガへ行く」
つるりと水筒から河へ流れ出て、俺は答えた。
「ミンガ?」
「バーバリアンの山間部だよ」
「バーバリアンの……へえ」
「俺の故郷だ。いいところだよ」
バーバリアンでは、公子は、山間部のきれいな渓谷で、幼年期を過ごす。学齢期になったら、町まで出てきて、公立小学校に入学するのだ。
「今度遊びに来るといい」
「行くよ。戦争が終わったら」
河の中から手を振って、伝令と別れた。
*
河の畔に、古い薬屋がある。
オタマジャクシの頃から、世話になっている薬屋だ。
町に引っ越してからも、しばしば、ここを訪れた。薬師のユンは、俺のことをよく知っている。
「やあ、グルノイユ! 立派になったな。見違えたよ!」
「相変わらず、カエルの姿だけどね」
自嘲的に俺は答えた。
「今日来たのはね、ユン。君に相談があって」
「うん。なんでも話すといい」
いつものように頼もしく、ユンは答えた。
「あのね、ユン。俺がこれから恋を始めるとしたら、相手は、人だろうか。それとも、カエル?」
「なんだって!?」
俺は、早急に、新しい恋を始める必要があった。
古い恋を忘れるには、それが一番いい。
古い恋。
違う。間違った恋だ。
だって、将軍は、ろくでなしだし?
彼にはすでに、好きな人がいるし。
好きな人。好きな人……。
ロンウィ将軍にそんな人がいたなんて。
知らなかった。
いいや。ショックなんか受けてない。だって、彼は、ろくでなしだ。好きな人がいたって、相手かまわずやりまくるような……。
人違い。
そうだ、人違いの恋だったんだ。
最初の恋なんて、きっとこんなものなのだろう。間違った恋に巡り会ってしまったら、速攻捨て去り、次の恋に巡り会わなくてはならない。
それなのに。
せっかく人型になれたのに、朝になったら、カエルの姿に戻っちゃった。人間の医者はなんだかんだ言ってたが、もしかしたら俺は、生涯、人にはなれないのかもしれない。
だったら、次の相手はカエルだ。
人だってカエルだって、構わない!
とにかく、次の恋を見つけなくては!
一刻も早く!
そして、幸せになるんだ!
「君、もしかして……」
ユンの心配そうな瞳が、俺を見つめている。
彼は、未だに幼形だ。
それはつまり……?
「グルノイユ。まさか君、時の施術を受けに来たの?」
「違う!」
即座に俺は答えた。
小鳥のアミルは、時の施術を受けたという。もぐらのラフィーもだ。
彼らは、生涯、幼形でいることを選んだ。
空を飛び、地中に潜り、ロンウィ将軍の役に立ちたいから。
自らの寿命を縮めることを知りながら。
「だって俺……役立たずだし」
水がなければ、何もできない。現に、今回の遠征で、早馬のスピードに酔い、実際の戦闘では、軍のキャンプにおいてけぼりを食らった……。
「君は、勇気があるね、ユン。カエルの薬師としての能力を維持する為に、君は……」
「違うよ」
穏やかにユンは笑った。
「僕は、発情してないだけだ」
「発情してない?」
ユンは、幾つくらいなのだろう。
俺が子どもの頃から、すでに彼は、薬師をやっていた……。
「それで、君は、誰の為に、発情したいんだい?」
ユンが尋ねた。いたずらっぽい目をしてる。
「誰の為?」
目の前に、軽薄なあの、ロンウィ将軍の傷だらけの顔が浮かび、俺は慌てた。
逆戻りじゃないか!
つか、さっきから俺、将軍のことしか考えてない!
