ピュアなカエルの恋物語

せりもも

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2章 発情への道

31 ミンガの薬師

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 行きは、一晩かからずに走破した距離を、帰りは、2日かけて帰ってきた。勝利の報はすでに伝えてあるから、ゆっくりでも大丈夫、と、伝令は笑った。

 いい兵士だった。

 俺を、水を減らした水筒に入れて、慎重に運んでくれた。馬の扱いも、丁寧だった。お陰で、快適な旅を楽しめた。

 誰かさんとは、大違いだ。



 ゴドウィ河の上流まできた。満々と水をたたえた大河が、支流のキフル川と合流している。
 伝令は、中央軍が駐屯しているキフル要塞へ向かう。

「本当にここでいいのかい? キフル要塞に行かなくても?」
水筒の水を河に空けながら、伝令が問う。

「いいんだ。俺は、ミンガへ行く」
つるりと水筒から河へ流れ出て、俺は答えた。

「ミンガ?」
「バーバリアンの山間部だよ」
「バーバリアンの……へえ」
「俺の故郷だ。いいところだよ」


 バーバリアンでは、公子は、山間部のきれいな渓谷で、幼年期を過ごす。学齢期になったら、町まで出てきて、公立小学校に入学するのだ。

「今度遊びに来るといい」
「行くよ。戦争が終わったら」

 河の中から手を振って、伝令と別れた。







 河の畔に、古い薬屋がある。
 オタマジャクシの頃から、世話になっている薬屋だ。

 町に引っ越してからも、しばしば、ここを訪れた。薬師のユンは、俺のことをよく知っている。


「やあ、グルノイユ! 立派になったな。見違えたよ!」

「相変わらず、カエルの姿だけどね」
自嘲的に俺は答えた。
「今日来たのはね、ユン。君に相談があって」

「うん。なんでも話すといい」
いつものように頼もしく、ユンは答えた。


「あのね、ユン。俺がこれから恋を始めるとしたら、相手は、人だろうか。それとも、カエル?」
「なんだって!?」


 俺は、早急に、新しい恋を始める必要があった。
 古い恋を忘れるには、それが一番いい。

 古い恋。
 違う。間違った恋だ。

 だって、将軍は、ろくでなしだし?
 彼にはすでに、好きな人がいるし。 

 好きな人。好きな人……。
 ロンウィ将軍にそんな人がいたなんて。
 知らなかった。

 いいや。ショックなんか受けてない。だって、彼は、ろくでなしだ。好きな人がいたって、相手かまわずやりまくるような……。

 人違い。
 そうだ、人違いの恋だったんだ。

 最初の恋なんて、きっとこんなものなのだろう。間違った恋に巡り会ってしまったら、速攻捨て去り、次の恋に巡り会わなくてはならない。

 それなのに。
 せっかく人型になれたのに、朝になったら、カエルの姿に戻っちゃった。人間の医者はなんだかんだ言ってたが、もしかしたら俺は、生涯、人にはなれないのかもしれない。

 だったら、次の相手はカエルだ。

 人だってカエルだって、構わない!
 とにかく、次の恋を見つけなくては!
 一刻も早く!
 そして、幸せになるんだ!


「君、もしかして……」
 ユンの心配そうな瞳が、俺を見つめている。
 彼は、未だに幼形だ。
 それはつまり……?
「グルノイユ。まさか君、時の施術を受けに来たの?」

「違う!」
即座に俺は答えた。


 小鳥のアミルは、時の施術を受けたという。もぐらのラフィーもだ。
 彼らは、生涯、幼形でいることを選んだ。

 空を飛び、地中に潜り、ロンウィ将軍の役に立ちたいから。
 自らの寿命を縮めることを知りながら。


「だって俺……役立たずだし」


 水がなければ、何もできない。現に、今回の遠征で、早馬のスピードに酔い、実際の戦闘では、軍のキャンプにおいてけぼりを食らった……。

「君は、勇気があるね、ユン。カエルの薬師としての能力を維持する為に、君は……」

「違うよ」
穏やかにユンは笑った。
「僕は、発情してないだけだ」

「発情してない?」

 ユンは、幾つくらいなのだろう。
 俺が子どもの頃から、すでに彼は、薬師をやっていた……。


「それで、君は、誰の為に、発情したいんだい?」
ユンが尋ねた。いたずらっぽい目をしてる。

「誰の為?」

 目の前に、軽薄なあの、ロンウィ将軍の傷だらけの顔が浮かび、俺は慌てた。
 逆戻りじゃないか!
 つか、さっきから俺、将軍のことしか考えてない!


