ピュアなカエルの恋物語

せりもも

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2章 発情への道

39 男が惚れる、男 1

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 大変な知らせが齎された。
 エスターシュタット軍に、新たな司令官が着任したというのだ。

 新しい司令官は、シャルマイユ王子。エスターシュタット帝国皇帝の、弟だ。
 若冠24歳のプリンスは、新しい考えの持ち主だった。戦場に於いて、すでにその頭角を現している。

 エスターシュタットが、本気になっていることは明らかだった。


 そして。

 ゴドウィ河下流に、元から駐留していた部隊が、南下を始めた。
 指揮官はローゼトゥール公。エスターシュタットの誇る猛将だ。

 彼らはまっすぐに、河の上流めがけて、進軍している。

 ロンウィ・ヴォルムス麾下、リュティス中央軍に向けて。







 キフル要塞に、兵士らが呼び集められた。


 「ローゼトゥール軍、3000。対するわが軍は……」

リュティス中央軍総司令官、ロンウィ・ヴォルムス将軍の檄に、集まった兵士たちはどよめいた。

「2000」


 春に、北軍へ歩兵部隊を送ってから、ロンウィの中央軍には、補給が全くない。

 2000といっても、うち半分は、地元、辺境諸国からの志願兵だ。元からいた兵士の中には、負傷兵や病気の者がいる。

 母国を離れ、他国に駐留していると、風土病が侮れない敵となる。
 実際使えるのは、1000人に満たないだろう。


「わが軍は!」

 どよめきだした兵士らを抑え込むように、ロンウィは声を張り上げた。

「キフル川を背に、敵を迎え撃つ。軍を半分に分ける。歩兵は敵を川へ誘い込め。反撃はするな。川へ向かって、ゆっくりと後退するのだ。残り半分、猟騎兵と砲兵は、丘の上の木立の間に待機。敵に悟られないよう、気配を殺せ。敵が川まで下ったら、砲撃開始。同時に騎兵は、丘を下って突撃せよ。以上」


 足を踏ん張り、傲然と顎を上げ、指令を飛ばすロンウィ将軍は、ギリシャの英雄、ペルセウスもかくやと思われるほどの、偉丈夫だった。

 彼から吹く風は、勝利を予感させた。

 どんなに彼を憎む敵でも、この姿を見たら、考えを改めるだろう。ひょっとしたら、惚れてしまうかもしれない。男でさえ、そうだ。まして敵国の乙女に至っては、突然の恋の病に囚われ、身も世もあらぬ日々を送ることになるだろう。

 スカートさえ、穿いていなければ。
 ホルンのおかみさんの、派手なピンクの、スカートさえ、穿いていなければ。



 「ナタナエレ皇帝の為に。諸君の活躍に期待する」


 一斉に、雄叫びが上がった。

 兵士らは、すでにナタナエレのことは、どうでもよかった。辺境国からの志願兵たちに至っては、なおさらだ。というより、むしろ、ナタナエレは敵だった。

 彼らは、自分たちの将軍、ロンウィ・ヴォルムスの命令に従うのだ。

 彼と共に戦う。

 たとえ踏ん張った脚に、ピンクのスカートを絡ませていようとも。

 島国アンゲルの兵士達は、スカートを愛用しているというではないか。
 スカートは、新たな男らしさの象徴なのかもしれない。









 エスターシュタット帝国軍元帥、ローゼトゥール公は、悩んでいた。

 つい先ごろ、彼の師団は、リュティス軍との戦いに敗れた。
 北軍のクレジュール将軍、そして、思いもかけず、前衛を率いて突撃してきた、あの、

 ……ロンウィ・ヴォルムス将軍。


 あっという間に、エスターシュタットの陣営を駆け抜け、彼の師団を壊滅させた、あの、

 ……ロンウィ・ヴォルムス将軍。


 馬が撃たれても、なお、死骸を盾に戦い続けた、その胆力。
 エスターシュタット軍の竜騎兵の馬を奪い、再び騎乗の人となった、その、雄姿。

 ……男が惚れる、男だ。


 新たに、皇帝の弟、シャルマイユ王子が指揮を執るに当たって、ローゼトゥールは、南下を命じられた。

 南側、即ち、ゴドウィ河上流には、リュティス中央軍が駐屯している。言うまでもなく、ロンウィ・ヴォルムス将軍の軍だ。 


 間諜の報告では、数にして2000。シャルマイユ王子は、ローゼトゥールに、3000の兵を預けた。
 負けるわけがない。
 だが、

 ……ロンウィ将軍を、敵に回したくない。
 ……これ以上、リュティス軍と戦いたくない。


 それは、長くリュティスと戦ってきたローゼトゥールの悲願だった。
 リュティス軍の兵士には、奇妙な熱狂があった。彼らには、戦い、自分たちの国を護っているのだという、強い誇りがある。

 ……対するわが軍は、傭兵の集まりに過ぎない。

 傭兵は、プロだ。プロの兵士が、農民や工場労働者らの軍隊に、負けたのだ。
 そのことが、ローゼトゥールの頭から離れない。

 ……そして、常に彼らの先頭を駆ける、ロンウィ・ヴォルムス将軍。
 ……自らの命を危険に晒して。

 数で優っても、品位で負けた気がする。
 自分は、ロンウィ将軍には、敵わない。
 永遠に。









 今回、ロンウィは、歩兵軍隊の指揮を執った。

 騎兵らとともに、丘の上から突撃したいのは山々だったが、さすがに、スカート姿では馬に乗れない。
 めくれて下が見えたら、大変なことになる。
 グルノイユ、彼の大事なカエルに、敵弾が当たってしまうではないか!