笑いをこらえた声で、ユンが問う。
「だって、早く人型になりたいから、僕のところに来たんだろ?」
「ちが、ちがうよ! 違う!」
「人型にはなりたくないの?」
「それは、なりたいけど」
「時の獣人は、愛した人の為に、人になる。違うかい?」
「え…………」
そんなことは、考えてもみなかった。
そんな風には……。
諦め、俺は、打ち明けた。
「一度、人型になったんだ。そのう、は、発情して?」
「うん」
そっと、ユンが続きを促す。
「でも、朝になったら、カエルに戻ってた」
「心配いらないよ。よくあることだから」
あっさりとユンは言った。
「人型になったばかりのカエルは、不安定だからね。もう一度発情すれば、ちゃんと人型になれる」
「本当に?」
「本当に」
頼もしく、ユンは請け合った。
座り込みそうになるくらい、安心した。
予言のように、ユンがつぶやく。
「時の流れが、君を人の形にしてくれる。そしてそれは、もうすぐだ。その時、君のその、愛する人がそばにいてくれますように。僕が、魔法をかけてあげよう」
「よよよ、余計なことはしないでほしい」
俺は慌てた。
「余計なこと?」
「俺は、彼を、愛してなんかいない」
声が震えた。
「強情を張るのはお止め、グルノイユ。僕は君がうらやましいよ。そんな風に、愛する人に巡り会えて」
そう言うユンの声は、限りなく優しかった。
「いや、だって、彼はとんでもないロクデナシで……」
「でも、好きなんだろ?」
「……」
「彼がいなくなったら、自分も死にそうなんだろ?」
ユンは、人の心が読めるのだろうか。
「彼は、病気なんだ」
とうとう言ってしまった。
違う。
これがずっと、心に重く、のしかかっていたのだ。
自分がカエルに戻ってしまった事実より、ずっとずっと。
「ユン、教えてほしい。”言ってはいけないあの病気”って、どんな病気なの?」
「……えっ?」
「”不名誉な病”って、何?」
「グルノイユ。君の恋人が?」
「恋人じゃない!」
そこだけはきっちり否定した。そうしないと、自分の中の、何かが崩れそうで。
早口で、俺は続けた。
「えっちすると感染る病気だってのは、わかってる。人間の医者が、そう言ったんだ。でも、今の医術では完治はあり得ないって、どういうこと? 病気の毒が、脳や内臓に回ると大変なことになるって? 俺の将軍は、どうなってしまうの?」
将軍なんて大嫌いだから、今まで抑えつけていた。
でも、俺は、彼のことが心配だった。
そんな。不治の病だなんて。
将軍はどうなってしまうのだろう。
彼は、死んでしまうのか?
どうしよう……。
「将軍、って言ったね。グルノイユ。君の恋人は、リュティス軍の将校か?」
俺は、自分を呪いたくなった。
なんで自分から言っちゃうかなあ。
「バーバリアンは、リュティスに負けた。戦争捕虜を差し出したという。まさか君が……」
俺は俯き、答えを拒否した。
「それじゃあ、君の将軍って……?」
「いいだろ、そんなことは、どうだって」
「よくない」
ユンが叫んだ。目の色が変わっている。これは、怒りの色だ。
「リュティスの総司令官が、”言ってはいけないあの病気”だって? ならば、あっという間に、バーバリアンにも蔓延するに違いない。”言ってはいけないあの病気”が! ああ、なんて恐ろしい……」
「感染がわかってから、ロンウィ将軍は、誰ともえっちしてない!」
「ぐるのいゆ……」
ユンが目を丸くした。すぐにその目が、三角に吊り上がる。
「ロンウィ・ヴォルムス……寛大で高潔なリュティスの将軍。はっ、とんだお笑い種だ」
ロンウィ将軍の悪口を言われた!
俺は、かっとした。
「寛大で高潔な所もあるんだ。女にゆるくて、だらしないけど」
「控えめに言って、それ、最低じゃないか」
「うん。そうだね……」
俺が認めると、いくらかは、ユンも気が済んだようだ。
この恐ろしい病の説明を始めた。
「”言ってはいけないあの病気”ってのはね。一種の性感染症だ」
「せいかん……?」
「君が言ったように、えっちで伝染る病気だ」
「病気になると、どうなるの?」
「生殖器から入った病気は、体のあちこちに移動する。皮膚に移れば、皮膚が爛れる。中には、鼻が取れてしまう人もいるんだよ」
「ええっ!」
ただでさえ傷だらけの将軍の鼻が取れてしまったら……。
「内臓で発病すれば、死ぬ」
死ぬ。
ロンウィ将軍が。
息が詰まった。
「もっと恐ろしいのは……」
それ以上に恐ろしいことがあるのか?