 笑いをこらえた声で、ユンが問う。

「だって、早く人型になりたいから、僕のところに来たんだろ?」
「ちが、ちがうよ! 違う!」

「人型にはなりたくないの?」
「それは、なりたいけど」

「時の獣人は、愛した人の為に、人になる。違うかい?」
「え…………」

 そんなことは、考えてもみなかった。
 そんな風には……。

 諦め、俺は、打ち明けた。

「一度、人型になったんだ。そのう、は、発情して?」

「うん」
そっと、ユンが続きを促す。

「でも、朝になったら、カエルに戻ってた」


「心配いらないよ。よくあることだから」
あっさりとユンは言った。
「人型になったばかりのカエルは、不安定だからね。もう一度発情すれば、ちゃんと人型になれる」

「本当に?」
「本当に」

 頼もしく、ユンは請け合った。
 座り込みそうになるくらい、安心した。

 予言のように、ユンがつぶやく。

「時の流れが、君を人の形にしてくれる。そしてそれは、もうすぐだ。その時、君のその、愛する人がそばにいてくれますように。僕が、魔法をかけてあげよう」

「よよよ、余計なことはしないでほしい」
俺は慌てた。

「余計なこと?」

「俺は、彼を、愛してなんかいない」

 声が震えた。

「強情を張るのはお止め、グルノイユ。僕は君がうらやましいよ。そんな風に、愛する人に巡り会えて」

そう言うユンの声は、限りなく優しかった。

「いや、だって、彼はとんでもないロクデナシで……」

「でも、好きなんだろ?」

「……」

「彼がいなくなったら、自分も死にそうなんだろ?」

 ユンは、人の心が読めるのだろうか。


「彼は、病気なんだ」

 とうとう言ってしまった。

 違う。
 これがずっと、心に重く、のしかかっていたのだ。
 自分がカエルに戻ってしまった事実より、ずっとずっと。

「ユン、教えてほしい。”言ってはいけないあの病気”って、どんな病気なの?」

「……えっ?」

「”不名誉な病”って、何?」

「グルノイユ。君の恋人が?」

「恋人じゃない!」

 そこだけはきっちり否定した。そうしないと、自分の中の、何かが崩れそうで。


 早口で、俺は続けた。

「えっちすると感染うつる病気だってのは、わかってる。人間の医者が、そう言ったんだ。でも、今の医術では完治はあり得ないって、どういうこと? 病気の毒が、脳や内臓に回ると大変なことになるって? 俺の将軍は、どうなってしまうの?」


 将軍なんて大嫌いだから、今まで抑えつけていた。

 でも、俺は、彼のことが心配だった。
 そんな。不治の病だなんて。

 将軍はどうなってしまうのだろう。
 彼は、死んでしまうのか?

 どうしよう……。


「将軍、って言ったね。グルノイユ。君の恋人は、リュティス軍の将校か?」

 俺は、自分を呪いたくなった。
 なんで自分から言っちゃうかなあ。

「バーバリアンは、リュティスに負けた。戦争捕虜を差し出したという。まさか君が……」

 俺は俯き、答えを拒否した。


「それじゃあ、君の将軍って……?」

「いいだろ、そんなことは、どうだって」

「よくない」

 ユンが叫んだ。目の色が変わっている。これは、怒りの色だ。

「リュティスの総司令官が、”言ってはいけないあの病気”だって? ならば、あっという間に、バーバリアンにも蔓延するに違いない。”言ってはいけないあの病気”が! ああ、なんて恐ろしい……」