 それに、騎兵部隊がやり損なうとは思えなかった。危険はむしろ、敵をおびき寄せる歩兵たちにある。

 彼は、どの戦いにあっても、常に、最も危険な場所にいた。




 戦いに先立ち、川べりに、アバティス(逆茂木さかもぎ)を設営する必要があった。
 木の先端を尖らせ、敵に向けて立てておく。これをたくさん並べて、障害物とするのだ。

 後退してきた味方の歩兵は、障害物の間を通って川の中に退避できる。
 が、敵の騎兵は、この仕掛けの前で、立ち往生する羽目になる。

 そこへ、丘の上の別動隊が砲撃、さらに、騎兵が襲い掛かる……。
 こういう戦法だった。









 集めてきた立木の先を、よく尖らせ、工兵が、地面に据え付けている。

 ロンウィ将軍自らも、彼らを手伝い、加工された立木を、川原に固定していった。

 寒い日だった。川から冷たい風が吹いてくる。


 ……排尿は大丈夫だ。

ロンウィは考えた。

 ……グルノイユは、に貼り付いているからな。彼に心配はない。


 尿は、排出されたばかりの時は、無臭だという。だから、局所を清潔を保ってさえいれば、彼に嫌われることはないだろう。
 ロンウィは、グルノイユに嫌われたくなかった。

 問題は……。









 ロンウィ将軍の隣で作業していた工兵は、さきほどから将軍が、妙にそわそわしていることに気がついた。 

 ははん。
 工兵は悟った。

 軍には今、質の悪い下痢が流行っている。お腹の風邪の一種だろうが、多くの兵士達が、辛い思いをしていた。

 腹風邪は、一過性だった。一度、出してしまえばすっきりするタイプの感冒かんりゅうだ。
 早く出してしまうに越したことはない。


 「将軍」
忍び寄り、彼は囁いた。
「ここは俺に任せて。いってらっしゃい」

「ははは。何を言ってるんだ、君は。俺は、なんともないよ」
年若い将軍は、爽やかに答えた。


 責任感の強い人だ、と、工兵は思った。
 将軍は、持ち場を離れることをよしとしないのだ。

 見習おう。
 軍で早く出世するには、こうあるべきなのだ。




 少しして、工兵は、将軍が、ぶるぶる震えているのに目を留めた。

「あそこの茂みならすぐです。往復で、たいした時間もかかりませんよ?」

 さすがに心配になり、工兵が囁くと、将軍は、青ざめた顔で、一際大きくぶるっと震えた。

「へ、平気だ」

「少しくらい持ち場を離れたって、誰も責めたりしませんってば。それより、我慢しすぎて体調を崩される方が心配です」

「心配してくれてありがとう」

 うつむき、将軍は熱心に、立木の下を、地面に埋めている。


 将校の鏡だ、と、工兵は感嘆した。
 自分の体調を犠牲にして、軍務に従事している。

 自分たちの司令官が、寒い中、こんなに辛い思いをして、国を守っていることを、リュティスの人々に、もっと知ってほしい。

 こぶしを握り締め、熱く、工兵はこいねがった。




 川風が、ひときわ冷たくなった。
 ロンゥイ将軍は脂汗を流していた。

 「将軍……」

 ためらった末、三度目に声を掛けた工兵に、彼は、痛々しく微笑んだ。

「いやいやいや。は、は、は」
もはや言葉にならない。


 ……無理をしないでほしい。
 心の底から、工兵は願った。

 ロンウィ将軍は、自分たちの大事な司令官なのだから。




 「うぐっ!」

 工兵は、すぐそばで、小鹿のように飛び上がった何物かに驚いた。
 素晴らしい指揮官に感化された彼は、普段以上に熱中して仕事をしていたのだ。

「俺はもう、我慢できない。グルノイユ、許せ!」

 悲鳴のような雄叫びを残し、彼の将軍は走り去っていく。川べりの、こんもりとした下草の茂み目掛けて。

 ……グルノイユって誰だ?

 わからないながらも、将軍が限界を迎えたことを、工兵は悟った。

「将軍! この場は俺に任せて、心おきなく出してきちゃって下さい!」

 ……ぎりぎりまで、働いておられたのだ。

 熱い感動に胸を焦がし、走り去る後ろ姿に向かって彼は叫んだ。

 部下の激励に応じる余裕もなく、ロンウィ将軍は、茂みの中へ消えていった。








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