彼が死んでしまうより?
「脳に感染ることだ。患者は正気を失い、恐ろしい混乱の中、死ぬまで、自分を取り戻すことはない」
ロンウィ将軍がロンウィ将軍でなくなってしまう!?
「俺のことも忘れてしまうの?」
ろくでなしだっていい。彼が彼でいてくれるなら。
俺のことを忘れないでいてくれるなら!
「ああ。それどころか、自分が人間であることも忘れてしまう」
ユンの話は、残酷だった。
「発病はいつになるか、わからない。運がよければ、一生、発病しないかもしれない。だが、いずれにしろ、短命だ。そして、治療法はない」
「やだ!」
「君がまだ、幼形のままでいるってことは、未遂だったんだろ? よかったじゃないか。伝染されなくて」
「よくない!」
「グルノイユ!」
叱責するようなユンの声は、この病気が、どれほど恐ろしいかを、痛いほど伝えてきた。
気がつくと、視界がぼやけている。いっぱい溜まった涙をこぼすまいと、俺は大きく目を広げた。
自分が悪いわけでもないのに、ユンは項垂れた。
「大声を出して悪かった。だが、いい子だからグルノイユ、人型になる前に、その男とは手を切れ。どうせ、長くは生きられないんだし」
「やだ! やだやだやだやだーーーーーーーーっ!」
子どもの頃からの知り合いだから。
俺は、ユンに気を許していた。
両目から涙があふれたのをきっかけに、俺は、感情の爆発に身を任せた。
ひっくり返り、水かきのついた脚をばたつかせて泣き喚く。
そんな俺を、ユンは、呆れたように見ている。
「ひとつだけ、方法がある」
とうとう、ユンは言った。
ぴたりと俺は泣き止んだ。息を呑んで、彼が続きを話すのを待つ。
「彼に張り付くことだ。彼の、そのう、病気が入り込んだ部分に」
「張り付く……?」
病気が入り込んだ部分って?
「えっ?」
「3日3晩」
「……」
なっ、長くありませんか?
そんなに長い間、将軍の……。
思わず再び、俺は真っ赤になった。
「3日3晩の間、何があっても、離れてはいけない。一度離れたら、無効になる。やり直しは効かない」
「わっ、わかった」
「カエルのままでだ。知ってるだろう? バーバリアンの幼生には、膿や傷、腫物などを治す力がある」
そういえば、俺は、彼の顔の傷を治したことがある。彼の頬に張り付いて。膿を持って、じくじくと痛そうだったから。
「これは、重大な秘密だ。何千年もの間、バーバリアンの薬師達の間に、密かに伝えられてきた、秘伝だ。もし、このことが外に知れたら、恐ろしいことになる」
恐ろしいこと。
俺にも、予想がついた。
ユンは頷く。
「バーバリアンの子どもたちは、大量に誘拐されてしまうだろう。よその国に連れていかれ、無理矢理、貼り付けられるんだ。外国の奴らの患部、病気で穢れたおちんち……」
言いかけて、ユンは咳払いをした。
「だから、秘密は守られてきた。わかるか、グルノイユ」
「誰にも言わない」
「君が、彼のそこに張り付くのは、君の自由だ。だが、バーバリアンの子どもたちの将来は、守られねばならない」
「ロンウィ将軍は、聖人だ」
「とてもそうは思えないが」
それは、俺も同感だった。
ただ彼が、人を不幸にする類のろくでなしだとは、絶対に思わない。
彼が不幸にするとしたら、それは、自分自身だ。
いい兵士だった。
俺を、水を減らした水筒に入れて、慎重に運んでくれた。馬の扱いも、丁寧だった。お陰で、快適な旅を楽しめた。
誰かさんとは、大違いだ。
ゴドウィ河の上流まできた。満々と水をたたえた大河が、支流のキフル川と合流している。