「感染がわかってから、ロンウィ将軍は、誰ともえっちしてない!」 

「ぐるのいゆ……」

ユンが目を丸くした。すぐにその目が、三角に吊り上がる。

「ロンウィ・ヴォルムス……寛大で高潔なリュティスの将軍。はっ、とんだお笑い種だ」

 ロンウィ将軍の悪口を言われた!
 俺は、かっとした。

「寛大で高潔な所もあるんだ。女にゆるくて、だらしないけど」

「控えめに言って、それ、最低じゃないか」

「うん。そうだね……」


 俺が認めると、いくらかは、ユンも気が済んだようだ。
 この恐ろしい病の説明を始めた。


「”言ってはいけないあの病気”ってのはね。一種の性感染症だ」

「せいかん……?」

「君が言ったように、えっちで伝染る病気だ」

「病気になると、どうなるの?」

「生殖器から入った病気は、体のあちこちに移動する。皮膚に移れば、皮膚が爛れる。中には、鼻が取れてしまう人もいるんだよ」

「ええっ!」


 ただでさえ傷だらけの将軍の鼻が取れてしまったら……。


「内臓で発病すれば、死ぬ」


 死ぬ。
 ロンウィ将軍が。

 息が詰まった。


「もっと恐ろしいのは……」

 それ以上に恐ろしいことがあるのか?
 彼が死んでしまうより?

「脳に感染ることだ。患者は正気を失い、恐ろしい混乱の中、死ぬまで、自分を取り戻すことはない」

 ロンウィ将軍がロンウィ将軍でなくなってしまう!?

「俺のことも忘れてしまうの?」

 ろくでなしだっていい。彼が彼でいてくれるなら。
 俺のことを忘れないでいてくれるなら!


「ああ。それどころか、自分が人間であることも忘れてしまう」

 ユンの話は、残酷だった。

「発病はいつになるか、わからない。運がよければ、一生、発病しないかもしれない。だが、いずれにしろ、短命だ。そして、治療法はない」

「やだ!」

「君がまだ、幼形のままでいるってことは、未遂だったんだろ? よかったじゃないか。伝染うつされなくて」

「よくない!」


「グルノイユ!」

 叱責するようなユンの声は、この病気が、どれほど恐ろしいかを、痛いほど伝えてきた。

 気がつくと、視界がぼやけている。いっぱい溜まった涙をこぼすまいと、俺は大きく目を広げた。


 自分が悪いわけでもないのに、ユンは項垂れた。

「大声を出して悪かった。だが、いい子だからグルノイユ、人型になる前に、その男とは手を切れ。どうせ、長くは生きられないんだし」

「やだ! やだやだやだやだーーーーーーーーっ!」


 子どもの頃からの知り合いだから。
 俺は、ユンに気を許していた。

 両目から涙があふれたのをきっかけに、俺は、感情の爆発に身を任せた。
 ひっくり返り、水かきのついた脚をばたつかせて泣き喚く。

 そんな俺を、ユンは、呆れたように見ている。


「ひとつだけ、方法がある」

 とうとう、ユンは言った。
 ぴたりと俺は泣き止んだ。息を呑んで、彼が続きを話すのを待つ。

「彼に張り付くことだ。彼の、そのう、病気が入り込んだ部分に」

「張り付く……?」

 病気が入り込んだ部分って?

「えっ?」


「3日3晩」

「……」


 なっ、長くありませんか?
 そんなに長い間、将軍の……。

 思わず再び、俺は真っ赤になった。



「3日3晩の間、何があっても、離れてはいけない。一度離れたら、無効になる。やり直しは効かない」

「わっ、わかった」



「カエルのままでだ。知ってるだろう? バーバリアンの幼生には、膿や傷、腫物などを治す力がある」


 そういえば、俺は、彼の顔の傷を治したことがある。彼の頬に張り付いて。膿を持って、じくじくと痛そうだったから。


「これは、重大な秘密だ。何千年もの間、バーバリアンの薬師達の間に、密かに伝えられてきた、秘伝だ。もし、このことが外に知れたら、恐ろしいことになる」

 恐ろしいこと。

 俺にも、予想がついた。
 ユンは頷く。


「バーバリアンの子どもたちは、大量に誘拐されてしまうだろう。よその国に連れていかれ、無理矢理、貼り付けられるんだ。外国の奴らの患部、病気で穢れたおちんち……」

言いかけて、ユンは咳払いをした。

「だから、秘密は守られてきた。わかるか、グルノイユ」


「誰にも言わない」

「君が、彼のそこに張り付くのは、君の自由だ。だが、バーバリアンの子どもたちの将来は、守られねばならない」

「ロンウィ将軍は、聖人だ」

「とてもそうは思えないが」


 それは、俺も同感だった。
 ただ彼が、人を不幸にする類のろくでなしだとは、絶対に思わない。

 彼が不幸にするとしたら、それは、自分自身だ。




 







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