伝令は、中央軍が駐屯しているキフル要塞へ向かう。
「本当にここでいいのかい? キフル要塞に行かなくても?」
水筒の水を河に空けながら、伝令が問う。
「いいんだ。俺は、ミンガへ行く」
つるりと水筒から河へ流れ出て、俺は答えた。
「ミンガ?」
「バーバリアンの山間部だよ」
「バーバリアンの……へえ」
「俺の故郷だ。いいところだよ」
バーバリアンでは、公子は、山間部のきれいな渓谷で、幼年期を過ごす。学齢期になったら、町まで出てきて、公立小学校に入学するのだ。
「今度遊びに来るといい」
「行くよ。戦争が終わったら」
河の中から手を振って、伝令と別れた。
*
河の畔に、古い薬屋がある。
オタマジャクシの頃から、世話になっている薬屋だ。
町に引っ越してからも、しばしば、ここを訪れた。薬師のユンは、俺のことをよく知っている。
「やあ、グルノイユ! 立派になったな。見違えたよ!」
「相変わらず、カエルの姿だけどね」
自嘲的に俺は答えた。
「今日来たのはね、ユン。君に相談があって」
「うん。なんでも話すといい」
いつものように頼もしく、ユンは答えた。
「あのね、ユン。俺がこれから恋を始めるとしたら、相手は、人だろうか。それとも、カエル?」
「なんだって!?」
俺は、早急に、新しい恋を始める必要があった。
古い恋を忘れるには、それが一番いい。
古い恋。
違う。間違った恋だ。
だって、将軍は、ろくでなしだし?
彼にはすでに、好きな人がいるし。
好きな人。好きな人……。
ロンウィ将軍にそんな人がいたなんて。
知らなかった。
いいや。ショックなんか受けてない。だって、彼は、ろくでなしだ。好きな人がいたって、相手かまわずやりまくるような……。
人違い。
そうだ、人違いの恋だったんだ。
最初の恋なんて、きっとこんなものなのだろう。間違った恋に巡り会ってしまったら、速攻捨て去り、次の恋に巡り会わなくてはならない。
それなのに。
せっかく人型になれたのに、朝になったら、カエルの姿に戻っちゃった。人間の医者はなんだかんだ言ってたが、もしかしたら俺は、生涯、人にはなれないのかもしれない。
だったら、次の相手はカエルだ。
人だってカエルだって、構わない!
とにかく、次の恋を見つけなくては!
一刻も早く!
そして、幸せになるんだ!
「君、もしかして……」
ユンの心配そうな瞳が、俺を見つめている。
彼は、未だに幼形だ。
それはつまり……?
「グルノイユ。まさか君、時の施術を受けに来たの?」
「違う!」
即座に俺は答えた。
小鳥のアミルは、時の施術を受けたという。もぐらのラフィーもだ。
彼らは、生涯、幼形でいることを選んだ。
空を飛び、地中に潜り、ロンウィ将軍の役に立ちたいから。
自らの寿命を縮めることを知りながら。
「だって俺……役立たずだし」
水がなければ、何もできない。現に、今回の遠征で、早馬のスピードに酔い、実際の戦闘では、軍のキャンプにおいてけぼりを食らった……。
「君は、勇気があるね、ユン。カエルの薬師としての能力を維持する為に、君は……」
「違うよ」
穏やかにユンは笑った。
「僕は、発情してないだけだ」
「発情してない?」
ユンは、幾つくらいなのだろう。
俺が子どもの頃から、すでに彼は、薬師をやっていた……。
「それで、君は、誰の為に、発情したいんだい?」
ユンが尋ねた。いたずらっぽい目をしてる。
「誰の為?」
目の前に、軽薄なあの、ロンウィ将軍の傷だらけの顔が浮かび、俺は慌てた。
逆戻りじゃないか!
つか、さっきから俺、将軍のことしか考えてない!
笑いをこらえた声で、ユンが問う。
「だって、早く人型になりたいから、僕のところに来たんだろ?」
「ちが、ちがうよ! 違う!」
「人型にはなりたくないの?」
「それは、なりたいけど」
「時の獣人は、愛した人の為に、人になる。違うかい?」
「え…………」
そんなことは、考えてもみなかった。
そんな風には……。
諦め、俺は、打ち明けた。
「一度、人型になったんだ。そのう、は、発情して?」
「うん」
そっと、ユンが続きを促す。
「でも、朝になったら、カエルに戻ってた」
「心配いらないよ。よくあることだから」
あっさりとユンは言った。
「人型になったばかりのカエルは、不安定だからね。もう一度発情すれば、ちゃんと人型になれる」
「本当に?」
「本当に」
頼もしく、ユンは請け合った。
座り込みそうになるくらい、安心した。
予言のように、ユンがつぶやく。
「時の流れが、君を人の形にしてくれる。そしてそれは、もうすぐだ。その時、君のその、愛する人がそばにいてくれますように。僕が、魔法をかけてあげよう」
「よよよ、余計なことはしないでほしい」
俺は慌てた。
「余計なこと?」
「俺は、彼を、愛してなんかいない」
声が震えた。
「強情を張るのはお止め、グルノイユ。僕は君がうらやましいよ。そんな風に、愛する人に巡り会えて」
そう言うユンの声は、限りなく優しかった。
「いや、だって、彼はとんでもないロクデナシで……」
「でも、好きなんだろ?」
「……」
「彼がいなくなったら、自分も死にそうなんだろ?」
ユンは、人の心が読めるのだろうか。
「彼は、病気なんだ」
とうとう言ってしまった。
違う。
これがずっと、心に重く、のしかかっていたのだ。
自分がカエルに戻ってしまった事実より、ずっとずっと。
「ユン、教えてほしい。”言ってはいけないあの病気”って、どんな病気なの?」
「……えっ?」
「”不名誉な病”って、何?」
「グルノイユ。君の恋人が?」
「恋人じゃない!」
そこだけはきっちり否定した。そうしないと、自分の中の、何かが崩れそうで。
早口で、俺は続けた。
「えっちすると感染る病気だってのは、わかってる。人間の医者が、そう言ったんだ。でも、今の医術では完治はあり得ないって、どういうこと? 病気の毒が、脳や内臓に回ると大変なことになるって? 俺の将軍は、どうなってしまうの?」
将軍なんて大嫌いだから、今まで抑えつけていた。
でも、俺は、彼のことが心配だった。
そんな。不治の病だなんて。
将軍はどうなってしまうのだろう。
彼は、死んでしまうのか?
どうしよう……。
「将軍、って言ったね。グルノイユ。君の恋人は、リュティス軍の将校か?」
俺は、自分を呪いたくなった。
なんで自分から言っちゃうかなあ。
「バーバリアンは、リュティスに負けた。戦争捕虜を差し出したという。まさか君が……」
俺は俯き、答えを拒否した。
「それじゃあ、君の将軍って……?」
「いいだろ、そんなことは、どうだって」
「よくない」
ユンが叫んだ。目の色が変わっている。これは、怒りの色だ。
「リュティスの総司令官が、”言ってはいけないあの病気”だって? ならば、あっという間に、バーバリアンにも蔓延するに違いない。”言ってはいけないあの病気”が! ああ、なんて恐ろしい……」
「感染がわかってから、ロンウィ将軍は、誰ともえっちしてない!」
「ぐるのいゆ……」
ユンが目を丸くした。すぐにその目が、三角に吊り上がる。
「ロンウィ・ヴォルムス……寛大で高潔なリュティスの将軍。はっ、とんだお笑い種だ」
ロンウィ将軍の悪口を言われた!
俺は、かっとした。
「寛大で高潔な所もあるんだ。女にゆるくて、だらしないけど」
「控えめに言って、それ、最低じゃないか」
「うん。そうだね……」
俺が認めると、いくらかは、ユンも気が済んだようだ。
この恐ろしい病の説明を始めた。
「”言ってはいけないあの病気”ってのはね。一種の性感染症だ」
「せいかん……?」
「君が言ったように、えっちで伝染る病気だ」
「病気になると、どうなるの?」
「生殖器から入った病気は、体のあちこちに移動する。皮膚に移れば、皮膚が爛れる。中には、鼻が取れてしまう人もいるんだよ」
「ええっ!」
ただでさえ傷だらけの将軍の鼻が取れてしまったら……。
「内臓で発病すれば、死ぬ」
死ぬ。
ロンウィ将軍が。
息が詰まった。
「もっと恐ろしいのは……」
それ以上に恐ろしいことがあるのか?
彼が死んでしまうより?
「脳に感染ることだ。患者は正気を失い、恐ろしい混乱の中、死ぬまで、自分を取り戻すことはない」
ロンウィ将軍がロンウィ将軍でなくなってしまう!?
「俺のことも忘れてしまうの?」
ろくでなしだっていい。彼が彼でいてくれるなら。
俺のことを忘れないでいてくれるなら!
「ああ。それどころか、自分が人間であることも忘れてしまう」
ユンの話は、残酷だった。
「発病はいつになるか、わからない。運がよければ、一生、発病しないかもしれない。だが、いずれにしろ、短命だ。そして、治療法はない」
「やだ!」
「君がまだ、幼形のままでいるってことは、未遂だったんだろ? よかったじゃないか。伝染されなくて」
「よくない!」
「グルノイユ!」
叱責するようなユンの声は、この病気が、どれほど恐ろしいかを、痛いほど伝えてきた。
気がつくと、視界がぼやけている。いっぱい溜まった涙をこぼすまいと、俺は大きく目を広げた。
自分が悪いわけでもないのに、ユンは項垂れた。
「大声を出して悪かった。だが、いい子だからグルノイユ、人型になる前に、その男とは手を切れ。どうせ、長くは生きられないんだし」
「やだ! やだやだやだやだーーーーーーーーっ!」
子どもの頃からの知り合いだから。
俺は、ユンに気を許していた。
両目から涙があふれたのをきっかけに、俺は、感情の爆発に身を任せた。
ひっくり返り、水かきのついた脚をばたつかせて泣き喚く。
そんな俺を、ユンは、呆れたように見ている。
「ひとつだけ、方法がある」
とうとう、ユンは言った。
ぴたりと俺は泣き止んだ。息を呑んで、彼が続きを話すのを待つ。
「彼に張り付くことだ。彼の、そのう、病気が入り込んだ部分に」
「張り付く……?」
病気が入り込んだ部分って?
「えっ?」
「3日3晩」
「……」
なっ、長くありませんか?
そんなに長い間、将軍の……。
思わず再び、俺は真っ赤になった。
「3日3晩の間、何があっても、離れてはいけない。一度離れたら、無効になる。やり直しは効かない」
「わっ、わかった」
「カエルのままでだ。知ってるだろう? バーバリアンの幼生には、膿や傷、腫物などを治す力がある」
そういえば、俺は、彼の顔の傷を治したことがある。彼の頬に張り付いて。膿を持って、じくじくと痛そうだったから。
「これは、重大な秘密だ。何千年もの間、バーバリアンの薬師達の間に、密かに伝えられてきた、秘伝だ。もし、このことが外に知れたら、恐ろしいことになる」
恐ろしいこと。
俺にも、予想がついた。
ユンは頷く。
「バーバリアンの子どもたちは、大量に誘拐されてしまうだろう。よその国に連れていかれ、無理矢理、貼り付けられるんだ。外国の奴らの患部、病気で穢れたおちんち……」
言いかけて、ユンは咳払いをした。
「だから、秘密は守られてきた。わかるか、グルノイユ」
「誰にも言わない」
「君が、彼のそこに張り付くのは、君の自由だ。だが、バーバリアンの子どもたちの将来は、守られねばならない」
「ロンウィ将軍は、聖人だ」
「とてもそうは思えないが」
それは、俺も同感だった。
ただ彼が、人を不幸にする類のろくでなしだとは、絶対に思わない。
彼が不幸にするとしたら、それは、自分自身だ。
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